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「不登校でよかった」と思った日

この記事は2021年1月に天狼院書店のメディアグランプリに掲載された記事を加筆修正したものです。週間アクセスランキング一位でした!


「え? 日下って全く陰キャじゃなくない?」
ある日、会社の先輩に そう言われた。

ああ、今ではそう見えるようになったのか。
むずむずした感覚を覚えながら「いや、陰キャが必死に頑張ってるだけです」と返す。

最近できた友人にも「コミュ力高いよね」なんて言われることが増えた。

けれど、自分は少なくとも大学生までは陰キャだった。
それはもう、ものすごい陰キャだった。あとすごいダサかった。

それが何故今こうなったのか。振り返ってみる。

自分は小学校一年生の6月25日に不登校になった。
それから中学卒業までの9年間、学校に行かなかった。一時的な不登校はあれど、義務教育9年を丸ごとカットした奴はあまりいないと思う。

理由は長くなるのでまた別の機会に。
ともかく自分は、人間が集団生活に適応し社会性を育む時期に、ずっと家にいた。

小学校の後半はフリースクールに通い、不登校の仲間たちと楽しく過ごしたりもしたが、何にせよ、他者と接した時間が日本人平均に比べて圧倒的に少ない。

中学は更に家にいる時間が増え、ほぼ1日中インターネットか小説の世界にいた。
出席日数は足りないどころかほぼゼロ。けれど時期がきたら自動で卒業できてしまった。

「さすがにこのままじゃやばい。高校は行かないと社会的に死ぬ」と思い、高校から強引に社会復帰することに。内申点は無に等しいので、元不登校児、不良など、間口を広く受け入れてくれる高校にいくことになった。

ただ、入ったはいいが当然人間との距離感がわからない。話しかけ方もわからないし、話しかけられてもキョドる。登校から下校まで、常に緊張していた。

「休むとまた学校に行けなくなる」という強迫観念に駆られ毎日必死に登校。それが当時の担任I
先生の目には真面目な生徒と映ったようで、ある日生徒会に誘ってもらう。

誘われた直後は「学校に来るだけでもしんどいのに、そこから更に新しいことをやるなんて…!」と断ろうとした気がするが、結局先生に押し切られたようだ。ともかく自分は生徒会に加入した。

そこで学校生活でほぼ初めて友達ができた。人生で初めてカラオケに行った。人前で歌うのが怖くて声が震えた。

先輩、後輩という概念に触れたのもこの時が初めてだった。後輩ができても「先輩」の作法がわからないから、話すときは基本キョドっていた。

今思えば、新しい場所に連れて行ってくれたI先生には、今では感謝しかない。

元不登校児や、いわゆる不良が多い高校で、半数以上が「高卒で働く」ことを選んだ。
しかし自分はまだ高校の3年間しか社会で暮らしていない。

今社会の荒波に放り出されたら150%死んでしまう。

そんなわけで大学進学を希望。当時、自分の成績は学年3位。周囲から天才かのような扱いをされていた。けれど全国模試では偏差値35……。勿論大学は全部落ちた。

現役ではどこにも受からず、一浪させていただいた。予備校の授業のわかりやすさに感動し、学力が大躍進。関東の大学に受かり、地元北海道を離れることになった。

華々しいキャンパスライフに内心憧れていた。こっそり大学デビューを目論んでいた。
が、大前提が「社会コワイ人間コワイ」だったので、やっぱり陰キャだった。あとファッションが凄くダサかった。

コミュニティの中での振舞い方がよくわからないので、サークルは馴染めないし、アルバイトもメンバーが固定されない派遣のイベントスタッフをあえて選ぶ。

人との関わりから逃げる言い訳として「学生の本分は勉強」という言葉を掲げ、勉学に励んだ。幸いなことに研究室では気の合う仲間に恵まれ、失われた青春をここで少し取り戻した。このあたりでようやく人間社会というものに慣れてきた。

恐れていた就活は思いのほか順調に進み、希望の会社から内定をもらった。

卒論も書き終え、社会人になる日が近づいてきた。人間関係がリセットされる、新しい自分で世に出るチャンスだ。レッツ社会人デビュー!

自分は陽キャだと言い聞かせながら積極的に周囲に話しかけ、飲み会に参加した。裏でこっそりファッションの勉強をした。今当時の写真を見たらやっぱりクソダサかったが。

高校生の頃からずっと「まともな人間」になろうと必死だった。
自分にとっては「不登校=変な奴」で、「変な奴=悪」だった。
だから「不登校だったこと」はバレるわけにはいかなかった。

違和感を感じさせないように、慎重に言葉を選んでいた。
義務教育あるあるなんかには、必死で話を合わせてへらへら笑っていた。

社会人になって、毎日息苦しさを感じながら「ああ、やっとまともな人間になれた」と思っていた。

しかし、そんな涙ぐましい努力が崩壊する事件が起きる。

参加したセミナーで、悩みをシェアする時間があった。初対面の人に対して勇気を出して「不登校だったことがばれると、自分が変な奴だと思われそうで怖い」と打ち明けた。

すると、間髪入れず「いや、今でも十分変やで。なんか話すタイミングとか微妙にずれてるし」と言われた。

「え!?!?!?」

とてつもない衝撃だった。築き上げてきたはずの世界は、まやかしだったのだ。必死で防護壁を固めていたはずが、がら空きだった。とっくに見透かされていた。裸の王様もいいところだ。

なんだ。隠せてなかったのか。

ショックだったけど、それと同時にもう強がる必要はないんだと気づいた。

不登校の過去を少しずつ周囲に話すようになった。
勇気を出して言ってしまえば、なんてことはなかった。

ある日、ついに自分が不登校だったことをSNSで発信した。しかも顔出し実名で。昔の自分からすれば、世界に公開なんてありえない。

投稿ボタンを押した瞬間、肩の力が抜けた。これでもう、守るものは何もない。

あぁ、ようやく認めることができた。自分は陰キャだ。
一人でいる時間が好きだし、特に小説を読んでその世界に浸る時間がすごく好き。

だからといって、友達がいらない、なんて言わない。
むしろ基本的には皆と仲良くなりたいし、青春とか友情というものに飢えている。だって人間だもの。社会的動物だもの。学生時代にそういったものが欠落しているのだもの。

人見知り? 人との距離感の詰め方がわからない?
しょうがない。義務教育を丸ごとカットしている自分に すんなりできるはずがない!

過去を受け入れたから、ありのままの自分で生きられるようになった。

1年がたち、妻からは「キョドらなくなったね」と言われるようになった。
義務教育あるあるの話題になったら、「それ俺習ってない!」で一笑い いただけるようになった。

今は「義務教育行っていないのに、今普通に働いてる俺凄くない?」とさえ思っている。

気が付けば「不登校の過去」が自分の武器になっていた。

きっと、今この瞬間も、必死に何かを隠して生きている人がたくさんいる。
悪いことでも何でもないのに、「バレたら、世界が終ってしまう」と思いながら生きている人がたくさんいる。

そんな人に良いニュースと悪いニュースがある。
悪いニュース。あなたが隠したい秘密や、見せたくない自分は、たぶん周りの人に既にバレている。残念ながらにじみ出ている。

そして、いいニュース。あなたが必死に隠しているものは、実はあなたの武器だ。
いつか、少しだけ勇気が出たら、思い切ってその秘密の箱を開けてみてほしい。

大丈夫。少し時間はかかるかもしれないけど、「これでよかった」と思える日が来る。
僕に「不登校で良かった」と思える日が来たように。


P.S.
ちなみに、僕が大学に合格した時、母は「息子がダサすぎて、大学に入ってから浮かないかしら……」と心配していたらしい。おしゃれな弟に比べて、すさまじくダサかった自分。さぞ不安だっただろう。

しかし、その後大学に見学にきたとき、自分の同期となる人たちを見てこう思ったらしい。
「ああ、皆ダサいからこれなら大丈夫だわ」 普通に失礼だと思う。

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