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『恥辱』(J.M.クッツェー著 鴻巣 友季子 訳 ハヤカワepi文庫) 書評

 読み始めは「時代に合わせてモラルをアップデートできなかった男のセクハラ転落物語」を傍観しているつもりだったのだが、そんなものじゃなかった。気づけば「異質な価値観の中で生きていかざるを得ない人間の痛み」をたっぷり一緒に味わわされる。『恥辱』(J.M.クッツェー著 鴻巣 友季子 訳)は恐るべき小説だ。

ケープタウンのカレッジで教鞭をとる52歳のデヴィッドは2度の離婚を経て現在は独り身。若いころに散々ならした「恋愛」のつもりで教え子の女子学生と関係を持つが訴えられ、大学の懲戒委員会で査問にかけられる。「若い女性に対する虐待」についての悔恨の情を示せば懲戒免職は免れるチャンスを与えられたが彼にはこの見方がどうしても受け入れられず、結局職を失ってしまう。

追われるように大学を去った彼は、離れた町で一人で自作農園を営む娘ルーシーの元に身を寄せる。自立した娘を頼もしく思う一方で、彼女の生き方には共感できず、周囲の人間にどこか見下したような感情を持つデヴィッド。しかし農園や”動物愛護”クリニックの仕事を手伝い周囲と交流を持つうちに、彼の心にわずかながら変化が表れ、<自分の考え方は、古くさくて役立たずで貧困>であると思うようになる。とはいえ、そうした考え方を一掃できるかといえば<だが、そんな気はない。さらさら無い。>と変化には後ろ向きなのだが。

ゆっくりとながら主人公の心に柔軟性が出てきて明るさが感じられる物語中盤、しかし大きな事件があり、彼はさらなる恥辱を味わうことになる。ルーシーを取り巻く状況はどんどん不穏な方向へ進んでいく。娘の身を案ずる父としてデヴィッドはごくまっとうと思われる提案--アフリカを離れること--をするが、その地に根付いて生きていこうとするルーシーは<あなたは何も分かっていない>と頑として受け入れない。

この、相容れない価値観と対峙する膠着感は、大学の査問委員会でのデヴィッドと委員たちのやりとりで見たものに似ている。ただしこのルーシーとの対立では恐らく多くの読み手がデヴィッドの方に共感しやすいと思うのだが、それを否定されて「分かっていないのはもしかしてこちらなのか?」と不安になる。これまで自分が依っていた価値観が通用しない世界を提示され、そちらが主流なのだと言われたら、わたしたちはどう生きていけばいいのか。新しい価値観を受け入れることは全てを失ってどん底から始めることを意味するのかもしれない。その覚悟ができるのか。

本書が発表された1999年は南アのアパルトヘイト政策撤廃から5年後。まだ「ニューノーマル」の受け入れ度合いには人により温度差があっただろう。この小説はそうした時代を背景として書かれた。それからすでに四半世紀が経過しているが、急速に変化し、様々な価値観の対立・分断が進む世界の中で、本作が提示しているテーマはますます重みを増している。

1199字
想定媒体:オンライン新聞の書評ページ


YouTubeの文学賞メッタ斬りチャンネルの「名作ゴン攻めあいうえおー!」の「せ」の回(07:22あたりから)で本書が紹介されていたのがきっかけで、昨年読んで衝撃を受けた。
25年前の作品だが、古さを感じない。近年「アンラーニング」という言葉が注目されていたり、2024年はドラマ「不適切にもほどがある!」が放映されて話題を呼んでいたりで、タイムリーな内容だと思ったし、普遍性があるので今後も長く読み継がれていくと思う。ブッカー賞2度受賞、ノーベル文学賞受賞は伊達じゃない!

「翻訳者のための書評講座」第6回に出した元の原稿では、下から2番目のパラグラフはこのように記述していたのだが、

この、相容れない価値観と対峙する膠着感は、大学の査問委員会でのデヴィッドと委員たちのやりとりで見たものに似ている。ただし今度は恐らく多くの読み手にとってデヴィッドの考え方の方が共感しやすいのだが、それを否定されて「分かっていないのはもしかしてこちらなのか?」と不安になる。

講座では私が査問委員会のやり取り中デヴィッドの考え方に肩入れしていた、と受け取られてしまった。実際は、査問委員会のくだりではデヴィッドに全く共感を覚えず、同情もできなかったが、ルーシーとの対立場面では、デヴィッドの提案の方がずっとよく理解できると思った。この立場が明確になるように修正した。

また、同じパラグラフの後半部は「新しい価値観を受け入れることは全てを失って<犬のように>どん底から始めることになるかもしれない。」としていた。作品中で「犬」は生殺与奪の権を人間に握られた無力な存在として出てくる。どん底状態を示す比喩として作中で<犬のように>という言葉も使われるので書評中で引用したが、「読んでいない人には犬がここでどのようなimplicationを持っているのか分からない。使うのならば説明が必要」と指摘され、字数のため説明を入れるのは無理と諦め、除くことにした。



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