東大受験の思い出

東大卒は常に鬱病と隣り合わせな存在である。

東大に合格したあとに、それと同様の栄光を享受できる経験を持つことができる人はほんの一握りだ。

あらゆる周囲の人間から祝福され、賛辞を受け、これからの自由な大学生活に思いを馳せる。そんな幸せな時間を今後の人生の中で謳歌できることは、もうほとんどない。

ほとんどの東大卒の人生のピークは、東大合格から東大入学までの1ヶ月間だ。

そして、人生のピークから遠ざかるにつれて、社会に生きる悲しみを知って、だんだん鬱病を加速させていく。

世間知らずな自分は、中学3年生になって初めて、高校に入学するためには受験が必要だということを知った。そんな世間知らずが世間には少ないのか、この話をするといつも驚かれる。

中学3年生のときに、友達に誘われるがまま、地元の塾に通い始めた。当時は高校に入るためにわざわざ勉強をするなんて恥ずかしくて、塾に入るときはかなり緊張した。僕は意識の高い系の人間が苦手である。目標に向かって努力をすることが恥ずかしかった。地元の中学も、勉強ができる奴はいじめの対象になりやすかったので、勉強それ自体に対して後ろめたさを持っていた。

初めての授業で、宿題をどっさり渡された。ほとんどの生徒は中学2年生から入塾するので、カリキュラムに遅れをとらないように、キャッチアップのための宿題だった。学校の授業ではまだやっていない内容が多く、苦労しつつも宿題をこなした。周りのクラスメイトは知らないうちに自分よりも先に進んでいるのだと思うと気が滅入った。

入るときは抵抗感があった塾だが、入ってみると居心地が良かった。塾の先生は教育熱心で、当然だが勉強をすることに対して肯定的だった。僕はクラスでいじめられないようにテストでは70点台くらいを狙ってとっていたので、テストの点数が高ければ高いほうが褒められる環境が新鮮で、人生で初めて勉強が楽しいと思えるようになった。

入塾後2ヶ月が経ち、塾内テストが行われることになった。

テストでは、入塾が遅かった僕がまだ知らない内容の問題もあり、全くわからずに飛ばした問題も多かった。

それでも、蓋を開けてみると自分は塾内1位の成績をとっていた。そこで自分の中の何かに火がついたことを感じた。前から通っている友達たちを尻目に、最近入塾したばかりの自分が1位をとった。なんだ楽勝じゃないか。俺はできるやつだったんだ。学校ではいじめられないように70点台をとるようにしてたけど、本当はやればできるんだ。

そこからは勉強にのめりこんでいった。成功体験は人間を変えるということが今になってよくわかる。今の自分が鬱病なのは成功体験が少なすぎるからだ。高学歴ばかりの世界にいると、何をやっても褒められることなんてほとんどない。できて当たり前の世界で自尊心を保ちつづけることは困難なことだ。

入塾の遅れはすぐにキャッチアップできた。それどころか、塾の授業内容も追い越すようになっていた。

入塾から半年で、僕は高校受験数学の範囲を飛び抜けて、青チャートで三角関数・指数対数・微分積分の勉強をするようになっていた。私立中学受験組なら中学3年生でその程度のことは当たり前かも知れないが、地元の公立中学生の自分にとってはみんなの知らない世界を突っ走っている感覚があって爽快な気分だった。

高校受験においては三角関数・指数対数・微分積分の知識は何の役にもたたないが、そんなことはどうでも良かった。ただただ数学の勉強が楽しくて、それだけをやっていたかった。

関数の接線の傾きを求める方法を知ったときの衝撃は今でも忘れられない。limという記号が美しくて、いろんな関数の接線の傾きを何度も求めていた。

高校数学を学ぶと、高校受験で要求される中学数学が途端につまらなくなり始めた。高校受験で出る問題のレパートリーは非常に少ない。その頃には何も考えずに解けるようになっていた。

ただ、数学に熱中しすぎて他の教科が疎かになっていた。国語は最初からやる気がなかったのでいいとしても、英語の成績が下がりつつあった。英語の教師からは高校数学をいったん辞めろと言われた。受験本番まで半年を切っていたので、そりゃそうだよなと思って青チャートを眺めるのはやめることにした。

塾の先生の言うことは何でも正しかった。高校数学の勉強を辞めると英語の成績は着実に伸び始めた。数学はもう学ぶべきことがないくらいだったので、数学の成績が下がることはなかった。

高校受験は数学と英語こそが命だ。この2つを完璧にしておけば、もう何もいらない。と思っていたところに、塾の先生は欲を出し始めた。

高校受験は国語・数学・英語の3教科が受験科目であることが通常だが、一部の難関校は理科と社会を加えた5教科が出題される。

受験本番まで3ヶ月と迫った11月頃に、急遽理科と社会を勉強して難関校を受験するように言われた。

そういえば自分は志望校を決めていなかったことに気づいた。受験は志望校を決めて受けるという当たり前のことを忘れていた。そういう社会の仕組みのようなものを知らずに目の前のことに集中してしまう性分が、今の自分をダメにしている根本的な理由だと思う。

とにかく塾の先生はいつでも正しいので、理科と社会を勉強して難関校を受験することにした。このあたりからは記憶がほぼないが、初めて受験らしく自分を追い込んで勉強していた。なにしろ受験本番まで時間がない。楽しくもない理科と社会を勉強することは苦痛だった記憶があるが、難関校合格というプレミアムな称号が欲しくて頑張っていた。

結果としては、難関校を含むすべての高校に合格した。

どの試験でも上手くいった手応えを感じていたので、あっさりと合格した感じだった。

中学受験組の話を聞くとみな壮絶な闘いをくぐり抜けてきたようなので、きっと高校受験は中学受験に比べたら相当に難易度は低いのではないかと思う。

しかし「受けた高校はすべて合格」というトロフィーが、後に自分を鬱病に追いやるトリガーの1つになるとは思っていなかった。

東大受験の話へ続く。

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