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『湾岸チェイス』(超短編) 加藤猿実

解説

オンライン小説サイト「NOVEL DYAS」で、2020年8月に「2000字ホラーコンテスト」の選外佳作に選ばれました(選外なのに選ばれたって変ですね)

首都高速湾岸線を常軌を逸したスピードで走るGT-R。「ステルス」と渾名されるその車は絶対に捕まらない。やがて、ランボルギーニのパトカーとカーチェイスを繰り返すようになった。
そのドライバーは……?

湾岸チェイス

 どんなスピードで走っていても絶対に捕まらないクルマがある。
 一見したところR35型のGT−Rだが、マットブラックに塗り替えられていたために「ステルス」と渾名されていた。
 噂によると、3.8リッターV6ターボエンジンは、オリジナルの480馬力から800馬力まで増強され、時速340キロまで刻まれたスピードメーターはいとも簡単に振り切れるという。
 ポルシェ911GT3の助手席に同乗して取材をしていた夜、大黒パーキングエリアでそのステルスに遭遇した。

 私はフリーのライターだ。雑誌社の依頼で『湾岸ルーレット族』と題する記事の取材をしていた。
 集団ではなく単独で走る彼らは、湾岸線を常軌を逸したスピードで駆け抜ける。環状線を走らないのに「ルーレット族」と呼ぶことは矛盾しているのだが。
 ポルシェのオーナーは元ルーレット族で、40代の今は「普通に」湾岸線を流していると言うが、彼が言う「普通」は「滅多に時速200キロ以上のスピードは出さない」という意味だ。

 アイドリング中のステルスからドスの効いた排気音が聞こえる。私が助手席を降りようとしたら制止された。
「止めておいた方が良いですよ。近づくと命がなくなるって言われてますから」
「どういう意味ですか?」
 ポルシェのオーナーは愛車をゆっくり発進させながら語り始めた。
「ドライバーには首がないんです」
「え?」と言いながら、私は一瞬思考停止した。

 彼の説明によると、ステルスは深夜の湾岸線で警察車両をいとも簡単に振り払った後、追い越したトラックの先で車線変更中だったタンクローリーに激突して炎上した。炎は満載されたジェット燃料に引火し、辺り一面火の海になった。GT−Rは原形を留めないほどに焼け焦げ、運転していたドライバーは遺骨さえ残っていなかったという。
 それ以来、度々湾岸線にステルスが現れた。オービスで記録されたこともあるらしいが、撮影されたナンバーは登録抹消された事故車のもので、ドライバーの顔は写っていなかったという。
 話だけだったら「都市伝説」と片付けてしまうところだが、この目で見てしまったら一笑に付すわけにもいかない。

「ステルスもどき——もいるんですけどね」と言われ、胸を撫で下ろしたのも束の間。
「さっきのは間違いなく本物。絶対にコクピットを覗いたらダメですよ」とポルシェオーナーは言う。
「横に立っていると窓が開くそうです。それで、首のないドライバーを間近で見た人は必ず事故死するって言われています。僕の親友もそうでした」
 安手の怪談のような話だ。何かからくりがあるに違いない。

 私と同じことを考えていた人は警察にもいた。
 警視庁高速道路交通警察隊(高速隊)で元レーサーの肩書きを持つ福沢稔巡査がその人だった。
 テレビでも話題になったが、タレントのSがとんでもないスーパーカーを警察に寄贈した。それが、ニュルブルクリンク北コースの市販車最速タイムを記録したランボルギーニ・アヴェンタドールSVJ。770馬力のV12エンジンを車体中央に積むモンスターをパトカーに改装し、福沢巡査は警察の威信を賭けてステルス退治に乗り出した。

 彼がステルスを止めたという噂を耳にして、私は取材を申し込んだ。
「大人しく停まってくれました。ところが、私が運転席の横に立って、窓が開いたら本当に首がなかったんです。正直驚きましたが、その隙に急発進されてしまったんです。急いで追走しましたが間に合いませんでした。私の失態です」
「やっぱり幽霊だったんですか?」
「まさか! 首のないロボットを誰かが遠隔で操作しているとか、何かからくりがあるはずですよ」
「正体が判明するのも間近ですね」と私は期待した。
「私が必ず捕まえます」と、彼は別れ際に笑顔で敬礼した。

 福沢巡査が殉職したのはその翌日のことだった。
 ステルスを追尾中に大型トラックに追突し、コントロールを失って東京湾に落下したというが、その後ランボルギーニも福沢巡査も見つかっていない。

 その事故以来、ステルスとランボルギーニのカーチェイスの目撃談がいくつも寄せられた。取材に応じてくれた人の話だと、追走するパトカーの警察官もステルスのドライバーと同じように首がなかったというが、語ってくれた目撃者はもうこの世にいない。
 私は『湾岸チェイス』とタイトルを改めた記事を編集に渡した。

 取材を終えて3か月ほど経った頃、私は大黒パーキングエリアにクルマを駐めて、携帯で次の仕事の打合せをしていた。
 電話を切ると、自分のクルマの両サイドから不気味なアイドリング音が聞こえる。気づくと左側にステルスが、右側にパトカー仕様のランボルギーニが停車していた。
 震える手でエンジンをスタートしたその時、私の両側で運転席のサイドウインドウが同時に開いた。

    ——了——

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