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「健康/well beingの視点からみたまちづくり」:タウンミーティング原稿

先日、館山市にあるカフェMANDIで開かれたタウンミーティングでお話をする役割で呼んでいただきました。
今回は、そのときに話をするために作った原稿をそのまま記事にします。
話し言葉であったり、文として構造がときどき崩れるところもありますが、スピーチ原稿だと思ってください。当日はおおむねこれと同様の内容を話していますが、実際には多少その場で追加したり端折ったりしています。

―昭笑村塾 館山の明日を語ろう―   タウンミーティング
@カフェMANDIの庭
健康/well beingの視点からみたまちづくり」原稿

①自己紹介と「健康とまちづくりの関係」

今日は、お集まりいただき、またこのような場によんでいただき、ありがとうございます。
さて「健康/well beingの視点からみたまちづくり」ということですが、はじめに結論を話します。
 
少子高齢化し、人口が減り、いわゆる経済発展モデル的な価値観では衰えていく安房地域や日本にとって
どのようにしてうまく住民の健康や幸せを維持するような街/自治体を作っていけるか、という視点は、どんどん重要になってきます。
そして、健康には、医療や介護だけではなくて、都市計画や経済政策などいろんな分野が関わっているし、町内会やここ 風の図書室のようなコミュニティというのも大事な活動です。そして、このような形で、人口が多少減ってもみんなが豊かに生活していける街/国というのがこれからの未来なのではないか?
そのような視点の方法のひとつとして、今日はお話していきたいと思います。
 
まずはじめに、
なぜ医師が?健康とまちづくり?どんな関係があるのか?
どうしてそんな必要があるのか?
よくわからないことが多いと思います。
まずどうして医師である僕がまちづくりなどに興味があるのか?
そして、どうしてそれが館山に必要なのか?
そのようなお話から始めていきたいと思います。
 
僕自身は、現在は安房地域医療センターの救急科に勤務する救命救急医、集中治療医です。
静岡県蒲原という干しサクラエビの産地で生まれ、5歳から24歳まで東京で育ちました。その後、青森県八戸市で研修医、救急科後期研修医を経験したあと、2019年から鴨川の亀田総合病院救急科/集中治療科で2年間、2021年に安房地域医療センター救急科部長を務めました。
さらにまちづくりに興味があることから、2022年昨年一年間は東京にある「政策研究大学院大学」というところで公共政策学、簡単にいうと政治や行政について1年間勉強し、この4月からまた安房地域医療センターに戻ってきて働いています。
 
ではそもそもどうして救急医である僕が、政治、行政、まちづくりに興味があるか。
救急の現場では、日々なにかうまくいかなかったひと、問題があった人、苦しんでいるひと、どこに相談すればよいのかわからないひとが患者さんとしてきます。
特に、孤独とか、認知症や精神的な病をかかえるひと、外国人など、
地域の社会や仕組みにうまく乗ることができなかったひと、困りごとを訴えにくい人、仕組みからこぼれ落ちてしまった人は、
我慢して我慢して、本当にどうしようもなくなって、やっと救急にきます。
そのような方を日々診ている中で、
「どうしたらこのような苦しみを減らせるのだろう、どうしたらこのような状態になる前に幸せに暮らせるひとを増やせるのだろう」と感じるわけです。これが僕の原点です。
 

架空の患者さんの例

(症例1)高齢の夫と二人暮らしの高齢女性。認知機能は低下してきていたが、夫が少し介護することでなんとか生活はできていた。ある冬の日、女性は軽度の脳梗塞を起こし自分では動けなくなった。夫は寝室まで運んで寝かせようとしたが、うまく運ぶことができず、廊下に女性を寝かせ、そこで介護を続けることとした。介護申請はしていなかった。朝になったところ女性は室温の低い廊下で低体温症となり意識障害を起こし、救急車で病院へ搬送された。
(症例2)肺気腫のある独居の高齢男性。定年退職後も生計をたてるために工事現場などで仕事をしていたが肺気腫が悪化し、咳や呼吸困難が強いため職を失った。生活保護を申請しようとしたがかつて家族と縁を切った事情が障壁となり、申請を断念した。病院受診のための費用も賄えず、呼吸困難となったときに随時救急外来を受診するが、処方や入院は希望せず帰宅し、病状はどんどん悪化していった。
(症例3)運転代行業で働く中年男性。突然の胸痛のため救急外来を受診し、心筋梗塞として入院し治療を受けた。大きな問題はなく退院できたが、病院の外来が行われている平日日中は仕事の関係で受診することができず、日当払いで仕事をするため厳しい経済状況から仕事を休むこともできなかった。また職場の付き合いで喫煙も継続し、健康のため野菜をとろうと意識したがカップラーメンに刻んだキャベツやもやしをいれるのが精いっぱいだった。このような生活のなかで心筋梗塞の再発と心不全を繰り返した。
(症例4)東南アジアから特定技能実習生として日本で就業していた若年女性。LGBTQであり周囲となじめなかったことや、仕事のストレスなどから自殺を図り、救急搬送された。一命はとりとめたが回復の見込みは低かった。治療にかかる費用負担だけではなく、本人を母国へ搬送する費用も、家族が面会のために日本へ渡航する費用も捻出する目途が立たなかった。
 
さて、このようなもやもやした課題意識をもって勉強するうちに、「健康の社会的決定要因」という概念に出会いました。
これはそのまま「社会のいろいろなこと/要因が、健康に影響する、健康を決定する」ということです。
もう少しわかりやすく説明します。例えば…私たちがケガをしたり、病気になったりするのは、自分のせいなのでしょうか?
「自己責任」という言葉がきくこともありますが、実は、自分のせい、というわけではありません。
もちろん生活習慣や予防の心がけは大切です。
しかし、健康は、自分の遺伝や行動だけでなく、いろいろな身の回りや社会の状況にも影響を受けています。
貧しい。お金がない。生野菜などを買うのは高い。病院にかかるお金も時間の余裕もない。その分働かないといけない。そうこうするうちに不摂生がたたって、気が付いた時には重度の糖尿病・・・このようなことは想像できますし、実際にこのような患者さんはいます。
そして、このような社会のいろんな要素が健康に影響を与えることは医学的に証明されています。
これが「健康の社会的決定要因」です。

 
そして、「健康の社会的決定要因」には、例えば、貧しさのほかにも、
子供のころ育った環境、人間関係、食べ物、仕事や日常のストレス、孤独感、失業、タバコやお酒などの問題、そして街の構造や交通アクセスなどが含まれます。
 
健康の社会的決定要因として、高い確率で影響があるとされる10の要因
社会格差 ストレス 幼少期 社会的排除 労働 失業 社会的支援 薬物依存 食品 交通
では、これらを改善し、患者さん、地域のひとびとがより健康に、より幸せにいられるようにするにはどうするのか?
おのずと病院の中で考えるだけでは足りないことがわかります。地域での活動や行政や政治と連携すること、広く言えば「まちづくり」が大切になってくるわけです。
 

②どうして館山/安房に必要なのか。

ではどうして、街を「健康やwell beingの視点からみること」が重要になってくるのでしょうか。
それを理解するためには、館山市の現状、日本全体からみた安房の位置、そして日本全体の動きを把握する必要があります。
まず館山市の人口や高齢化率をみてください

館山市資料より引用

このような人口動態について将来的に厳しい動向が見込まれています。1950年の59424人をピークに高度成長期には人口が減少し、現在は44400人程度です。総人口の減少傾向は年々強まっており、2040年には35000人程度 高齢化率44%まで減少することが見込まれています。
生産年齢人口(15-64歳)および年少人口(0~14歳)においても同様の減少傾向が続いていますし、また1995年以降は人口の自然減に加え、特に高校、大学進学のタイミング、高卒者の就職による転出が目立ち、より一層生産年齢人口は減っています。このように館山市は総人口および生産年齢人口が減少し、65歳以上の人口比率が高まっています。
 
これは当然、市の財政状況も圧迫します。当然、生産年齢人口、つまり仕事をして労働をするひと、市内での経済活動が減れば、税収は減ります。一方で、高齢化が進み、住民にしめる高齢者の割合がふえれば、介護や医療に関係するようなものを中心に社会保障費が増えます。
このようななか、館山市は6割近くが依存財源、つまり国などから交付されるお金 となっています。このように市の収入が減る中、先ほどものべたように、市の固定費、つまり高齢化に伴う確実に必要な社会保障や福祉の費用は増加し、なにか政策をするために必要な自由に動かせる市の財源というのは、どんどん少なくなってきています。そして、この傾向というは、このまま自然でいけばよくなる見込みというのはなかなか厳しいものです。
 
もちろん移住者を増やしたり、子供が増えるような支援をしたり、経済を振興したり、そのような試みも大事です。
しかし、それだけでは足りません。
これは環境問題/気候変動の文脈で出てくる言葉ですが、
問題への対策には2つの種類があり、両方を組み合わせることが大事です。
「緩和」と「適応」です。
ことに、人口減少などの問題になるとみんな、人口を増やそう、というような人口減少に対する「緩和」はするのですが、
どのようにすれば人口が減っても幸せな街が作れるか?というような「適応」の視点が不足していることが多いです。ことによっては、そんな縁起でもないことをいう!と、怒られてしまうかもしれない。
しかし、ドラッカーがいうように、人口動態、人口予測ほど正確な未来予測はないのです。
 
~ドラッカー『未来についてわかっていることは、たとえば人口動態のように“いますでに起こっている未来”だけである』『人口構造にかかわる変化ほど明白なものはない』~
 
では、国からの財政的な支援はこのまま続くのでしょうか。この図をみてください。

国土交通省資料より引用
内閣府資料より引用

国土全体で考えてみましょう。昨年ぼくがいた大学院では「自分の立ち位置だけではなくて、自分が総理大臣になったと考えてどう動くべきか、考えろ」と言われました。
国土交通省が10万人以上の市を「核になる都市:核都市」として、その周辺に30万人以上が移動時間1時間圏内に住んでいる範囲を「都市圏」と呼んで試算しています。
そして、この都市圏の面積は日本の50%、そして人口の90%以上をカバーします。
当然、日本も余裕があるわけではありません。政府の財政も厳しく、日本の人口も減り、高齢化にともなって労働人口が減っていることはみなさんもご存じと思います。本質は安房地域と同じです。
国全体を考えたとき、この都市圏と核になる街をキチンと整備することが優先となることは、ある程度あきらかなことです。
 
そして、館山、そしてこの安房地域は、この「都市圏」の範囲外です!
このような土地に住む私たちは、
人口が増えて、子供が増えて、移住者もたくさん増えて、労働者が増えて、経済が活性化して‥
というような「ミニ東京」的な夢は、非現実的です。
持続可能ではない子育て支援策や若者向けの施策を打ちだして、
日本の中で、若者や子供、人口を奪い合ったり、
君津や木更津と競争したり、
ましてや安房地域の中で、館山と南房総と鴨川と鋸南が奪い合ったりしたって、
パイが小さくなる中で、当然うまくいきません。みんな共倒れです。
 
ではどうすればいいのでしょうか。
人口がへり、子供も減り、高齢化し、市の財政も厳しく、ギリギリの日本政府にも見放された(あえて見放された、と言いますが)安房はこのまま衰えていくのでしょうか。夢もなく、年老いていくだけ。夢を諦める、悲観的、ただ衰えていくのか。
そんなことをいっているのではありません。
むしろ胸をはって「ミニ東京」の先をいく別の将来、モデル、未来を描いていくのです。
日本には、「都市圏」ではないところに住む10%の人々がいます。これは1000万人いるわけです。
みんな試行錯誤しています。諦めてしまった町もあるかもしれない。すでに滅びてしまったムラもあるかもしれない。
でも、この課題は、田舎の10%のひとだけの悩みではありません。
人口が減り、高齢化し、経済活動が衰えるのは、館山市だけではなく、ほかの1000万人、そして日本全体の問題です。
さらに未来30-50年先をみれば、ヨーロッパ諸国、発展目覚ましい中国や東南アジア諸国も同じ人口動態が予測されています。
そしてみんな、衰えていく未来におびえています。
つまり、この安房での試行錯誤、新しいモデルの提示が世界最先端なのです。
 
では、どんな風に町をつくっていくのか?
ここで僕が提案したい一つの視点が「健康/well beingの視点からみたまちづくり」です。
お金があるときは、病気になったら病院にいって治療する。ジャンジャン税金や保険料をつかって、最善の治療をして、「壊れたら直す!」これでよかった。
政策であれば、
なにか、政策をする。この政策で経済は潤う!貧乏なひとは増えるかもしれない。まあ、この結果、貧乏になるひと、社会から排除される人がいるかもしれない。あとから社会保障で保証する!これでなんとかなった
しかし、これからはそうはいきません。
経済やお金。これは大事です。しかし、これは「幸福」のための手段でしかないはずです。
お金も健康も、幸福のためには重要ですが…いままでの街づくりでは、お金や商売、自動車のことばかりが優先されていませんでしたか?
もちろん健康もひとつの価値観に過ぎません。ほかにも文化や伝統、自然環境などいろんな視点はあると思います。でも、健康や「精神的な健康や生きている充実感を含めた健康や幸福」であるwell beingも大切なことであるのは、そうですよね?
すんでいるだけで健康になれるまち、住んでいるだけで幸せになれる自治体や地域
そのような街づくりをしていくことが、安房には必要だと僕は思うのです。
ここからはいくつかの具体例を見ていきたいと思います。
 

③具体例1:健康都市

まず基本となるのが健康都市という概念です。WHOが提案しているもので、まちの住民の健康をまもり、健康を増進するために都市として取り組むというものです。
さっきもみたように、健康に影響するまちの環境というのは、医療や介護、健康や保健に限った分野だけではありません。都市計画や交通計画、経済政策や貧困対策、環境問題など、健康関連ではない分野や産業と連携していくことが重要です。
そのことを、自治体として、まちとして意識して、分野を横断して、取り組んでいくぞ、というのが健康都市です。
日本でもいくつかの自治体でこれに取り組んでいるところがあります。多くの自治体では、「健康寿命をのばすこと」「介護予防」などを目標に取組み、具体的には、食生活習慣の改善、自治体独自の健康体操や万歩計などによる運動の推進、コミュニティセンターや公民館などを活用した、地域の住民、地域の高齢者の社会参加や人間関係構築の推進などが多く取り組まれています。
世界やWHOの案に目を向けると、介護予防などだけではなく、ほかの方法や目標があり、
例えば、健康格差の縮小を目的にして、「もっとも支援が必要なひとに支援が届くようにする」ことや「すべての政策を健康の視点で推進する」こと、「健康的な選択ができるようにする、物理的な建築的な環境」をつくることなどが含まれています。
具体的には、生活保護や介護保険の利用は現在、「申請主義」といって必要とする人が自ら申請することが必要ですが、これを公共料金の支払い状況などから必要性を推測して確認するような「プッシュ型」の手法によって支援が必要なひとに届けることが例にあげられます。
またヘルスインパクトアセスメント/健康影響評価という方法を用いて、すべての政策、例えば「このあたりの道路を整備しなおすのだけど、ここで車の交通量が増えるようにするのと、自転車や歩行者が増えるようにするのと、どっちが住民の健康にとってよい影響があるだろう」とひとつひとつの施策について評価して考えていく、経済効果や環境への影響と並んで一つの指標として用いていく、という方法も提示されています。このあたりは、コンパクトシティやウォーカブルシティなど、街をコンパクトにまとめて、そして子供や高齢者などが安心して歩けるように、車よりも歩くことが自然に選ばれるような街、などのコンセプトと相性がよいと思います。
健康都市については、ヨーロッパ諸国ではある程度普及していますが、日本ではほとんど実施されていません。過去には久留米市が中核市に移行することがどのように影響するか、検討されたことがありました。

④具体例2:エイジングフレンドリー社会

この健康都市をより具体的な目標にしたものは、エイジングフレンドリー社会というコンセプトもあります。日本語でいうと「年老いていくことに優しい社会」というかんじでしょうか。
これは、市の部局に加え、街の住宅やまちづくり団体、交通関係団体や文化施設などが協力して「高齢者が安心して歳をとり、楽しく生き生きと暮らせる都市づくり」をすすめる活動です。
重要な項目として、屋外スペースや住居、交通機関、社会参加など8つの項目があげられています。
具体例をみてみましょう。イギリスのマンチェスター市では、8つの基準をもとに「高齢者が生き生きと暮らせる街か?」を市の施策で再検討しました。広く、街はずれの大きな家から、交通のよいこじんまりした家に転居を促す支援などが行われています。
しかし、面白いのは、このような市の取組自体はそれほど規模の大きいものではないことです。実際には、ボランティアや自発的な活動が普及したことが面白い点です。
認知症患者を対象としたカフェや高齢者が講師となる地域の歴史講座などのボランティアの取組、映画館が遠くて見れなくなったという地域の高齢者の声から、新しい作品から古いものまで毎週映画上映会を行うクラブ活動など社会参加の機会を増やしています。
さらに面白いのは「Take a Seat」「座ってください」キャンペーンです。長い距離を歩けない高齢者のために、各店舗が道路沿いの椅子を用意して設置し「Take a Seat」ステッカーをはって、自由に座って休憩してもらう、とか。
店舗によっては「We are Age Friendly」というステッカーをはって、このような店は何も買わなくても高齢者が少し休憩したり、店員とおしゃべりをしたり、トイレを借りたりできるようになっていたりすること、とか。
さらに、美術館などに行けない施設入所者の方のために、地元の美術館や博物館が展示品を箱にいれて、巡回美術館のような形でみせて解説をしたり、それを鑑賞しながら、コーヒーとケーキを楽しむ時間をとるといった活動をしています。
このような個々の活動も意義深いのも当然ながら、これは市がエイジングフレンドリーシティと名乗りをあげて音頭ととったからこそ、市民活動も活発になっているという方法であると考えます。
注意したいのは、これを「高齢者ばかり大切にして、子供や若者はいままで以上に尊重されない、財源もなくなってしまうではないか!」と捉えないでほしいということです。二項対立ではありません。高齢者がゆっくり歩いて、休憩して、どこでもウェルカムな街。歩行者が優先されるまち。街中でいろんな人が教え、教わり、交流がある街。これは、子育て世代や学生も生活しやすい街ではないですか?
もちろん僕自身30代で、「もっと若者、現役世代を尊重してほしい!」などといまの制度に思わないことはありませんが、高齢者が安心して暮らせる社会だからこそ、高齢者を社会で助け合うからこそ、現役世代は仕事できるし、子育てに専念できる側面もあります。二項対立ではないのです。そのような社会をつくる方法としてエイジングフレンドリー社会をとらえてもらえるとよいと思います。

⑤具体例4:コンパッション都市

もっとwell beingに特化した考え方としては、コンパッション都市という考え方もあります。これも健康都市という考え方を発展させたものです。
これは「死やなにかを失うという体験を、互いに共感しあう街」と作ることで、
幸せを増やすというよりも、「不幸せの程度をできるだけ緩和する」まちになろう、というコンセプトです。
ひとは生きていれば、いろいろなことを経験します。家族の死、犬や猫など大切なペットの死、年ととって昔できたことができなくなること、急な病気やケガでやりたかったことを諦めなくてはならなくなること、そして自分の死。もっと身近でも誰かとの別れや失恋など。
そして、それ自体ではなくても、将来の自分の死や家族の死などを想像して、不安に思うこと。
死ぬこと、病気になること、老いること、そして生きていること自体が常にこのような「死」や「喪失」と隣り合わせです。
しかし、いまはそのようなことを日常的に感じたり、考えることは少ないのではないでしょうか?
だからこそ、いざというときに戸惑い、悩み、苦しむし、
どこの誰に相談したらよいのか?がわからなくて苦しんでしまうのではないでしょうか。
これを少しでも和らげるための方法のひとつがコンパッション都市です。
ただいるだけ、ただ誰かと話すことのできるような場や空間を用意すること。それはこの「風の図書室」でもいいかもしれないし、カフェでもいいかもしれません。
例えば、市全体で、喪失の悲しみについてのアートや作文の募集をして、それの展覧会をしてもよいかもしれません。
でもこのような死や喪失についての理解や共感のプロモーションは自治体でなくても、市民活動でもできるかもしれません。ほかにも例えば、患者遺族、患者自身、医師や看護師、介護士救急隊員などの専門職、お寺や教会などの宗教家による「死についての座談会」を定期開催すること。
例えば、最高の遺影を元気なうちにワンコインで撮影する撮影会のイベント。
例えば、「人生をあらわす一冊の本を所蔵する」風六堂。
このような企画も、先のエイジングフレンドリー社会と同様に、市と市民活動とが共同して進んでいくことが大事です。
 
少し脱線ですが、このような活動は地域の死生観や家族観と強く結びつくと思います。その点、安房にはもともと素晴らしい風習があり、潜在能力があると思います。
古い大きな家に訪問診療に行くと、その家のご先祖様たちの肖像画や写真がずらっと居間の壁のうえのほうに取り囲むように飾ってあることがあります。
あのような、亡くなったご先祖様たちと、年老いていく自分、そして未来の子供たちが連続的にいるんだ、と感じる日常空間というのは、この死や喪失のダメージを減らす重要な方法としてありうるのではないか、と感じています。
実は、このコンパッション都市という考え方も日本ではまだまだ未発達で、イギリスなどヨーロッパが中心となっている考え方です。この考え方自体は面白いものですが、明らかに文化の差はあるはずであり、安房地域でどのようなことができるかを考えていくことは、日本の、広く言えば東アジアでのコンパッション都市という実践のモデルとなるかもしれません。

⑥具体例3:生物多様性と健康

生物多様性もこれからのまちづくりを考えていくときに大事なテーマです。
(気候変動も関連する大切な話題ですが自治体レベルよりはスケールが大きくなりがちなので今日は触れません。ぼく個人としてはコミュニティパワーという地産地消のエネルギーシステムは面白い試みだと思います)
地域全体のことを考えたとき、安房地域にはまず農業があり漁業があります。特に、漁業、これは海の恵み、海の生物多様性の恵みを直接的に利用する産業です。さらに農業や住宅地においても、イノシシやキョンなど獣害は日常的な問題ですし、ダニやツツガムシ被害が多いのもこの地域の特徴です。
悪いことばかりではありません。そのような自然の多い地域での農業や漁業は主要な産業ですし、その中で培われてきた地域の文化、伝統があります。ウミガメが毎年産卵に訪れる砂浜があり、これはそれ自体が貴重です。
 
生物多様性というのは、ある地域での生物の種類や遺伝的な多様性だけではなく、生物がすむ環境や機能(干潟や森、草原など)も意味しています。
例えば、河川すべてをコンクリート護岸する、海辺の砂浜や干潟を災害対策のためにコンクリート護岸するなどの河川土木事業や、農業や漁業など様々な分野が大きくかかわります。
そして、生物多様性の不安定さや、自然との距離感や質の低下は感染症のリスクを増します。コロナウイルスを含むいくつかの近年の新興感染症は、不用意な野生動物との接触によるものですし、
この近辺でいえば、森林環境、高齢化や農地の過疎化による里山の貧弱化によって、森林と住宅地が近接するようになったことによる、イノシシの住宅地への出没とそれに伴うマダニなどがまさにこの問題です。
少し脱線しますが、
森林や河川の多様性の喪失は、直接的に海の生物多様性の喪失につながります。漁業は、この地域にとって重要な産業の一つであり、磯焼けは海水温上昇など地球温暖化だけではなく、その上流にある森林や河川から考えることも大切です。黒アワビをはじめ、この地域での漁獲高の減少は問題になり、例えば稚魚や稚貝の放流なども行われていますが、おおもとにある河川や海、水辺の生物多様性の回復という視点も大事なのです。
 
また、生物多様性は教育や文化的な価値もあります。実際「週に2時間以上、自然環境に曝露すると幸福感が高くなる」という研究結果があり、
緑や自然を意識した都市計画が、住民のwell beingをよくするということはある程度エビデンスが蓄積しつつあります。
「自然や緑なんかありすぎて、むしろ困っちゃうよ」と思う方も、この地域では多いかもしれませんが、この生物多様性に下支えされた農業漁業などの産業やそこの伴う文化や伝統はみなさんにとっても大事ですし、都心からほど近い安房の自然を保全していくことは、観光などにとってもメリットがあるはずです。
 
では自治体レベルではなく、個人や有志でどんなことができるか?生物多様性への取組は、視野を広げて考えても、まだはじまったばかりです。まずは基本的な調査活動。田んぼやため池や海岸にどのような生き物がいて、希少な数の減っている生き物はいるのか?外来種はいるのか?特に侵略的外来種とされるウシガエルやアカミミガメ、アメリカザリガニやバスなどがいるならこれらをどのように数を減らしていくのか?駆除活動は市民活動でもある程度できます。ウミガメの産卵地の砂浜をどのように海水浴客など観光と両立させていくか、自治会で協議することもできます。もっと簡単な方法としては、自宅や店先、事業所などのところにビオトープをそれぞれが設置することで、より湿地帯の生き物が生きやすい街になります。

⑦ひとりひとりができること:地縁型コミュニティとテーマ型コミュニティ

ここまで話してきたことは、あえて自治体ができることと住民ひとりひとりができることを分けずに話してきました。
もちろん自治体、行政、政治の役割は大事です。
しかし、それと同じくらい、それ以上に住民の活動というのが重要です。
はじめにも話したように、市や政府の財政というのはかつかつで厳しい。そしてこれから、基本的にはもっと厳しくなってくるわけです。最低限のdutyとしての仕事や役割を果たすので精一杯になってきます。
そんな中で、もちろん自治体には「果たすべき役割は果たしてください」とはいいつつ、住民自身が活動する重要性、比重は高まってくるはずです。
 
具体的には「つながり」です。
例えば、お金がない、独り身、自分では通院ができない。こういうひと、普通ならもう残りの生涯、施設にはいってもらうしかなくなることも多いです。そしてもちろんなにか行政サービスや介護、福祉サービスに頼ることもできます。
だけど、例えば、近くの自治会や民生委員さんなどが、「月一回の通院のときは車出してあげようじゃないか」とか「週1回くらいは顔見て雑談しにいくよ」とか、そのようなつながりがあれば、意外と自宅で長く生活できたりします。
 
特にコロナ禍を通じて、孤独孤立ということは問題と目立つようになってきました。
さらに高齢化が進み、核家族化も進み、高齢者の一人暮らしも多いです。
そのようなときに大事になってくるのが、地域コミュニティです。
例えば、さっきも言った、自治会、民生委員、青年会、町内会、消防団など。祭りや檀家、教会の信者などでもいいです。これらの中で、まるで家族のように親しくするのは、祭りの盛んな安房の人々にとっては、馴染みがあるのではないでしょうか。
過疎や高齢化が進む中で、このようなコミュニティを維持していくのも大変だと思いますが、このような組織をつないでいくのは、住民ができる健康やwell being、幸せのために大事なことです。
 
しかし、実はこれだけでは足りません。
さっき例にだしたようなコミュニティは実は「地縁型コミュニティ」と呼ばれます。つまり、主に地元に根付いたひと、代々地元のひとなどが中心となります。
このような組織は、場合によっては、入りにくい、と感じるひともいます。
例えば、移住者、若者。飲み会などの交流が苦手だと感じる人。なにかしらの障害をもつひと。特定技能実習生などの外国人。そのような方々です(マージナル:辺縁的な存在)
そして、このようなひとにとっては、地縁型コミュニティでは不足していて、孤立してしまうことがあります。
このときに、大事になってくるのが「テーマ型コミュニティ」です。例えば、ここ。自由に本を読むことができる。静かに本を読むこともできるし、そこにいるひととほんの一言二言話をすることもできる。ほかにも絵画教室とかなにかそのような「テーマ」をもってつながることができることができる場です。
このような場は、市民の活動でどんどんできるし、いろんな方法が考えられます。
さっきいったような、アートやスポーツなどの共通の趣味でもいいし、カフェでもいいです。さっきいったビオトープをみんなで作る、ような「活動」に注目してもいいかもしれません。海外では、ある人が、トマトやナス、サクランボなどの食べられる植物の苗や種を配って、隣人通しが互いに育つ状況をみて教えあったり、互いに水やりをしたり、する「食べられる街」という取組をしたところもあります。
さっきまで話した、健康都市、エイジングフレンドリー社会、コンパッション都市の取組も、このようなテーマ型の活動につながるところがあると思います。
 
このような住民活動をもっと進めていきたい、そこに健康やwell beingの視点をもってやっていきたい、と僕自身は考えていますし、なんとか病院として、安房地域医療センターからもそのような活動をできないか、病院のなかでもいろいろ働きかけているところです。
 

⑧おわりに

いろいろと取り留めのない話をしました。
今日は、僕がどうしてまちづくりに興味をもっているか、という話からはじめて、
なぜ健康やwell beingという視点がまちづくりに必要か、
さらに、それが安房に、そして日本や世界に必要な理由を説明しました。
さらに具体的な方法として、健康都市という考え方を基盤に、エイジングフレンドリー社会やコンパッション都市を紹介し、すこし変化球として生物多様性と健康とまちづくりの関係についてお話しました。
最後に、このような中で、住民の活動が大事で、地縁型コミュニティを維持すること、そしてテーマ型コミュニティを推進すること、その両方が必要だとお話しました。これは僕自身も病院としても取り組んでいきたいところです。
 
とかく、いまの日本、特に地方においては、人口減少、少子高齢化、財政の困難が言われます。日々、中国、インドをはじめ東南アジア各国にも追いつき追い抜かれ、欧米諸国に置いて行かれている話題が報道されます。失われた30年ともいわれます。
暗い話ばかりです。
僕自身は、この中で「坂の上の雲」の冒頭の一連の言葉をいつも考えます。
産業も乏しく、人材も乏しくなった。そのような力が乏しくなった国や地域が、「少年のような希望」をもって、「楽天主義」をもって振る舞っていく。
「僕たちは、令和という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう」
これがいまの時代の人に必要とされるものであり、
僕自身は、みんなが東京を目指すマッチョな、そしていままでの常識的な目標ではなく、
みんなが幸せ well beingに暮らしていける社会、若者と高齢者の二項対立ではなくて生涯を通じて安心して生活していけるまち。
そして安心するからこそ、結果的にある程度の経済や産業も維持される社会
経済以外も含めた豊かさと、それを下支えする産業や経済とが二項対立ではなく両立する社会 これこそが、目標となる「坂の上の雲」だと信じているし、そのための視点として今日このような話をさせてもらいました。
 
今日の話がなにかの参考になって、
自治体に、健康やwell beingの視点が活かされたり、
住民活動が活発になったりしていっていただければ、とてもうれしく思います。
今日はありがとうございました!

『まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
 産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
 社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
 今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中がヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。
財政が成り立つはずは無い。
 が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、
維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。
(中略)
 彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
 登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。』

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