2020.07.18 曇 22°/28° 不自然な自然
畑に行くと新しい命が芽生えていました。実はこれには語弊があって「私が畑に種を播いたので命が芽生えた」のです。そもそもこの畑には存在しなかった植物。私が外部から種を持ってきたので、新たにその場所には存在しなかった作物が育つのです。野菜を育てている。農業を営んでいます。その言葉のあとに続くのは「自然」という言葉。自然とは一体何なのでしょうか。
今日のカバーは にょきにょきチャード です
「自然」という言葉をひいてみると
“ 自 然 ”
人手を加えない、物のありのままの状態・成行き
とあります。
人である私が、外部から種を持ってきて、畑に播いている。
自然の意味合いからすると、野菜を育てるということはどうやら、自然とは反対のことをしている。「不自然」なことをしているということになります。
蒔かれて芽が出たスイスチャード様
実はこれは仕方のないことで「自然」という言葉を生み出したのは人間になるので「人の手」が加わるか、加わらないかが判断基準になっているようです。しかし広義の意味合いとして捉える「自然」であるならば人間は地球に生きている存在なので、人間そのものも自然に属している。そう考えると、人間が行うあらゆる行為が自然の枠の中に収まり初めます。
自然というのは考えれば考えるほどにとらえどころがなくって、環境にいいこと、悪いことさえも、人間のさじ還元一つで決まってしまう。地球に属する数多くの生命の中の一つの存在なのに。
そうやって、わかったように語っている私も一人の人間、地球の中の小さな生命の一つ。こうして考えることさえも、自然の枠の中からははみ出すことがないような気がして、自然の、地球の懐の深さを感じざるを得ません。
とまあ、頭でっかちな私が暇すぎて思索したお話でした。
おビーツはネコブだらけ
ビーツくんを抜いてみたら、表面が凸凹している。いろいろな本に書いてある症状にそっくり。それは「ネコブセンチュウ」の被害とそっくり。興味がある人は、ネコブセンチュウって調べてもらえればわかるのだけれど、多くの種類が土の中に生息していて、いろいろな作物に被害を与えます。特に根っこが太る作物。大根、蕪、人参などには表面が凸凹が現れるので、目に見える分、被害が目立ちます。
今年新たに開墾した場所に種を播いたので、もともと土壌に生息していたのかもしれません。センチュウ対策はいろいろありますが、有名なのはマリーゴールドを混植すること。とりあえず明日の午前は雨模様なので、種を調達しにひとっ走りしてきます。
双葉ベニー様
先日目覚めたベニー(オクラ)様はいつの間にか成長して双葉の状態まで。赤紫の実が収穫できるだけあって、茎の色合いがすでに赤みがかっている。発芽率が予想よりも高くって、この中から2本に絞ることになります。辛く苦しい間引き。私が播いた種、やりたくないけれど間引きをしなければ。
万願寺さんの一番果
万願寺さん。種から育苗をして、育てた苗を畑に定植。ようやくここまで。実が付きはじめるとなんだか一安心。種から育てれば確かに金銭的なコストは低いかもしれないけれど、時間というコストがとても掛かる。失敗もすることがある。そう考えると、売っている苗がとてもコストパフォーマンスがいいことがわかってくる。だって、買ったら植えるだけ。健全な苗が安価に購入できるのですから。
市販で手に入らない苗であれば種から育てるしかないけれど、苗が購入できるのであればそちらを選んだほうがいいかなって思ったりする。しかし、種から育てる達成感、満足感がそれらのコストを軽く越してくる。収穫できた瞬間に頭で考えていたコストはすべて無に返していく。だからやめられない。
自分の身は自分で守れるよ
梅雨時期は雨もさることながら、結構な強風が吹くのです。心配性な私はきゅうりさんたちのために、しっかり支柱を立てて麻ひもで誘引している。しかし、この梅雨時は雨続きて畑を数日空けることもしばしば。雨上がりに畑にいくとやっぱり成長している。背丈が伸びている。そして麻ひもで固定しなくてはって、きゅうりの苗をみると自らの蔓を支柱に絡ませている。
「自分の身は自分で守れるよ」
まるでそう言っているかのよう。毎日畑に行くときには私に気を使っているからか、蔓は空を掴んでいるのだけれど、私が畑に行かなければ私に頼らなくても自分の力で成長することができるんですよね。風が強く吹けば風に負けないように蔓を絡ませる。生きているものすべて、困難やストレスに晒されると、順応することができる。なんだか楽ばかりしていては生きる力が削ぎ落とされてしまいそうで。
ちなみに写真は先日定植したきゅうりさま。多分四葉きゅうりのスーヨーさん。多分なのは、苗を育てている間に、ときわ地這きゅうりと混ざってしまってもはや見分けが付きません。
平たいモロッコの美しさ
普通のいんげん様の影に隠れて居たのですが、少しずつこちらも収穫できるようになりました。普通のいんげんに比べて平たいモロッコ様。ちなみにモロッコいんげんを初めて知ったのは、もう四年前くらいかな。山梨に居たときに一緒にブドウ栽培をしていたトミーさんの畑で栽培していたものをもらったのです。
「おい。モロッコな、たくさんなってるからもってけし」
いつもそういって、仕事終わりに畑に連れて行かれて収穫されてもらったんです。なんだか懐かしい。トミーさんって「とみおさん」って名前から。なんともチャーミングなおじいちゃんだったのです。いつも痛い痛いって痛風に悩まされながら、コーラばっかり飲んでた。
元気でやっているかしら。
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