見出し画像

「インヴェンション・オブ・サウンド」(チャック・パラニューク著、池田真紀子訳 早川書房) 書評

 「想像による恐怖は眼前の恐怖に勝る*」 と言いますが、本書『インヴェンション・オブ・サウンド』(チャック・パラニューク著、池田真紀子訳 早川書房)はこれを巧みに利用し読者の恐怖感を刺激してきます。読み手は文字で描写される世にも恐ろしい音を想像しては背筋を冷やし、不穏さ満載でありながら核心部分は描写されない音の採取方法について、おぞましい想像をあれやこれやと掻き立てられます。やだなあ、怖いなあ、とドキドキしながらも、次の展開が気になってページを繰る手は止まらない。怖いのに、いや、怖いから止まらない。
 物語の主要人物は、行方不明になった娘の手がかりを探して長年ダークウェブを徘徊するうち、周りは幼児性愛者だらけと疑心暗鬼になってしまっている中年男フォスターと、心に問題を抱えながらも圧倒的な悲鳴音源を武器にショウビズ界で生きる若き女性音響効果技師(フォーリー・アーティスト)ミッツィ。最初は接点の無い二人の物語が、往年の B 級ホラー映画俳優ブラッシュが絡むことで徐々に繋がっていくという構成。このブラッシュ(代表作は『血みどろベビーシッター』)の存在が物語のおどろおどろしさを軽減し、本書に冒険活劇的面白さも加えています。
 喪失感・罪悪感の補償行為としての依存(疑似親子関係、薬物、アルコール)、集団の感情的反応が集まった時の暴力性、行為の作為性とその責任、など「盛り込みすぎでは?!」と感じるほどいろいろな要素が詰め込まれ、荒唐無稽なイヴェントやどんでん返しが続き何を信じてよいのかだんだん分からなくなってくるのですが、これこそが作者のたくらみなのかもしれません。「森の奥で鼻が折れたとき、それを録音してフィルムに焼き付ける者が誰も居合わせなかったら、その鼻は本当に折れたのか?(p67)」---有名な哲学上の問い**をもじったこんな一節にも伺えるように、本書を通じて読者は「本当に起こったこととそうでないことの違いは何か?」という問いを投げかけられるのです。
 前著「ファイト・クラブ」にも劣らぬ疾走感の本書、ぐいぐい引っ張られて一気に読んでしまうこと必至ですが、最初のころの情報がかなり後になって「そういうことか!」と伏線回収されたりするので、気を抜かずしっかり咀嚼しながら読みましょう。睡眠不足は覚悟して!

*”Present fears Are less than horrible imaginings”, Macbeth, Act I, Scene 3 by Shakespeare
**George Berkeley (1710) A Treatise Concerning the Principles of Human Knowledge


書評講座第4回の課題図書で書いたもの。Political correctnessの観点から言葉をいくつか修正し、やや尺を取りすぎていた「森の奥で一本の木が倒れたら…」の部分を簡潔にし、書評中で作家の別の著書についても触れるとそれも武器になる、という講師豊崎さんのお言葉から最後のパラグラフに「ファイト・クラブ」を入れました。
やだなあ、怖いなあ」の部分は稲川淳二さんの声で脳内再生していただければ幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?