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Macのこと 002 私的Mac史(1)

Mac Userのみなさん、Macに興味や関心をお持ちのみなさん、こんにちは。
前回、「Macのこと 001」を書いたのが去年の6月ですから、なんと9ヶ月ぶり!
もはやカムバックと言っても良いほど長〜く空いてしまいましたが、これからは少しペースを上げて書かせていただきます。

今年2024年1月24日にApple Macintoshは誕生(発売)から40周年を迎えました。(拍手)
人間で言えばMacも中年の域に達したことになります。

残念ながら誕生日にも誕生月にも間に合いませんでしたが、遅ればせながらMacintoshの40周年を祝って、一人の生き証人として私のMac史を書いていこうと思います。

その第1回はMac前史からMacintoshの誕生の翌年まで。


Apple Ⅱ

1977年にApple Computerは、ちゃんとデザインされた工業製品としてはおそらく史上初となったパーソナルコンピュータApple Ⅱを発売します。

Appleの創業者で、この歴史に名を残す名器を生み出した中心人物は、コンセプトを生み出したスティーブ・ジョブズと、回路をデザインしたスティーブ・ウォズニアックの二人のスティーブ。
特にジョブズは1955年生まれの私と同い年(日本的に言うと彼は早生まれ)でした。
石油を掘り当てたのでも株で儲けたのでもなく、エンジニアでもプログラマーでもデザイナーでもなかった弱冠22歳の青年が、自らのビジョンと実行力で世界中にその名を知られる億万長者=死語(笑)になった訳ですから、彼は一躍ヒーローになりました。

私がこのApple Ⅱに、友人(裕福な歯科医院長の息子)の家で対面した衝撃は頭にも心にもずっと焼き付いていて、いつか自分も自分のためのコンピュータを持ちたいと思うようになりました。

Apple Ⅱ

1980〜81年にニューヨーク留学したときは、録音の専門学校(Institute of Audio Research)の講師が、Apple Ⅱを分解してゼロハリバートンのケースに収め、音響測定機器やプリンターを繋げて、スタジオやコンサートホールの音響特性をその場で出力していました。

ゼロハリバートンのアタッシュケース

自分もいつかはそんなシステムを使いこなせるようにしたいと憧れて、帰国するときにアタッシュケースだけ買い求めましたが、後に中に収めたのはシステム手帳や書類でした(笑)。

やがて、私も富士通やNECのパーソナルコンピューターを購入したものの、高価なApple製品はまだまだ憧れの存在でした。

Lisa

Macが発売されるちょうど1年前の1983年。
Appleが革新的なマシンを発売します。その名はLisa

1980年代当時、私は日本で圧倒的なシェアを誇っていたNEC PC-9801のユーザーでしたが、愛読してた月刊『ASCII(アスキー)』に掲載されたLisaの記事を何度も何度も繰り返し読みました。

Apple Lisa(残念ながらマウスが写っていませんが)

コンピューターと言えばキーボードからコマンドを入力するのが当たり前だった時代に、今のパソコンのようにマウスで机の上(デスクトップ)に並べた文房具を模したアイコンを操作することで、様々な処理を行うことが出来るGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)を備えていたために、SEでもプログラマーでもない一般人の私は強い憧れを抱きました。
しかし、Lisaはあまりに高価(確か当時で200万円以上)で、とても手が出せないビジネス用のマシンでした。

このマシンの名前には諸説ありましたが、後にスティーブ・ジョブズの伝記や映画で明らかになったように、彼の娘であるLisaの名前から取られたようです。ただ、自分の子供として認知しない一方で、その娘の名前を製品に使ってしまうという当時の彼は、なんと言うか……かなりのエゴイストだったようですね。(苦笑)

Macintosh誕生!

1984年1月24日、もしかしたら自分たちにも手が届くかもしれない個人向けのパーソナル・コンピューターとしてMacintoshが遂に発売されます!

スティーブ・ジョブズはMacintoshを 「知の自転車」と表現しましたが、当にコンピューターの専門家ではない私たちのような人々のためにデザインされた製品であり、"A Computer for the Rest of Us"(残された私たちのためのコンピューター)というキャッチコピーはそれを如実に表しています。
実際に開発段階では、「子供やお年寄りもモニターにした」と何かの本で読んだことがあります。

ジョージ・オーウェルのディストピアSF小説『1984』をヒントに、『エイリアン』や『ブレードランナー』ですでに多くの人々の心を掴んでいたイギリス人映画監督のリドリー・スコットに依頼したCMと共に、アメリカ最大のイベントであるスーパーボウルのタイミングでデビューしたMacは、多くの人々がそれまでコンピューターに対して抱いていた「堅苦しく難しく怖い」というイメージを、この映像のように見事に破壊してくれました。

最初のMaintosh 128K

オフィスよりリビングが似合うコンパクトなデザインも秀逸ですし、上にはハンドルがついていて、(電源は必要ですが)手軽に移動することも出来ました。

Mac Paintというペイントソフト(後のPhotoshopなどに比べればお絵かきソフト)と、Mac Writeというワープロソフト(もちろん英語版)の二つのアプリケーションがバンドルされ、本国では2,495ドル。日本では698,000円でした。
国内の販売価格が高すぎない? と思うかも知れませんが、当時のUSドルレートは238円前後ですから、本国でも59万円ちょっと。決して高すぎたわけではありません。
とは言え、いくらLisaの三分の一以下とはいえ、私にはすぐに手が出せない値段でした。

発売当初は大絶賛されたMacですが、実はGUIという最先端テクノロジーを実現させるためにディスプレイは白黒に限定し、価格を抑えるためにメモリーを最小限にしたり、フロッピーディスクドライブを1台に絞ったミニマム構成によるパフォーマンス不足は発売当初から指摘されていました。
当時、ハードディスクは個人所有のパソコンにはなかなか標準装備できない高価な周辺機器だったので、OSやアプリなどのプログラムもそのデータも全てフロッピーから本体内のメモリーに読み込む形式でした。それはIBMのPCもNECのPC-9801も同じでしたが、他はたいていFDD(フロッピーディスクドライブ)を2台装備していました。
ところが、初期のMacのようにフロッピーが1台しかないと、ディスクの入れ替えが必要で、尚且つ読み込むためのメモリーが最小限だとその入れ替えが頻繁に発生します。発想は素晴らしかったけれど、時代が早すぎたというか、周辺技術が追い付いていなかったんですね。
次第に購入したユーザーからクレームが出始め、日本でもパソコンオタクから「Macは使えねぇ!」って感じの批判の声が当時の専門誌などに寄せられるようになります。
Appleは、オプションとして外付けのフロッピードライブをリリースしますが、焼け石に水って感じだったようです。

Macintosh 512K

Mac発売から1年が過ぎて、Appleはようやく内蔵メモリーを128Kから一気に512KにアップしたMacintosh 512Kを発売しました。

Macintosh 512Kの後ろ姿

見た目は殆ど変わらないので正面の画像は省略しますが、この512KでMacのためにMicrosoft(マイクロソフト)に作らせたMS ExcelMS Wordが使えるようになります。
そうなんですよ!
Windows用アプリの代名詞のようなワードもエクセルも、当初はMacのために開発されたものでした。

その頃、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ(この人もジョブズと同じ1955年生まれ)は、AppleにMacintoshのOSだけをライセンスして欲しいと交渉しますが、『1984』で皮肉ったようなIBMやその互換機でMacOSが動くことをおぞましいと思った(たぶん)ジョブズは拒否。それでマイクロソフトは仕方なくMac以外のPCでWordやExcelが使えるようにWindows(まだ95は遥かあとの話)を開発して、後々世界を制覇する訳です。
もしAppleがMacのOSをマイクロソフトにライセンスしていたら、その後倒産の危機に追い込まれることはなかったかもしれません。でもきっとつまらない会社になっていたでしょうし、その後の奇跡的な復活もなかったでしょう。もちろん今のApple製品も生まれなかったでしょうね。

Kって? バイトって?

初期のMacintoshのCPU

ところで「512Kの"K"って何?」 ってZ世代の人は思うかもしれませんね。上の写真がCPUなので誤解を招くかも知れませんが、コンピュータ内部のメモリー容量のサイズで、512Kは512KB(キロバイト)のことです。

ではバイトってなに? アルバイトじゃなさそうですね(笑)。
昔、『日経バイト』というSEや開発者向けのコンピュータ専門誌がありましたが、背伸びして一年間定期購読してしまった私は、会社の同僚にその表紙を見られて「え? 会社辞めてバイトするの?」と疑われましたが……すみません、脱線です。

1bit✕8、つまり8bitを1つの単位にしたのが1Byte。一噛みって感じですね。
Appleのリンゴが囓られているのはそのせいでしょうか? もしそうなら、なかなか粋ですね。
1bitは二進法による最小単位なので、8bitで256の異なる値を表すことが出来ます。
因みに、デジタル(digital)というのは「10より小さい数で数える方法」を表していて、二進法もその一つですが、いつの間にか二進法=デジタルになってしまいました。

この二進法がコンピューターの基本ですが、そのために整数では割りきれない数字が出てきて、よくコンピューターエラーと言われる(殆どが言葉だけでヒューマンエラーですが)現象が起きます。
メートル法ではK(キロ)は1000を表しますが、B(バイト)を単位にするデジタルの世界では、長い間1024になっていました(この辺り説明すると長くなるので省略)。
よく私は「デジタルの世界では、キロとかメガは1000を単位にしていなくて1024なんだよね」などと蘊蓄を垂れていましたが、実はこのべき乗でキロやメガとか数える方法は国際規格ではなかったために、最近、と言っても2000年代後半辺りからはAppleも1GB=1000MB、1TB=1000GBと表記するようになったようです。

iPhone 12 ProMaxイメージ

ところで、もしあなたがiPhoneをお持ちなら、そのメモリーは128GBですか? それとも512GBですか?
もしあなたのiPhoneが128GBモデルだったとしても安心してください。初代Macintoshの100万倍以上のメモリーを持っていることになりますから(笑)。
iCloudにデータを置いておけば128GBでも十分ですし。

因みに当時何十億円もしたスーパーコンピューターの性能を今のiPhoneは遙かに上回っていますが、コンピューターやITの歴史はそんな具合に著しく進化してきました。
私は10年くらい前に、「あと10年したら今使ってる4TBのハードディスクが4PB(ペタバイト)くらいになるのかな? 20年したら4EB(エクサバイト)?」なんて思いましたが、10年経った今も倍の8TBくらいになった程度で(私のお財布事情だけでなく)ハードウェアの進化は以前に比べるとかなり鈍化していると思います(苦笑)。

脱線しすぎたので、今回はここまで。
次回は、3代目のMacとして発売されたMacintosh Plusに始まり、いよいよ私が初めてユーザー(オーナーにあらず)になったMacの話になります。

(2へ続く)


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