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あんこの誘惑〜神田・竹むら〜

かねてより甘いものに目がない。今月の食費を見直してみたら、日々の細々としたお菓子やアイス、「パン」よりもお菓子と分類したほうが相応しいであろう菓子パン類、そして「たまの贅沢」と言う名目でたまにではない頻度で購入してしまうスイーツ類が積算して1万円近くになっていた。

「げっ、1万円?!」とその数字の大きさに驚くけれど、この部分だけは節約不可能。これは私にとって、現代のストレス社会を生き抜くための必要経費なのだ。舌の上で甘さが解けていく時間だけが、はかなき浮世を忘れさせてくれるのだから。

と仰々しいことを申し上げつつ、実際は単に砂糖の甘い誘惑に脳みそが毒されているだけのような気もするけれど、とにかく甘いものを食べることは、私の人生の生きがいになっている。

本日も不真面目な会社員こと私は、休憩と立ち寄りを利用して、かねてより念願であった神田の甘味処「竹むら」へお邪魔した。ずっと行ってみたかったのだが、神田須田町近辺は私にとって東京屈指の魅惑のエリアであり、立ち寄りたい店が多すぎることから、なかなか訪問する機会がなかったのだ。

ただ今日は、用事にかこつけて会社を抜け出せたので、「たまたま近くにあった」ことを言い訳にして、お店に立ち寄ることができた。(厳密に言えば、用事の近くに“たまたま”竹むらがあったわけではなく、竹むらに行くためにその近くに用事をこさえた、という方が正しいのだが、そんなことは口が裂けても言えない。)

店に到着し、換気のために開け放たれたドアから店内に入る。「いらっしゃいませ」。気持ちのよい店員の挨拶が聞こえた。趣のある店内には、平日の昼過ぎだというのに結構な人がいるようだ。席に着くとまず出されたのが、塩漬けの桜が入ったお茶(と言うのだろうか)だった。うーん、なかなか風流じゃないか。

机の上に置いてあるメニュー表の裏表を何度か往復した私は、その後意を決して「クリームあんみつ」(800円)を注文した。

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机の上に堂々と不時着したクリームあんみつは、過不足のないお手本のような姿をしている。黒蜜、あんこ、アイスクリーム、みかん、餅、寒天、赤えんどう豆、そしてアクセントのサクランボ。完璧なバランスだ。黒蜜を一息にお皿にかけ回し、あんことクリーム、寒天を三つ巴にして口に入れる。上品しか言えない甘さが舌の上に広がり、そして跡形もなく消えた。

うまい。

思わず目を閉じて味わっていたら、店員さんに笑われてしまった。店内は音楽もかかっておらず大変静かな空間だったが、口の中に奏でられたメロディによって、私の胸はいっぱいになっていた。想像以上のうまさから、想像以上にするりと完食。軽やかな寒天が、いまもまだ口恋しい。

ここで席を立とうかと逡巡するが、周囲を観察してみると、周りのお客さんには「揚げまんじゅう」を頼んでいる人がどうやら多いらしい。手元のスマホで隠れて検索をしてみたところ、どうやらこの店の看板商品だと書いてあるではないか! 揚げまんじゅう、食べたい。食べてみたい。

もしいま私が子どものいる親の立場なら、絶対に「また今度にしようね」と優しく諭しているはずだ。そしてグズる子どもの手を引いて、店の外へと出ていくのだろう。「だって、もうクリームあんみつを食べたでしょう。ご飯が食べられなくなるよ」。

しかし私は独身貴族。諭す子どももいなければ、自分を諭せる理性も持ち合わせてはいない。欲求のままに「すみませ〜ん」と手を上げ、そして言ってしまった。「揚げまんじゅうを、追加でお願いします」。

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正直クリームあんみつを平げた身だ。「揚げまんじゅう」(500円)は、相当なダメージを強いてくるのではないかという予感があった。「無理して食べなければよかった」と後悔するのではないか。そんなそこはかとない不安が私の脳には確かに居座っていたのだ。

しかしどうだ! 揚げたてのまんじゅうはずっしりとしているが、しつこさは一切ない。中のこしあんはあっさりと仕上がっており、「あんこ……うまい……」と片言の単語を発した後、私は再び目を閉じることになった。店員さんは、一体私をどういう目で見ていたのだろうか。それはこの際考えないことにしたい。

ずっと焦がれていた竹むらは、やっぱり私の理想の人だった。この魅惑的なあんこの誘惑に、意志薄弱の私が抗えるであろうか(いや、抗えない)。きっと私はこの先も、竹むらへ何度も足を運ぶ。そして、店員の目をよそに、まぶたを閉じて幸せを幾度も噛み締めるのだろう。

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生きる喜びをありがとう。ご馳走さまでした。めずらしく筆が乗って、長くなってしまいました。

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