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「君たちはどう生きるか」ネタバレ感想

「君たちはどう生きるか」を観た。

未見の人は絶対にこれを読まないで欲しい。
知っての通り、この作品は一切の宣伝がなされていない。

だから、本当にまっさらな気持ちで作品に臨むことができる。

本当に面白い作品に出会った時「記憶を消してまっさらな状態でもう一回みたい!」なんて思ったりする。

情報過多のこの時代で、全く作品の前情報に触れずに本編を鑑賞することは、もはや難しくなってしまった。

今回の「君たちは〜」は、知っての通り一切の情報公開がされていない。あのジブリ作品を、作品のジャンルすら知ることなく見ることができるなんて、なんて贅沢だろうか。なんて貴重な機会だろうか。

とはいえ時間が経つとTwitter中心にネタバレが跋扈して嫌でも情報が入ってくることは避けられない。

だからこそ、まだまっさらでいる人は、それを大切に大切にして、そのまま映画館に行って欲しいのだ。そのあと、大いに語ろうじゃないか。

ちなみに、自分の場合、初日の初回上映を予約したが、残念ながら急遽予定が入り公開2日目に見にいくことになってしまった。

「ジブリ」「最新」「宮崎」などのミュートワードを設定し、宮崎県の最新情報もろともジブリの情報を遮断した。

なんとか一切の情報を遮断し、当日を迎える。

※ここから、徐々に内容に触れていきます

始まる前から、徐々に心臓が高鳴る。

いくつかのCMが流れた後、矢野顕子さんの歌声で、ジブリの絵柄の猫が戯れ合うCMが流れた。それだけで、涙が出そうになる。

そして、今までの人生で何度見たかわからない、あの画面。
映画館全体が青く染まるような、青い背景と線画のトトロ。
「スタジオジブリ」の文字。

きた。きた。きた。
始まる。ずっと待っていたジブリの作品が、始まる。

……そして、2時間後。



ここから本格的にネタバレだよ〜〜〜〜〜

未鑑賞の人は回れ右してね〜〜〜〜〜

……した? 帰った? もう観た人しか残ってない? 大丈夫? 本当?

未鑑賞でネタバレ見たらマジで勿体無いよ? マジでやめとき?



……では、書いていきますね。





やばい、どうしよう。全く意味がわからん

終わった後の脳内第一声は完全にこれだった。
面白かったのか、面白くなかったのかすらわからなかった。

ただ、凄まじく自分の心を、引っ掻き回されたのだけは、確かだった。

周囲の人たちもなんか複雑そうな顔をして7番シアターからぞろぞろと出ていく。大体みんな同じ気持ちだったのではないか。

駐車場まで歩きながら、ぼうっとした頭で、考える。

意味がわからないのに、なぜこんなに心がざわつくのか。

車に乗り込んでも、すぐにはエンジンをかけられなかった。
ノロノロと帰路につき、最初の赤信号に引っかかった時、ようやく、少しずつ感想が言葉になり始める。

我々は、宮崎駿自身の生き様を見せつけられたんだ。

この作品では、「違和感を感じるシーン」がたくさんあった。

例えば、主人公の眞人が大叔父に「後を継げ」と迫られた次のシーンで、眞人は鎖に繋がれ、厨房で今にも調理されようとしていた。

編集ミスかと思うほどに違和感のある展開だった。

ジブリは読み解こうとすると難解な作品は多数あれど、こうした「明らかに物語として不自然なシーン」は無かったような気がする。

なぜか。
多分、これはエンタメとして魅せる物語では無い。宮崎駿さんが、描きたくてしょうがないシーンだけを詰めに詰め込んだ結果生まれた作品だ。

過去のジブリ作品がフラッシュバックするようなシーンが何度も何度もあった。ファンサービス、ではないと思う。それをするならもっと作品自体に筋を通すはずなのだ。

きっと、宮崎駿さん自身が何度も頭の中で描いて、何度も作品として表現して、それでもまた書きたいシーン、風景だったのだと思う。

明らかに不自然なシーンだけではなく、この作品は明らかに説明を不足させている。今までも冷静に考えるとよくわからない作品はたくさんあったが、今回はその比ではない。

特に異世界に行ってからの物語は、完全に説明を放棄している。知らない文化、知らない登場人物、知らない魔法。それらが矢継ぎ早に現れては説明されることも、伏線として回収されることもなく物語が進んでいく。その世界の屋台骨となっている原理原則は全く教えてもらえない。

「禁忌ってなに?」と眞人が尋ねても、青鷺が「お産の部屋に入っただろ?あれだよ」と答えるシーンが象徴的だと思う。

あの世界の住民にとってはきっと常識で、我々にとっては知らない文化。

青鷺はなぜお母さんの人形を作ったのかもよくわからないし、そもそも青鷺が何だったのかもわからない。

そもそもこの作品は、理解できるように作られていない。

けれど、案外我々の日常もそうなんじゃないか。

極端にイマジネーションの世界で描かれているからわかりにくいけど、この作品は今までよりもずっと、僕たちが普段生きる人生に近いんじゃ無いかな、と思う。

新しい環境に飛び込んだ時、僕たちは1から100まで把握なんてできやしない。眞人と同じように「よくわからんことはたくさんあるけど、前に進むしかない」。

普段、我々は友人の人となりをどれだけ知っているだろう?どんな常識で生きて、どんな過去があって、今何を考えているのか。

知っている、と思い込んでいるだけで、僕たちは何も知らないんじゃないか。

いつだって事件は唐突に起こり、自分が知らない世界で四苦八苦する。
例えば人間関係のいざこざも、結局は相手が持っている世界観と自分のそれが異なるから生まれる結果だろう。

物語には筋が通っているべしと我々は思い込んでいる。けれど、そもそも人生に筋は通っていない。人生は、とてつもなく不条理だ。

終盤の終わり方も、ずいぶん唐突だ。

あれだけ大叔父の世界をめちゃくちゃ……というか崩壊させたのに、日常は何も変わらず、物語は普段の1日が終わるかのように、あっさりと終わる。

他人の人生で劇的にドラマティックな事件が起きたって、こっちの世界は何一つ変わらない。

ウサインボルトが世界記録を更新しても、アルゼンチンがW杯で優勝しても、僕たちの日常は代わりやしない。

ちょっと刺激を受けたって、少し時間が経てばその感想は薄れていく。日常は、何も変わらず進んでいく。

実は、今までのジブリ作品の中で、一番日常を描いた作品なのかもしれない。

見た直後は、これは間違いなく最後の作品だと思った。

これだけ好きなシーンを詰め込んで、まあ、大叔父の世界を継ぐ継がないのやりとりってジブリはもう終わりです的なメッセージを込めたサムシングかな、という感覚も抱いたので。

でも、今は逆な気がしている。

この感想文を書いている時、なんの気無しに「実験作」と打ち込んだときに気が付いた。……実験作? そうだ。この作品は実験作だと思う。今までのジブリの流れをぶち壊して、アート作品のような作り方をしている。実験作で、キャリアを終えようとすることなんて、あるのか? 

この作品は、「俺はまだまだ、生きて、前に進むんだ」という宮崎駿さんの強烈な意思表示な気がしてならないのだ。大体70代で引退を撤回して長編アニメーションを作る人だ。

どう考えたってまだやるぞ。
いや、頼む。まだまだやってくれ。俺たちの駿。

彼の生き様を、彼のイマジネーションを通して純度100%でぶつけられたんだ。50歳も年上の人が、自分よりも遥にエネルギッシュに、生きている。
だからこそ、心を引っ掻かれた。

鑑賞者の大半は、僕と同じように宮崎さんより年下だ。
同じようなかき乱され方をしたのではないだろうか。

彼のメッセージはただ一つ。まさにタイトル通り「君たちはどう生きるか」だ。

けど、その前にもう一つ言葉が入るような気がした。

俺は、こう生きた。君たちは、どう生きるか」

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