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きゅうりにケチャップをつけると、マックの味がする

うちの実家の畑(という名の、梅雨の期間中に雑草が繁茂した裏庭の一角)には、きゅうりが育っている。

「きゅうりを育てている」ではなく、「きゅうりが育っている」と書いたのは、我が家の野菜の栽培方針によるもので、うちでは基本、野菜は「種を蒔いて、育ったやつだけ食べる」という、良く言えば放任主義、悪く言えば死ぬほどズボラな菜園計画を打ち立てているからだ。

件のきゅうりも、本来ならば蔓が伸びてきた段階で支柱に巻き付けて、上へ上へと伸ばしていくのが模範的な育て方なのだろうが、もちろんうちでは支柱なぞ取りつける甲斐性もなく、生き残ったきゅうりたちは逞しくその蔓を横へ横へと伸ばしていった。


さて、書き出しから農家さんに白い目で見られるどころか、眼球が一回転して逆に黒目で怒られそうな内容になってしまったのだが、本題はここからなのである。

そう、こんな劣あk…厳しい生存競争を強いられるような環境で、見事にも成長し、実をつけたきゅうりが誕生したのであった。

今朝、畑に赴いた弟が発見して、もいで持って帰ってきた。


横ばいの蔓で日陰になりやすかったために、さすがに市販のきゅうりほどの大きさはなく、全長は10~15cmほど、少し大きめのピクルスみたいなのが、1本。それでも我が家は、知り合いに初孫が生まれた程度の歓喜に包まれた。

まずは、家族でひとくちずつ、味噌やマヨネーズなどをつけずに生の素材の味を楽しむ。意外と水気が少なく、それでもそこそこの甘みとほのかな青い香りが楽しめる、熾烈な環境を生き抜いてきた事実からは想像もつかない、朴訥とした味わいだった。

イメージとしては「昔はやんちゃしてたかもしれないけど今では良い感じにこじんまりとまとまった、哀愁漂うおじさん」という感じだろうか。これほどまでにおいしさの表現に首をかしげる食レポもなかなかない。


さて、各々がきゅうりを齧り終え、残ったきゅうりの半身をどう食べようかという段階に至って、ついに弟が奇行に走る。

「きゅうりってさ…ケチャップにつけて食べたらどうなんだろう…」


今日の朝食でウインナーを食べたのだが、その時に使ったケチャップの余りが皿にべっとりと貼りついていた。おそらくそれを見ながらの発言だったのだろう。

それにしても、きゅうりには味噌とマヨネーズ、生まれた時からこうして育った自分には、きゅうりに味噌とマヨネーズ以外のものをつけて食べるという発想自体が思いもよらないものだった。

男子大学生、ここにきて実家でのカルチャーショックを体験する。


なかなか、自身の日常と異を呈する現実に出会ったとき、人はそれを受け入れるのには時間がかかるものだ。僕も最初は、条件反射で「いやそれ絶対マズいだろww普通に味噌とかで食っときな」と言おうとしてしまった。

しかし、世界のさまざまな文脈でダイバーシティ(多様性)が叫ばれる現在、こうした「今までそうだったから」という理由だけで、新たな価値観や文化を否定することは、果たして正しい事だと言えるのかという疑念が頭をよぎった。

時代は変わったのだ。僕自身も、このきゅうり×ケチャップという新たなカルチャーを受容こそできなかったとしても、理解しようとする姿勢は示さねばならないと思った。


「いやそれ絶対…でも、トマトときゅうりの夏野菜の相性は抜群にいいし、ケチャップってそこに酢と砂糖と塩が入ったものだからね!うん、全部きゅうりに合うと思う!いいよ、やってみなケチャップきゅうり!!」


人はこうして新たな文化を学んでいくのである。


さて、兄からの承諾を受けた弟(17歳)は嬉々としてきゅうりにケチャップを塗りたくり、口に運んだ。彼は一体、どんな感想を漏らすのだろうか。

ポリッ…






・・・・・・マックの味がする。

意外。あまりにも意外。そこに表れたのは、「おいしい」でも「まずい」でもなく、「マックの味がする」であった。

しかも、その感想を語る弟の顔は神妙そのもので、とてもふざけて言っているようには思えない。人間、食べたものを口にしたとき、まず真っ先に出てくるのは「美味い」か「不味い」かであろうが、それを差し置いての「マックの味がする」なのである。

一体、どれほどマックの味がするというのであろうか。


そう考えていると、弟はこの体験を一刻も早く僕にも味わわせたかったのだろうか、さっき彼がしたのと同じように、きゅうりにベトリとケチャップを塗り、ニヤニヤしながら僕の方へと差し出してきた。


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これを受け取ったとき、僕は「あ、今回のこれ記事にしよう」と決意した。何か大きなことが起きる気配があった。写真のピントが微妙に合っていないのは、これから起きる出来事への武者震いか、はたまた腕の筋力がなさすぎるために生じたカメラの手ブレによるものか。

なにはともあれ、このケチャップきゅうり。赤と緑の反対色のコントラストが、この国の食べ物とは思えない情緒を醸し出している。悪魔の食事とはこういうものを指すんだろうなと、心の奥底で思った。


弟に見守られるなか、ソファに座りながら、いざ実食。

ポリッ…






「・・・マックの味がするッ?!?!

それは、想像以上にマックだった。子供の頃、買い物のついでに食べに行くことが楽しみであった、あのマックのハンバーガーの、ピクルスとケチャップが混ざったあの風味・・・。

人間は、逆三角形に並べられた3つの点を見ると、それを人の顔だと認識できると聞くが、まさに今回の体験はそれであった。

つまり、バンズやオニオン、パテやレタスなど、「マックのハンバーガー」を形作る構成要素たちを取り除いていっても、ケチャップとピクルス、これさえ残っていれば、「マックの味」というものを認識できるのだということが、ケチャップきゅうりによって図らずしも証明されたのであった。


食べているときの食感は、きゅうりのボリボリとした主張が激しく、マックのハンバーガーとは似ても似つかないものだったが、それでも「俺は今、マックのハンバーガーを食べているんだ…!!」という、謎の実感が僕を襲った。

ケチャップきゅうりを食べ終えたあと、僕は一言、「マックのハンバーガーを、綺麗に因数分解できたみたいな味がする」と、読者には一向に伝わらない感想を漏らしたが、弟だけはめちゃくちゃ頷いてくれていた。


一度、試してみてほしい。

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