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ムニャムニャTHE WORLD始動中

おはよう。ん、最近良く眠っているどころか眠り過ぎているので怠け者と言われても認めざるおえない。無駄な抵抗は〜ほにゃほにゃ。と起きて早々にもう1人の自分に叱られて朝、ではなく昼から気分はモードBAD。ではなく BADモード。

こんな日に限ってなのか、寝過ぎたからか体力が有り余っているせいで、無駄な意欲が掻き立てられ体力を使いたくて仕方なくなる時がある。困る。計画性が無い為そのエネルギーの矛先が血迷い、日記を書いてみるがこの創作意欲をもっと別のものに向けられなかったかと悔やみそして暇になる、そんな午後。

この体力無駄発動欲が起こって、前回も日記をババッと書き上げた。まあまあ満足していたが何となく気になってしばらく経ってから読み返してみたところ、なんか思ってたんと違う…的な内容の仕上がりで、誰も見てないだろう自分日記に自分でNO NOとツッコミ風の訂正を入れてみた。そして読み返してしまったが故に自分の日記構成の下手さにびっくり仰天し、文章の散らかり具合に宇宙の裏まで行って絶望するという、予想外の落胆を経験し、改めて反省させられる羽目になってしまった。

定時後、忘れ物を取りに帰ったら上司に無駄に見つかって怒られたサラリーマンと乾杯したい気分とはこの事よ。とほほ…

前回日記の内容は人生なんてつまらないという不穏な空気が節々にあり、変に悪目立ちしてしまっていた様な気がして、これは伝え方のテイストをかなり間違えたな、でもなんか訂正するの恥ずかしい…という羞恥心を隠す為、ノリでNO NO騒いでみた。すみません、実際は結構幸せな生活を送っており、むしろ幸せ過ぎてため息出ちゃう…くらいの貴族的心境だから文章のニュアンスとは恐ろしい。

どこから間違えだしたのか、意思と疎通が別々を行ったのか今となっては謎に包まれ闇は深い…。推測しようと思ったらお腹が空いてきたので疲労回復効果高い=ブドウ糖豊富=なラムネを食べた。口の中でしゅわっと溶けて美味しかった。

ぽかぽか陽気で心がほだされる。ここ数ヶ月、周りにいる人の心の美しさや純粋無垢な素直さが、なんだかキラキラと眩しく愛おしく見えて、なんて素敵なのだと半開きの口を慌てて戻しながら呑気に過ごしていたのだけれど、あまりに暇過ぎたからか、ところでわたしとは何?という疑問にぶつかってしまい、昨年30を迎えた成人はこれでいいのか、イヤマズイ。と途端に追い込まれ、じゃあどうするという自問自答の末に前回の日記の流れに着地したのではないかと推測していたら眠くなってきたのでコメカミのツボを押してみたけど特に改善効果は見られなかった。

要するに周りが凄すぎて、自分を見失ったというところだろう!バタバタ!静かに!

着地したところが正解かはさて置き、色々と考えて疲れたので、形だけでもしゅんっと落ち込んでみたら、より眠たくなったので全て放棄した。ムニャムニャ…

ムニャムニャと言えばそれはニャンニャンに少なからず通ずるものがあって、ニャンニャンと言えば大体の人が猫を想像する。猫といえば今わたしはジャスト猫ブームなので、猫は飼っていなくとも、猫という言葉を聞くだけできゅんっと胸が高鳴ってしまう、猫とニャンニャンワシャワシャを妄想してみると疲れ、とううワードごと星の彼方まで飛んで行ってしまう。脳細胞の半分は猫に関する情報で反射反応するように頭様にお願いしているところなので、ニャ。等の拗音を聴くと猫を最速で当て嵌めてしまう。よって些細な猫情報を聞き漏らすこと無く猫世界に入り浸る準備ができている。

猫は良い。と潔く言い切れる程、個人的に猫は本当に有難い存在で、猫アレルギーで彼らと生活をした事もないわたしが言えることではないかもしれないけれど、その見た目とフォルムの可愛さや愛嬌で、今日に至るまで幾度も孤独から救われ、癒しをもらったことか。4年程前に出張で福岡に住んでいた。社宅マンションの裏に愛宕神社という神社があった。各地にある愛宕神社の一つらしく(良く言えば)落ち着いた感じの雰囲気で人影はほぼ無い。行けば猫ばかりいて、可愛い野良猫を人差し指でチョンチョンと撫でていると(アレルギーなので指が精一杯)次から次へと猫が集ってくる。最後には10匹位集まって猫集会になり、中心にいる私が総長あたりに任命されても困るので空気を読んで退散する。という友無くとも充実した愛おしい日々があった。調子に乗って集会に長く居座り過ぎた日は、帰宅後鼻水が止まることはなく、ひとり大号泣、くしゃみは翌日まで引きずった。このくらいのリスクなんてヘッチャラだった。だって可愛いかったから。名前も知らないから適当に声掛けてたのは悪かったと思うけど、孤独な日々を共に過ごしてくれてありがとうと心から思っているぞ愛宕の猫たち。福岡に行って1番最初にできた秘密の友達だったのかなぁと思っている。

最近では接触できる程近くに猫がいないので、仕方なく猫好き作家のエッセイを読んで猫に身を捧げた方々の独自の愛情表現や、猫様の生態、個々の性格等を細かく知ろうと、猫リスペクトを込めて数々の解説を面白おかしく勝手に学ばせていただいている。

町田康も猫好きとして有名な作家のひとりで「猫にかまけて」から始まるエッセイシリーズは4作で完結する。相変わらずの町田節と個性強き主人公が弱々しく感じる程、愉快な猫たちとの長きに渡るサクセスストーリー?が見所となっている。作中で著者が猫に言われて(無言で悟られて)いる気がしてはっとするシーン、人間の煩悩なんて無駄無駄、とのこと。うむ、やっぱりそうですよね、すみません。と速攻でわたしも小さく頷き同意する。

あの猫様に言われてしまえばもう悟られたも同然、今までの悩みがすっと消えて無くなり、身体が綿菓子の様に軽くなる。焦っても個性なんてすぐ見つからないし、見つけようとすれば次に欲ばかり増えていくのだから、まったりしたらいいじゃない、これからゆっくり時間をかけて自分を探しに行けばいいさ。のほほのほん~。と自分の膝に猫の手がトンっと乗った様な気がして膝に自分の手をそっと添える。

ありがとう、猫。猫の形に似てそうな雲を探す。珍しく晴天で雲一つないから仕方なく道端の猫を探してみる、全然いないので諦めて愛おしい存在だぁ、と物思いに耽って心で猫ダンスする。(町田康風)

毎回恒例の惚気だが、愛おしい存在と言えば私の好きな人も猫みたいだと思い返す。この前なんて日当たりの良い窓辺に突然向かい、日差しを気持ち良さそうに浴びて穏やかに喜んでいた。よく見ると顔が猫っぽいかもしれないし、生体的にも猫感なくはない、むしろ近い気がする。

さて置き、そんな彼はころころ表情が変わるので見ていて飽きないし賢くしたたかで優しく初老みたいなところがあるので癒される、可愛くて格好良い。イケメン。顔が格好良い。(もう猫関係ない…)変わり者だなと思う瞬間が多く、まあこれがほぼ決め手で猫かなと思っている。

わたしから見た彼は誰よりも眩しい存在なので、わたしも常にバージョンアップして飽きられずに生きていきたいと思うからこそ、焦ることもあるっぽいが(突然他人事)彼には彼の良さがたくさんあって、それを見て行けたら最高だし、わたしはわたしで良さってのが殆ど無いとしても彼だか猫だかに、助けてもらって、そしてほっとできている訳なので、これからもまあそれで良いかなと穏やかに思う。力が抜けて一安心したらお腹がぐぅと鳴った。ラムネじゃ足りないよね。

今日も今日とてにゃんだか良い気分。眠たくもなるし。
愛しの猫、いや彼が今日も幸せでありますように。


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