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報われた瞬間

 無職になって、半年。ようやく、仕事をしたい気持ちが湧き出して、会計事務所のパート事務の仕事の面接を受けてきた。
 4月に仕事を退職するまでは、団体職員だった。給料も地方にしては良かったし、労働条件もそこそこに良かった。退職届を上司に出した時は、せめて子供が大学卒業するまでは我慢するように言ってもらったが、それでも意志は固かった。
 私が、仕事を本気で辞めたいと思うようになったのは、離婚して子供達を1人で育て始めてからだ。それまでも、辞めたいなぁーと、思った事はあったが何せ子育てにはお金がかかる。辞めたいなぁーと、思っていてもそれはあくまで、絵空事のようなもの。
 それが、ホンキに変わったのは、私を経理主任のまま現場へ出せ!との長の一言だった。私は、自分で言うのも何だが仕事は頑張ってきた。前任の経理責任者は、経理事務だけで無く、労務も総務も行っていて組織の全てを把握する唯一の存在だった。そんな尊敬する上司が、5年前に病に倒れた。病名は、食道がん。飲み物が飲み込みにくいなどの症状は、随分前からあったようで、ハッキリとしたステージまでは言わなかったものの状況が良くないことは、私から見てもわかった。その人以外に事務を専属で担当しているのは、私しかいない。急に、何ともいえない不安が私に襲ってきた。事務の経験はあっても、経理は全くの未経験。もし、上司に万が一の事があったら、どうしよう。日に日に痩せて行く上司に、焦りは募った。
 その上司は、1年半近く入退院を繰り返した後に亡くなった。仕事が、生き甲斐で人一倍責任感が強かった為に、殆どの仕事を自分で行ってしまって。日常的な業務以外の引き継ぎは、してもらえなかった。
 そこからは、めちゃくちゃ大変だった。何せ亡くなったのが10月。決算は、12月。年末調整もやったことがない。毎日、プレッシャーから眠れなかった。どんなに仕事が、大変でも子供や当時同居していた姑の食事作りなどがあって、それもまた負担だった。仕事は多岐にわたり、組合員さんの確定申告の補助。それが終われば、通常総会資料の準備もある。とにかく、必死だった。決算が出来ません。なんて、言うわけにはいかない。早朝出勤に残業。初めての事だらけで、終わりが見えず、泣きそうだった。組織の決算を担うプレッシャー、それは退職前の最後の決算まで変わらなかった。もちろん、日々の現金を扱う業務も同様で。1円合わなくても、責任は会計主任の私にある。
 そのプレッシャー、張り詰めていた緊張感が、途切れたのが長のひと言だった。自分の親類を事務員として迎え入れる変わりに、私を現場へと促すものだった。しかも、責任はそのままで。経理は、誰でも出来る仕事。長の自分でもできる。と、まで言われてしまった。私の今までの苦労や犠牲にしてきたものが、一瞬で散った瞬間だった。そして、怒りと落胆で言葉がでなかった。
 今日の面接で、私の退職までの仕事の状況を話した時に、「根性あるね」と、面接官から言われた。素直にとても嬉しかった。経理のプロから見ても大変な事をやり遂げたんだと、自分で初めて認める事ができた気がした。退職して半年。やっと自分の行ってきた努力を認め、仕事によって傷ついたプライドや自信を癒やしてあげることが出来そうだ。
 私を経理の道へと導き、命が尽きるまで仕事への情熱を燃やし続けた上司には感謝しかない。この経験は、私の宝になりました。ありがとうございました。
 


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