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Oから始める自分を探し

鬱の後半期における「②自分探しステージ」のお話。
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①ステージで崩壊が起きているのため、0から自分を探している状態。
本当の自分がわからないので、本来の私を探している。

②自分探しステージ
/本当の自分ってどんなだっけ?私って本来どんな人なんだっけ?
/いままでの人生において投げ掛けれた私をあらわすと思う言葉を書き出す
/19性格診断やエゴグラムなど自分を表してくれる助けになりそうなものに挑戦する。
/私ってなに?を問い続ける。

4ステージ別の回復ステップ



能力としてできることと、私らしいことは違う。


まずは「いままでの人生において投げ掛けれた私をあらわすと思う言葉」を書き出した。履歴書の長所に近い。良いところを挙げてみたのだ。

/理解力が高い
/共感力が高い
/判断能力が高い
/情報収集能力が高い
/観察力、分析力が高い
/つじつま合わせが上手い(要領がいい)
/合わせられる(空気が読める)
/ニセモノを見抜く力がある
/人の発言をおぼえている記憶力がある
/パターンを見出すのが得意
/人の行動や物事の進み方について特徴に気づくのが上手
/親しい人の行動ほど分析してパターンを読み取れる
/真面目で、論理的思考力が発達している
/知らない場所知らない人に臆することはない
/人見知りしない
/人との出会いにおいて関係を継続させる大切さを知っている


一通り、並べて気づいた結果。
高いとか低いとかばっかり。能力って他と比較したときにでる数字みたいなものだから、差を示す表現なんだ。

なんじゃこれ。強み?全く嬉しくない。
こんなのは今まで対外的に固めてきた鎧についてだ。
外側に見せている自分という鎧についてのコメントだ。

私らしさってどこなの?
人と比較して唯一なことがあれば、それが私なの?
疑問が深まるばかり。


本来の自分ってなに?

能力としてできることの中に、私が私らしいと感じるものが無い。
書き出した能力たちは、確かに褒めらてきたと思う。
でもそれは、必要にかられて身につけてきた能力だった。

6回学校をかわっている転校生の私は、人見知りなんてしてしていたら居場所はなかった。外から来たものには状況がよく見える。おのずと観察力も上がるし、分析し、判断し、その場の環境に合わせていく力が身につく。友達はその時の友達であって、引越してしまうためずっと友達でいたいと思う人たちには自ら連絡をとり続けることが唯一の方法だった。

そうじゃなくて、もっと環境うんぬんに関係なく、もっともっと小さいときの損得や必要性やらを考えないような、そんな年齢の私ってどんなだったんだろう?そう思い始めて、能力以前の自分を思い返すことにした




他人の価値観を埋め込まれる前の私


言葉を聞き取って行動する前かな。小学校入学前、きっと6歳より下かな。
そう考え思い出すことにした。どんなだったけ私。再び書き出した。
/走ることが好きだった
/ブランコで風をきること
/どこまでも遠くへ走ること
/妄想すること
/いつか空を飛べると信じていた
/自然の声を聞いていた
/友達の中に後光が差している子がいて不思議に思っていた
/何でも1番が良かった
/弟のことが憎いといった記憶
/弱そうな子を虐めてしまっていた
/妖精の世界が好きだった
/葉っぱを眺めているのが好きだった
/お花とお話するのが日課だった
/キラキラ輝いている水面を見ていたかった
/ガラスの破片やガラス玉を眺めるのが好きだった
/絵をかくことが好き
/好きなひとが同時にたくさんいた
/男の子も女の子と遊ぶのも同じように好きだった
/グループじゃなくて1人でいて楽しかった
/高いところののぼること
/動物みんな大好き


「好き」と「楽しかった」ばかりが並ぶ。
1度には思い出せないが、あぁそういえばと、時間がふと思い出させてくれる。
これらには、〇〇が好きだからって何の役に立つの?という価値観が無い。
好きなことに理由が必要なかった時代だ。
言語化して人に伝えることがそんなに義務化されていなかった時代では、
何だって好きでいて良かった。
理由がなく、ただ走ることがすき。
理由がなく、ブランコで風を感じたい。
理由を述べるときは、相手がいるもので、それらしいものを提供すべきだというプレッシャーがある。子供はしっかりそれを感じる能力がある。
そしてそれが親的(社会的)に、教わったことに沿わないことだと分かると、嘘をつくようになる。だからポイントはその前。




本来の私に還る

好きなことに理由がなかった時代。
ただ存在しているだけで良かった時代。
ただ私として生きていた時代。たぶん、元々もっていた感性たち。
本来の感性のままの私。
そうか、思い出せば還れるんだなぁ。


ここまでは、ただ気づきなんだけど、本来の自分を思い出すのはなんだか朗らかな気分になる瞬間だった。
この朗らかさが好きで、自分に還ろうと意識をすることができるようになっっていった。自分探しは本来の自分へ還る道のりだった。

そして後のち、気づくことになる。
「いつの間にか本来の自分とは程遠いものになろうとしていたんだなぁ
。きっと苦しかっただろうなぁ。」
生まれてきたのに、本来の自分を無視して、自分で自分を殺して、
自分ではないものになろうとして生きることは、悲しいことだったんじゃないだろうか。そう思い始めるきっかけになったのが自分探しだった。






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