見出し画像

『正欲』を読んで

見出しの画像がめちゃくちゃ怖くなってしまった。なぜか手もおばあさんのようにしわくちゃに見える。朝井リョウさんの『正欲』を読んだので、今日はその感想(というかその周辺のこと)を書きます。

以前も書いたことがあるが、私は朝井さんと同い年で、同じ大学の出身だ。彼のデビュー作『桐島、部活やめるってよ』が刊行された時、高田馬場駅にでかでかと貼られた広告で、その存在を知った。それなりに小説を読んできたから「小説家」という職業は知ってはいたが、同じだけの年数しか生きておらず、かつ似たような空間にいる人間が「小説家」なのだという事実を、当時の自分はなぜかうまく受け止めることができなかった。すごく奇妙で不思議な感じがした。

朝井さんの著作を、私はこれまでに何冊か読んできた。大学時代の友人らとのエピソードを描いたエッセイ『時をかけるゆとり』、史上最年少の直木賞受賞作となった『何者』、ほかにもいろいろ。正直に言って、読んだあとはどれもいやな気持ちになった。私の目の前に見える景色が、切り取られすぎていたからだ。描かれるモチーフは、まさに私の身近で起こっていることであり、自分のすぐ隣にある現実を描写されているような居心地の悪さがあった。

私は朝井さんがやっているラジオのリスナーでもあり、彼の言動や物の見方は面白くて大好きなのだけど、著作物に関しては上記の理由からしばらく距離を置いていた。

そんな私がなぜ『正欲』を読もうと思ったのかというと、これが彼の作家10周年を記念する作品であり、勝手な解釈だけれど、遠巻きにもかなり気合が入っている作品だということが伝わってきたからだ。タイトルの『正欲』という言葉も、いやに心に引っかかった。そして昨日、私は書店にかけこみ、大きく展開されている濃い群青色の表紙から1冊を手に取ってレジに運んだのだった。

物語のあらすじについては、私がここで語るべきことではないと思っている。しかし、とにかく一気に読んだ。登場人物たちの人を見る眼差しや世の中の捉え方は、みな冷徹で、だからこそあまりにも的を得ており、自分のきれいとは言えない本性までもが見通されている気持ちになる。頭のどこかではいやな展開の予感を感じるのに、ページをめくる手が止められない。

そして、私がこの本を読んで何より心を動かされたのが、作家・朝井リョウに見えている世界の広さと深さだった。同時に、スポットライトの光が舞台上のすべてに明転するように、自分自身の狭量さをあぶり出された感覚になった。そこで自分に湧き上がったのは「恥」の感情で、知ったようなふりをして世間を渡る自分自身を、自分の傲慢な世界の認識を、とにかく「恥ずかしい」と思った。自分ことを恥ずかしいと思ったのなんて、ずいぶん久しぶりかもしれない。

小説家というのは、やはりものすごい職業だと思う。自分に見えている世界に輪郭を与え、過不足なく言葉にして、さらには読者の前に晒すのだから。深い洞察と表現力に憧れる。しかしそれ以上に、自分の内部を見せる覚悟に圧倒される。

同じ空気を知る、まったく考え方の違う他人。懐の深い、冷徹な観察者。世代を代表する、才能ある小説家。これからも朝井さんが見えている世界の一端を、その作品をとおして覗いてみたい。どうか覗かせて欲しい。読後、そんな茫漠とした願いが私の頭には浮かんでいた。

いただいたサポートは、本の購入費に充てたいと思います。よろしくお願いいたします。