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医師7年目で救急センター部長を経験した感想

前回ちゃんと自分の投稿をしてからけっこう経ってしまいました。
感じたこと、思ったこと、書きたかったことはたくさんありましたが、なかなかまとまった時間をとれずに、書けずにいました。

4月から千葉県館山市にある安房地域医療センターという二次病院に異動し、救急センター長という肩書をもらいました。「長」なんて書けば聞こえは偉そうですが、実際のところは、自分の科所属は僕一人なのです。「長」でもありますが、「ヒラ」でもあります。

初期研修医や亀田救急や安房総合診療科の専攻医からローテーションで来てくれる先生たちに協力してもらいながら、とにかく臨床を回すだけでも精一杯な時期もありました。(いまもときどきあります…) 夏からはひとり先生が新たにきてくれて、だいぶ余裕ができてきましたが。
当初は、正直「教育」なんて「美しい」ことはなかなかできず、前半にきてくれた研修医たちにはやや申し訳なさもあります。
八戸でも亀田でも、自分が縫合をしたり、軽症患者のはじめの問診をとったりすることが徐々になくなっていて、
久しぶりに自分でどんどん直接患者を診る、ということをやっています。一周回って新鮮な経験で楽しいです。
このように「ヒラ」として働きつつ、「長」として会議や書類作成、経営のことなどをできるのは大変ではありますが、いい社会勉強をしていると思います。

二次病院で、かつ救急医ひとりという環境はいままでに全く経験のなかった環境です。
対応できない疾患があるのはともかく、自分(や救急医)が責任をもって対応できない時間帯があることなどは正直もどかしく感じました。自分が「救急車や患者を断ってしまっている救急の代表者としている」ということは、自分は断っていなくても、救急医としてすごく葛藤があるし、いろいろ考えました。より深く救急としてなにが必要とされているのかを考えなおす機会となりました。
赴任して少し落ち着いてきてからは、自分が病院にいない時間も含めて、どうやったら地域に貢献する「断らない救急」の理想に近づけられるか、を調整することが中心的な課題になりました。
救急の在り方をいままで以上によく考えたのですが、その過程で自分がいかに八戸救命の、それも今先生や野田頭先生の影響を強く、無意識のうちに受けていたかに気が付かされました。
いろいろ本などを読んでると、たぶん自分は自治医大の設立意図→Spirits of Hachinoheの系譜にあるのかな、と思っています。

詳しく書くと長くなりますが、
救急医療は、都道府県~市町村レベルでの「地域のプライマリケア」と「地域のセーフティーネット/社会保障」の重要な支点のひとつ
として定義して考えると、自分のやりたいことを説明しやすいと考えるようになりました。


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