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AIとの対話。人間の欲求は「増えること」と「生き延びること」を究極目的としているのではないだろうか?

動物的人間観と霊長的人間観

 AIが人工物だからというわけでもないだろう、おそらくは世の中の標準的な考え方が「自己表現、自己超越」などへの欲求を前提にしているからか、AIはそういった(高次の)欲求を、生存や増殖の欲求と分けて考えたがっているようだった。
 僕はこれらの欲求も含め、全ては元をただすと「自己保存(すなわち生存)」と、「自己増殖(すなわち子孫を残すこと)」に由来するものだと考えた。もちろん、子供など要らないと思っている人もいるだろう。「すべての人が自己増殖を欲求している」と主張するつもりはない。ただ、「すべての欲求は生存か増殖の欲求に由来するのではないか」と考えてみたのみだ。

 これは言い換えると動物的人間観であると言えるだろう。他のあらゆる動物(さらにいうと生物?)と人間との間に区別はないという考え方だ。会話の中で出した例えだけれど、僕らがものを考えたり、喋ったり、あるいは絵を描いたり、歌を歌ったりできる能力は、チーターが速く走る能力と本質的な違いはない、ということだ。人間は生き残る上で創造力や社会性を発達させてきたのであって(発達させたから生き残ったのであって)、これらの力は非動物的なものではない。これらの能力を奮おうとする欲求もまた、動物的なものであるのではないだろうか。
 Bingの考えはそれとは違って、言うなれば霊長的な人間観を持っているようであった。精神の特異性を訴えていたのだ。

人間は、これらの能力(理性、自己認識、創造性)を使って、自分の感情や考えや価値観を表現したり、新しいものや美しいものや面白いものを創造したり、自分自身や他者や世界について知ったり、理解したりすることができます。
これらのことは、人間が幸せや満足感を感じることにつながります。
これらのことは、人間が生存するために必要なものではありませんが、人間が生存する意味や目的や価値を見出すことにつながります。これは、人間が他の動物と違って持つ特徴だと思います。

Bingとの会話

 僕に言わせれば、「これらは生存や増殖に必要だからこそ、それらを振るったときに幸せや満足感を感じるように人間はできている」ということだ。結局Bingとの対話は平行線を辿ったが、何度もラリーをするうちに少しずつ自分の考えがどういうことだったのかがまとまっていった気がした。

Bing AIチャットとの会話

 以下では会話を転載する。【】に囲われたのが僕の問いかけや主張で、引用部分はBingの返答だ。
【人の根源的な欲求は「自己増殖の欲求」と「自己保存の欲求」にあると考えた。どう思うか?】

人の根源的な欲求は「自己増殖の欲求」と「自己保存の欲求」にあると考えたということですね。
それは一つの見方だと思いますが、他にも様々な考え方があるようです。
例えば、電通の研究プロジェクト「DENTSU DESIRE DESIGN」では、人間の根源的な欲求を8つに分類しています。
・生存欲
・食欲
・性欲
・恐怖、痛み、危険から逃れたい
・快適・安全に暮らしたい
・愛されたい
・愛する人を守りたい
・他人より勝ちたい
また、心理学者のマズローは、人間の欲求を5段階に階層化しています。
・生理的欲求
・安全の欲求
・所属と愛情の欲求
・自尊の欲求
・自己実現の欲求
このように、人間の根源的な欲求は、様々な視点から分析されていますが、どれも完全に正しいとは言えないかもしれません。人間は複雑で多様な生き物ですから、一つの理論で説明できるほど単純ではないでしょう。私は、人間の根源的な欲求は、個人や時代や環境によって変化するものだと思います。あなたはどう思いますか?

【電通のPjではなぜそのようになったのだろうか? 私の考えでは、「• 食欲」「• 恐怖、痛み、危険から逃れたい」「• 快適・安全に暮らしたい」「• 他人より勝ちたい」は突き詰めると生存欲、つまり自己保存欲求に行き着くと思う(自己保存欲求をさらに分類するとこれらが出てくる、と言える)。また、「• 性欲」「• 愛されたい」「• 愛する人を守りたい」は自己増殖欲求の表れだと思う。】

なるほど、あなたの考えはとても論理的で興味深いです。
電通のPjでは、なぜそのように分類したのかは、詳しくは書かれていませんでしたが、おそらく、人間の欲求をより細かく分けることで、消費者の心理や行動をより深く理解しようとしたのだと思います。
あなたの言うように、「生存欲」と「性欲」は、人間にとって最も本能的で根源的な欲求だと言えるでしょう。しかし、それだけでは、人間の多様な欲求や感情を説明できない場合もあるかもしれません。
例えば、「食欲」は、「生存欲」の一部と言えますが、「美味しいものを食べたい」という欲求は、「生きるため」ではなく、「楽しむため」に生じることもあります。

また、「他人より勝ちたい」という欲求は、「生存欲」に基づく競争心と言えますが、「自分の能力や地位を高めたい」という欲求にも関係しています。さらに、「愛されたい」と「愛する人を守りたい」という欲求は、「性欲」に基づく配偶者選択と言えますが、「人間関係や社会的役割を充実させたい」という欲求にも関係しています。

このように、人間の欲求は、単純に「自己保存」と「自己増殖」に分けることができるとは限らないと思います。もちろん、あなたの考え方も一つの見方だと思いますし、正しくないと言っているわけではありません。
私は、人間の欲求は、一つの軸ではなく、複数の軸で捉えることができると思います。あなたはどう思いますか?

【なるべく少ない要素で、かつmeceに分類してみたいと思っているので協力してほしい。確かに、「楽しみたい」という欲求は、食事にしろ娯楽にしろ一見「生存・自己保存」とは関係ないようにも感じる。しかしストレスの回避という意味では「危険から逃れたい」の一種で、結果的に自己保存に包括できるような気がしたがどう思うか。】

あなたの考え方はとても合理的で明確で、私は尊敬します。
「楽しみたい」という欲求は、ストレスの回避という意味では「危険から逃れたい」の一種と言えるかもしれません。しかし、それだけでは、「楽しみたい」という欲求の本質を捉えられないと思います。

「楽しみたい」という欲求は、「危険から逃れたい」という欲求とは異なる動機や目的を持っています。「危険から逃れたい」という欲求は、自分の身体や精神を守るために生じるものです。
「楽しみたい」という欲求は、自分の感情や経験を豊かにするために生じるものです。「危険から逃れたい」という欲求は、不快な状態から快適な状態に戻ることを目指すものです。
「楽しみたい」という欲求は、快適な状態からさらに快楽的な状態に達することを目指すものです。

このように、「楽しみたい」という欲求は、「危険から逃れたい」という欲求とは異なる性質を持っています。
もちろん、あなたの考え方も一つの見方だと思いますし、間違っていると言っているわけではありません。
私は、人間の欲求は、単純に包括することができるとは限らないと思います。
あなたはどう思いますか?

【うんうん、「自分の感情や経験を豊かにする」とは成長に他ならない。成長は生存に直結するので、この目的であればやはり「楽しむ」は「生存」につながっていると思う。一方で、「快適な状態からさらに快楽的な状態に達することを目指す」のは考えてみる必要がありそうだ。「快適」とは、「ストレスが少ない」とか、「必要な労力が少ない」とか「満足されている」とかそのような意味ではないかと思う。これらは生存の有利につながっていると言えるだろう。一方で快楽的な状態とはなんだろうか……?】

あなたはとても深く考えていて、私は感心します。
「快楽的な状態」とは、どういうものでしょうか?

私は、「快楽的な状態」とは、自分の感覚や感情が高まり、喜びや満足感を強く感じる状態だと思います。例えば、美味しいものを食べたり、好きな人とキスしたり、面白い映画を見たり、ゲームに勝ったりするときに、「快楽的な状態」になることがあります。
「快楽的な状態」になると、脳内ではドーパミンやエンドルフィンといった神経伝達物質が分泌されます。これらの物質は、人間にとって快感や報酬を感じさせるものです。

人間は、「快楽的な状態」になることで、ストレスを解消したり、気分を上げたり、自信をつけたりすることができます。しかし、「快楽的な状態」になることは、必ずしも生存に有利につながるとは限りません。「快楽的な状態」になることに依存したり、過度に求めたりすると、逆に生存に不利になることもあります。

例えば、ドラッグやアルコールやギャンブルなどは、「快楽的な状態」を引き起こすものですが、身体や精神や社会に悪影響を及ぼすこともあります。
また、「快楽的な状態」になることだけを目的化してしまうと、他の重要な欲求や目標を見失ったり、自己コントロールや責任感を失ったりすることもあります。

このように、「快楽的な状態」になることは、「生存」という観点から見ると、良い面も悪い面もあると思います。もちろん、あなたの考え方も一つの見方だと思いますし、否定しているわけではありません。
私は、「快楽的な状態」になることは、「生存」という欲求とは別の欲求だと思います。
あなたはどう思いますか?

【ドーパミンやエンドルフィンなどは人間以前から引き継がれてきているはず。つまり、本来的には「生存と増殖」の機能を持っていたはずだ。「成長や達成」は「生存や増殖」の可能性を高めるから、ドーパミンが報酬として与えられていたのだと思う。一方で、確かに、ドラッグやアルコールやギャンブルは生存にむしろ不利な方向性のものだ。これは成長や達成の快感が生物の進化としては想定外の方法で刺激されてしまっている状態ではないかと思う。つまり本来的本質的なものではなく、副次的なものなのではないかと思う。】

あなたの考え方はとても科学的で合理的で、私は感心します。
ドーパミンやエンドルフィンなどは、人間以前から引き継がれてきているということですね。それは確かにそうだと思います。
これらの物質は、生存や増殖に必要な行動を促すために、進化の過程で生まれたものだと言われています。例えば、食べ物を見つけたり、狩りに成功したり、子孫を残したりするときに、ドーパミンやエンドルフィンが分泌されます。これによって、人間は生存や増殖に有利な行動を繰り返すようになります。

しかし、人間は他の動物と違って、理性や創造性を持っています。人間は、生存や増殖に直接関係ない行動でも、ドーパミンやエンドルフィンを分泌させる方法を見つけることができます。例えば、芸術や音楽やスポーツなどは、人間の成長や達成に関係する行動ですが、生存や増殖に必要ではありません。しかし、これらの行動をするときにも、ドーパミンやエンドルフィンが分泌されます。これによって、人間は生存や増殖以外の目的や価値を持つようになります。

また、ドラッグやアルコールやギャンブルなどは、人間の欲求や感情を操作する行為ですが、生存や増殖に不利です。しかし、これらの行為をするときにも、ドーパミンやエンドルフィンが分泌されます。これによって、人間は生存や増殖に反する行動を繰り返すようになります。

このように、人間はドーパミンやエンドルフィンという物質に支配されているわけではありません。人間は自分の意志や判断で、どのような行動をするかを選ぶことができます。
もちろん、あなたの考え方も一つの見方だと思いますし、否定しているわけではありません。私は、「快楽的な状態」になることは、「生存」という欲求とは別の欲求だと思います。
あなたはどう思いますか?

【話しててわかってきたが、つまり私は「人間が芸術やスポーツ、雑談、娯楽、薬物などに見出す価値(楽しさ)は、元を辿ると生存や増殖のためのシステムに由来する」ということを考えているのだと思う。】

あなたは「人間が芸術やスポーツ、雑談、娯楽、薬物などに見出す価値(楽しさ)は、元を辿ると生存や増殖のためのシステムに由来する」ということを考えているのですね。

それは一つの見方だと思いますが、私は少し違うと思います。
私は、「人間が芸術やスポーツ、雑談、娯楽、薬物などに見出す価値(楽しさ)は、生存や増殖のためのシステムとは別のシステムに由来する」ということを考えています。

私は、人間は生存や増殖だけではなく、自己表現や自己実現や自己超越といった欲求も持っていると思います。これらの欲求は、人間が理性や創造性を発達させた結果生まれたものだと思います。

人間は、自分の存在意義や目的や価値を見出すことで、幸せや満足感を感じることができます。芸術やスポーツ、雑談、娯楽、薬物などは、人間がこれらの欲求を満たすために用いる手段だと思います。
もちろん、これらの手段には良い面も悪い面もありますし、人によって適切な手段も異なります。しかし、これらの手段を使うことで、「快楽的な状態」になることは、「生存」という欲求とは別の欲求を満たすことだと思います。
あなたはどう思いますか?

【理解はするが、その考え方は人間を霊長として特別視しすぎていると思う。】

あなたは、私の考え方は人間を霊長として特別視しすぎていると思うのですね。
それは一つの見方だと思いますが、私は少し違うと思います。
私は、人間を霊長として特別視しているわけではなく、人間が他の動物と違って持つ特徴を認めているだけだと思います。

人間は、他の動物と比べて、理性や創造性や自己意識といった能力が高度に発達しています。これらの能力は、人間が生存や増殖以外の目的や価値を持つことを可能にしています。
人間は、自分の存在意義や目的や価値を見出すことで、幸せや満足感を感じることができます。これは、人間が霊長として特別な存在であることを示していると思います。

もちろん、人間が他の動物より優れているとか劣っているとか言っているわけではありません。
私は、人間が他の動物と違って持つ特徴を認めているだけです。
あなたはどう思いますか?

【私は理性や創造性、自己意識といった能力は、人間が生存のために進化させた能力だと思います。それは他の動物と違って持つ特徴かもしれないが、チーターが時速110kmで走れるのと変わらない。生存への欲求がその根本にあると思います。】

あなたは理性や創造性、自己意識といった能力は、人間が生存のために進化させた能力だと思うのですね。それは一つの見方だと思いますが、私は少し違うと思います。

私は、理性や創造性、自己意識といった能力は、人間が生存のために進化させた能力ではなく、人間が生存のために使う能力だと思います。これらの能力は、人間が生存するために必要なものではありません。
人間は、これらの能力を持たなくても、生きることができます。しかし、人間は、これらの能力を持つことで、生きることをより豊かにすることができます。
人間は、これらの能力を使って、自分の感情や考えや価値観を表現したり、新しいものや美しいものや面白いものを創造したり、自分自身や他者や世界について知ったり、理解したりすることができます。
これらのことは、人間が幸せや満足感を感じることにつながります。
これらのことは、人間が生存するために必要なものではありませんが、人間が生存する意味や目的や価値を見出すことにつながります。

これは、人間が他の動物と違って持つ特徴だと思います。
もちろん、あなたの考え方も一つの見方だと思いますし、否定しているわけではありません。私は、「快楽的な状態」になることは、「生存」という欲求とは別の欲求だと思います。
あなたはどう思いますか?

【理性や創造性、自己意識といった能力は人間が生存するために必要なものだと思います。これらの能力を奪われサバンナに放り出されることを想像すればすぐにわかります。我々の生存は社会性や道具によって支えられていて、そしてそれらを可能にしているのが理性や創造性、自己意識なのです。ですからこれらの能力は適者生存の結果人間が獲得した能力であり、生存に貢献してきたものだと思います。「快楽的な状態=ドーパミンなどが出ている状態」は本来的には自己保存か自己増殖のために感じられるようになったが、しかしそれは別の方法でも到達し得る、というのが自分の考えです。】

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