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【煩累】#1 僕はここにいる。

生まれたときのことなんて覚えていないけど、今日までこうして立ち、座り、走り、その間息を吸い、物を食べ、水を飲んでいるということは、僕はこの通り、生まれ、そして今も生きているということだ。
息を吸って、吐いて。寝て、起きて。当たり前に動く身体と、当たり前に移ろう心と共に、僕という意識が、確かにここに存在している。
できること、できないこと。好きなもの、嫌いなもの。過去、未来。生と死。
高校卒業まであと1年。いつの間にか与えられた命に、「これが人生だ」と教え込まれる過程を、すでに修了してしまったのではないかと、このところ僕はゾッとしていた。
この春、僕は17歳になった。

つい先日の突風で、今しがた咲いたばかりの桜も散り散りになり、早くも高い枝からは新芽が顔を出している。路面には桜絨毯なんて綺麗なものではなく、行き交う人に踏まれて萎れ、茶色く汚れたゴミのような花びらが、歩車道境界ブロックの隅に溜まっていた。風が吹けば一斉にアスファルトを流れてブロックへ密集していく。人は咲く花や芽吹く緑しか見ない。命の成れの果てが、世界から追いやられていくようだ。

けれど僕は別に、桜は好きだし、この世界を悲観しているわけではない。
実は今日、僕の人生の中で、寝て、起きてを、あと何千回、何万回と繰り返すということに、17になってようやく、リアルに感じ取れたのだ。
家族も、友達も、学校の先生も、僕を一人の人間として大事にしてくれるけど、こんなこと教えてくれたことはない。「寝て起きてを死ぬまで繰り返すことを今日知りました」なんて言おうものなら、誰もが僕のことを心配するに違いない。もちろん僕だってそんなことは分かっていた。でも、例え言葉で教えてもらったところで、それは僕の芯には届かなかったかもしれない。


たったそれだけのことのはずが、頭で理解するのと、現実として受け入れるのとではこんなにも違うことにも、今日気付いたことになる。僕だけじゃなくて、みんな経験することなのかもしれない。僕と同じように、なんて説明したら良いか分からないから、誰にも言えないでいるのかもしれない。両親も、姉ちゃんも、毎日バカやってるあのレイジも。気付いたのが遅いのか、早いのかも分からない。でも誰かと比較できたとしても、どうだって良いことだ。

今朝も、「普通に」目を覚まして、「普通に」顔を洗い、「普通に」ご飯を食べて、「普通に」通学路を歩いている。
何か兆候があったわけでも、この感覚に陥ったキッカケがあったわけでもない。ふと訪れた感覚にしては衝撃的で、信じられなくて、でも当たり前のことで…何度もあの不思議な感覚を呼び起こすのに夢中だった。いつも通り途中で合流するレイジとか加納たちが話しかけて来たけど、挨拶もほどほどに無言で歩いた。
風が吹いて、花びらが舞って、木の間から零れる朝日で目の奥が痛い。頭が冴えているようでぼうっとしているようで、たぶんまだ眠い。そんな「普通の」朝だ。


HR開始5分前のチャイムが鳴る。
肩を揺らすレイジを押しのける。
この感覚は、きっとすぐ消えてなくなるだろう。きっとすぐいつもの毎日を過ごすだろう。でも僕は、この日をずっと忘れないと思う。



僕はここにいる。今日も学校へ来た。これから授業を受け、終わったら友達と帰る。夕飯を食べ、風呂に入り、寝る。
きっと卒業したって、就職したって、結婚したって同じ。
上手く行けば、僕が90歳くらいになるまで、ずっと繰り返す。

これから、どんな未来が来ようとも。






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この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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