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「星の時」(クラリッセ・リスペクトル著 福嶋伸洋訳 河出書房新社)書評

 1977年に出版された『星の時』(クラリッセ・リスペクトル著 福嶋伸洋訳 河出書房新社)の翻訳が2021年に出たのは、その前年が作家の生誕100年だったかららしい。作者はウクライナ生まれのブラジルの作家で、本の帯には「23言語で翻訳、世界的再評価の進む20世紀の巨匠」「伝説的作家の遺作にして最高傑作」と錚々たる謳い文句が並ぶ。

 私がこの厚さ1㎝程度の本を最初に手にしてから読み終えるまでに1年半もかかってしまったことの言い訳をするなら、本作は変わった構成をしていて、すぐに物語世界に入っていけると期待して読み始めたら当てが外れたので途中で止めてしまっていたのである。本作はロドリーゴ・S・Mという男性作家がある女性についての物語を書き進める、という形式を取っており、この作中作家の視点で、これから語られるであろう物語の着想と、それをどのように語るべきか、という逡巡がまず延々と語られる。ここが長い。「いいから早く本筋を」ともどかしくなる。だが、これから読まれる方はぜひ挫折せず読み進めてほしい。とても変わった読書体験ができるだろうから。

 ようやく語られ始める本作のヒロイン・マカベーアは、ブラジル北東部の荒野から来た女(ノルデスチーナ)。早くに親を亡くし、叔母に引き取られるも虐待され、貧しく、無学で、才能も美貌もなければデートをすれば必ず雨、都会に出てタイピストの職には就いたが失敗が多くくびになる寸前、同郷の男と出会い恋をするが、これが絵にかいたようなモラハラダメ男で、あげくマカベーアの同僚に心変わりしてしまう。作中作者のロドリーゴは時折登場し、このちっぽけで、どこかずれていて、あからさまに不遇だが自分の境遇についてもはや悲しみや憤りを感じることもできないほど不幸慣れしている、無垢ともいうべきキャラクターを丁寧に造形していく過程を読者に見せる。そして小説の終盤、マカベーアの人生に転機が訪れ、はっとするような急展開を迎えるのである。

 ロドリーゴはマカベーアに対し「神視点」を取っており、読者もその視点を共有する。正確には読者はマカベーアを書くロドリーゴを書くリスペクトル(作者)の書いた小説を読んでいるわけだが、ロドリーゴについては一人称で書かれているため、リスペクトルの視点は不可視である。見えないのだが、読みを完了した時残るのはやはり「神視点でマカベーアを書くロドリーゴの物語」なのだ。この小説をこんな複雑な構成にしたのは何故だろう?マカベーアの物語を直球で描いても小説として十分成り立つのに。実際、「訳者あとがき」によれば、ロドリーゴ抜きのマカベーアの物語の映画が作られ1985年に公開され、マカベーアを演じた主演女優がベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞してもいるらしい。「ブラジルの慎ましい少女の暮らしを描いた、哀しく美しい作品に仕上がっている」という。

 だが作中でロドリーゴに「三文小説の涙物語」と語らせているように、マカベーアの物語を単独で出すことは作者の本意ではないだろう(映画は没後に作られているので作者は映画には関わっていない)。読者は、ロドリーゴが神の視点から一人の不幸な人間を作り出し、その人生を思い通りに操り、最後は煙草に火をつけてイチゴのことなど考えながらマカベーアから離れていく様子を見ることで、マカベーアの不幸物語以上の、何かとても残酷なものを見た気分になるのだ。

 この小説には実は13のタイトルがあり、本書の扉の後に並べられている。最初にリストを見た時にはランダムに並べられたように見える言葉たちだが、小説を読み終えた後でそれぞれのタイトルの意味を考えてみると面白い。初読ではもどかしく感じたロドリーゴの逡巡部分も、二度目以降は作家の思考プロセスとして興味深く読むことができる。わずか186ページの薄い本だが、何度も繰り返し読んで味わえる一冊だ。


書評講座第4回の自由課題で書いた書評を大幅に修正。
2021年年末の「フーテンのトヨさん2021-2022」@COTOGOTO booksさんで豊崎由美さんが紹介されていた「星の時」。面白そうと思って早速購入しましたがその後しばらく積ん読に(理由は書評中で書いた通り)。初め書評講座でお題として出された「インヴェンション・オブ・サウンド」での書評が書きづらかったので、こちらも読んでみるかー と手に取って最後まで読んだら「なんかすごい!!」でもすごさがうまく説明できなくて、提出した書評の方は低評価に。再度考えて修正してみました。


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