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#39 塾へ

エジソンの母になりたいと思ったんです。
発明しまくるエジソン。その母です。

子供が学校に行かなかったり、長く休んだり、休みがちになったり。あると思うんです。
僕の娘は小6の6月から卒業まで、夕方1時間だけ車で行き1対1で授業を受けました。学校、親、子供の3者で「どんな形がいいですかねえ」といろいろ考えてこうなったんです。
とてもよかった。とても感謝している。校長が許可すればどんな形でも出席になるし。
しかしあの、テストの点はずっと低いです。
「点なんて今はいい。どうせなら楽しいことやろうぜ」と平日に雪山へ行ったりイオンモールでフラペチッタりしたものです。甘いね。
そんなことをして中2くらいになると進路をどうすると大人の空気がまくし立ててきます。
小学校は散々楽しくやってきたのに、周りの大人もそんな空気でやってたのに、中学校はガラッと変わるのなんなんでしょうかね。僕だけですかね未だにしっくりこないの。
「いやもうそういうフェーズじゃないんで」
やかましいわ。
「将来の設計しないとダメっすよ」
将来の夢はメジャーでホームランキング、大谷翔平かよこら。すげえなあの人。

もうシンプルにテストで点が取れんのです。
そりゃそうですよね、例えば数学は過去にやったものの応用、つまりこれまでの積み重ねなので、一度脱落してしまうと次のステップに上がれないんです。
でも授業は進んでいくじゃないですか。
追いつけないともうズルズルです。
先生も1人にたいして時間を割けないですもんね。
小学校の後半は全ての教科丸々やってないので中学校から途中参加はなかなか難しい。
ツライことをさせてしまいました。
今思うといろいろやれることありましたね。

小さいころ、エジソンの伝記を読んで鮮明に記憶している箇所があります。小学校を3か月で退学し、母が「私が学業を教えたるわいっ」と先生達に啖呵を切るシーンです。しびれます。
つまり僕が教えればいいじゃんとずっと思ってたんです。
まあ甘い考えでしたね。
知ってるのと教えるのは全く別の世界で、別の能力が必要です。
エジソンママは教える能力がバツグンだと伝記が言うてます。
僕も妻も仕事がありますし、長く時間を割くことが難しい。
数時間作ってもこの時間で教えようとこちら側のギアが変にカカッてしまうんです。良くないですよね。でも良くないことが起こるんです。ダメなんです。
そしてなんといっても、横で教えてるときの娘の顔よりも、集中して何かを作ったり、絵を描いたり、猫が運動する大きな回し車(キャットホイール)にボールを置いてひたすら回る様を眺めていたりするときの顔のほうが好きだったんですね。
これはイカンわい。エジソンママ、偉大なり。教えるなんてもう辞めます。

2個のボールがぶつかり合う。どちらが強いかかれこれ数十分

塾はどうなんだろうねえ。ボソッとこぼすと「気になってたんだよね」と即答するので近場の学習塾へいくつか体験授業を申し込んだ。
周りの友人がポツポツ通い始めたのを聞いて考えていたらしい。
ちなみに僕も妻も塾へ通ったことがない。システムがわからないから親も話を聞くのが楽しみだ。
体験授業を何度も受け、説明を受け、1つの塾に決めた。
1番広くて、1番キレイ、1番システムチックで、「いいなあ僕も一緒に通おうかなあ」とどこの塾でもわざと言うと、ここの塾長の返事が1番よかった。
付け加えると、1番高い、そして、ちょっと遠い。

何年も前の夜、散歩をしていたんです。
近くの塾の前を通るとまだ明かりがついてました。
こんな遅くまでやってるんだと驚いていると学生が出てきて自転車に乗り行ってしまいました。
大変だなあ。でも楽しそうだなと羨ましさがありました。
15歳前後で、夜に自転車を駆けるなんて、運動部か学習塾じゃなきゃ経験できないですから。僕はなかったですね。帰りにコンビニでなにかを買ったりさ。
案の定、娘は「勉強たのしい。帰り道、風が当たって涼しい。こういうの憧れてたんよね」と言う。ああ、よかった。
すぐに塾用の財布を用意した。

僕と妻は人に教える能力がなかった。
そもそも、年頃の女の子が隣に父や母がいて何かを教わるなんてダルイですわと感じるだろう。親の言ってることが正しいとかどうでもいい。ダルイんだよ。
甘々でしたね。僕らも同じように思っていたのに。
親は違う部屋にいるからね。というのもイマイチだった。
父や母ではない、この場所ではない、出会ったことのない人から、しかも教えるプロ、第3者がハマったのだ。

塾の目的は成績を上げることだ。目標の学校があるなら到達するように。さらに点を積めるように。
でも、僕は、成績が上がらなくてもいいんじゃないかと最近思う。
あと半年ほど通う予定だから全く変わらないことはないと思うけど。
それよりも成績ではない得るものが大きいような気がしている。
それは子供も、親も。
エビデンスはないっす。

小津安二郎監督の東京物語(1953)、終盤でこんなセリフがある。
○「でも私そんな風になりたくない。それじゃあ親子なんてずいぶんつまらない」
●「そうねえ。でも、みんなそうなっていくんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ」
○「じゃあ、お姉さんも?」
●「ええ、なりたかないけど、やっぱりそうなってくわよ」
○「嫌ねえ、世の中って」
●「そう、嫌なことばっかり」
すばらしい作品なのでぜひAmazon primeで見てほしい。
いつのまにか自転車を乗りこなし、塾へと向かう娘の後ろ姿をみて東京物語が頭によぎった。

雨の日は車で塾へ送る。昔と比べて口数は減ったかもしれないけど、何かを考えるときに口元に手を持っていくのを見て安心感、のようなものを覚えた。
そのクセ、おれもするわ。


おかげさまで、生きていけます。