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卵の思い出
小さい頃から白飯だけで食べるが苦手でした。
今でも炊き立ての新米ごはん=銀シャリの美味しさに感動するものの、二口目からはそのごはんの友となる、シャケに明太子やすじこ、お漬物、海苔の佃煮が欲しくなる。子供の頃はおかずやふりかけが無いとごはんが食べられず、お弁当でおかずとごはんのペースを間違えた時用にいつもふりかけのパックを一緒に入れてもらっていた。
家の朝ごはんでは納豆よりも卵かけご飯が多かったように思う。
ある時からは、目玉焼きのっけごはんも定番になった。
覚えているのは、卵かけご飯を食べようとして小鉢に卵を割り入れると、ごくたまに、双子だったり、卵黄がくずれていることがあった。双子は双子で(小さい卵黄が二個でも)とても得したように思えたし、卵黄が崩れているときも「ラッキー☆」と思った。崩れているのにラッキー☆はなぜかといえば、卵黄が崩れている時だけ母親が醤油と砂糖の甘じょっぱい煮汁で卵をさっと煮てくれたから。この甘じょっぱい煮は、前日の天ぷらの残りを翌日食べる時にも登場したし、その後、卵をあぶらあげの中に入れて楊枝で口を閉めて煮たものが食卓にあがったこともあった。
子供の頃の私はこの卵の甘じょっぱく煮た食べ物は、偶然割った卵が崩れていた時だけしか作ってもらえないものと思い込んでいたので、割ってみて初めてわかる卵黄の崩れには「あ!」という喜びの声をあげたのでした。
大人になって実家でその話をしたときに、母親が「え?そうだったの?好きだったらいつでも作ってあげたのに。」と言った時には、「え?そうなの?」とかなり驚いた。勝手にレアメニューと決めてつけていたのでした。
自分の台所を持つようになって、好きな時に好きなだけ作れるようになったけれど、ふと考えたら、一度も自分では作ったことが無い事に気が付いた。今夜あたり、ごはんにのっけて食べてみようかな。
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