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ギャンブル依存症

さまざまな依存症があるらしいが、幸いにも僕はギャンブル依存症でもアルコール依存症でもない。ギャンブルはかなりの期間やっていないので確実に依存症ではない。アルコールも連夜ボトル半分程度飲んでいたけど、昼間から欲しくなる事はなかったし、一週間飲まなくても問題ない。上さんが飲めず、晩酌しないタイプだから依存症にはなりにくかったのもある。

しかし、依存症は自覚が無いものらしいから自分では節度を保っている、酔っていないなどと言うのが一般的だから、本人が自覚していないものを依存症と定義するのだろう。

ただ、僕もなんらかの依存症かもしれない。仕事、墓参り、サプリ、病院、学校、国家依存症等々。病名は勝手に薬を処方する為に何々症としているだけで、気づかぬうちにさまざまなものや事に依存しているかもしれない。

僕は若い頃、麻雀に凝っていて暇さえあればやっていた。止めたのは膨大な時間の浪費を何とかしなければと思っての事。一生麻雀を打ち続けたいほどハマっていた。金銭的な問題でもなかった。麻雀は弱い者からならいくらでも稼げる。賭け麻雀で金を稼げたとしても、そんな人生は送りたくなかった。麻雀はイカサマも含めて実力の世界なので金を稼ごうと思えばできる。確実に勝てるのだから純粋なギャンブルでもない。

金を賭けているからと言ってギャンブルとは言えないと言うか、ギャンブル性と言うものがある。イカサマなしで表か裏に賭ければ純粋に運任せの100%ギャンブルといえるだろう。その意味で本当にギャンブルが好きな人には麻雀はゲーム性と言う不純物が多すぎる。

しかしどんな単純なギャンブルでも商売になればイカサマをするのが人間。
細工や手さばきで人の目など簡単に誤魔化せる。目を凝らして見たところでマジシャンのタネを見破れますか?プロがやるイカサマを素人が見破れるはずがない。だから大半の人はギャンブルで財を失う。そんなものに人生を賭けるのは馬鹿としか言いようがない。

公営ギャンブルだって八百長は行われたし、困難ではあっても不可能ではない。ましてや公営でないものならやりたい放題できる。実際にRIZINと言う格闘技団体や他の格闘技でも選手自身が海外のスポーツベッティングを公然と利用している。これは選手自身が負ける事を分かっていて賭けに参加できる事を意味している。反社に負けなければ殺すと言われれば負けるだろう。言うことを聞けばそれなりの報酬を選手も得られる。勝って当然の試合でスター選手が負ければ反社組織は莫大な利益が得られるだろう。

そんなものに人生を賭けてギャンブルに参加するなど馬鹿馬鹿しいと思わないか?一生懸命予想しても当たるはずがないものが含まれる。僕も試合予想をしていたが最近はやっていない。アホなギャンブラーにボランティアするつもりは無いからだ。しかもこれまでにも疑わしい試合はあった。今後ギャンブルが浸透すれば必ず不正は増える。そうなれば競馬や競艇と同じファン層になるだろう。僕はそっちには興味が無いからサヨナラするだけだ。

別に何かに依存しなければ生きていけないのなら、そうするのは個人の勝手だから好きにすればいい。その自由がある世界は素晴らしいと思う。でも商売が絡むと反対する人の意見は届きにくい。それは分かっているのでそんな事をしている暇はない。そこは諦めるのが得策だと思う。

競馬や競艇や酒を好み依存症になる事は悪い事ではないし、批判もしない。
イカサマは批判するが。アルコール依存症の人は知り合いにもいるが、酒さえ飲まなければ良い人なのにと言うパターンが多い。しかし彼ら彼女らはアルコールに依存しなければ生きにくい人達だ。普段は温和で大人しいから自分の意見を主張できず、抑える。それが知らずにストレスとなり、アルコールによって堰が緩み、マグマのように噴き出す。確かに酒さえ飲まなければ良い人だろう。しかし残念ながら依存症になる人に、仮定の話は意味を持たない。依存症によってさまざまなものが崩壊する。

また、これら依存症は医師が薬を出せるように「病気」とされるところに問題がある。さまざまな人を見てきたが、依存症になる人には共通点がある。ほとんどの場合、幼少期に精神的な問題の原因がある。両親に愛された度合いによると思っている。両親揃っていても母親だけに子育てを依存していた場合、二親とも他人に任せっきりだった場合も含まれる。

現代では親がいない子は珍しくないし、いても離婚している者も多い。子は大抵の場合、幼少期に疎外感を味わっている。疎外感が依存の原因と考えられるのではないか。国や地域によって偏りがあると思われるけど、今の日本は他先進国に比較して両親の愛情に溢れた幼少期を送ったものの割合は高いとは言えない。

さまざまな要因で子より自分を優先する社会になってきた。その結果、子を作ることは当然しなくなる。子ができても喜べない、生活や自己実現に不安が付き纏う。それが予測できるから結婚しないし、子も作らない。当然の結果となっている。

でも、それは僕もそうだったけどやってみると予測が外れた。結婚前には予測できない、生じるものがあるから。それは実子だけではなく、妻やその家族、言ってみれば他人への愛情と言うものが生産され増加する。その結果、それをする事によって生じると予測した自己実現や生活の不安を上回る幸福が得られる。その事を事前に計算する事は僕にもできなかった。

結局、今では自分が望んだ自己実現や生活の不安は増えた幸福によって気にするほどのものでない事が分かった。そんなちっぽけなものを凌いで余りある幸福や愛情が人生を意味のあるものにしてくれたから。

もし家族を持っていても、依存症を脱せないとしたら。
それは形だけの、幸福も愛情も無い同居しているだけの住人と生活しているから。その場合、勇気を持って逆引きしてみましょう。
依存症の原因が幸福や愛情の欠乏だとしたら、
幸福や愛情の欠乏⇔依存症
依存症を断ち切る事でしか幸福や愛情の欠乏を断ち切る事はできない。

何かに依存して人生を無駄にするのはあまりにも勿体なさすぎる。

追記:最近の計量オーバーは怪しい。これらの試合も賭博の対象になっていることが多い。これによってある者に利益が出る場合がある事を考えてみたことがありますか?

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