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剔抉遊山 4

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我の前には美しくない道がのびている。

左。まったく手入れの杜撰な某の木の梢が、まだらに赤錆びたフェンスの上から往来へ痴がましく侵攻し、上下にふらふら揺れながら我の肩にちくちく触れて邪魔。

右。さつまいも色の電車がギャドンギャドン轟音で突き抜けて南進、踏切がクァンクァンクァンと狂ったように鳴り響いてうるさいこと甚だしい。電車が通過すると踏切もすぐ鳴き止んだが、それがまさに佯狂、もといニセ狂人、つまり例えば舞台の上では荒々しいがプライベートはくそ弱気のバンドマン、みたいで腹がたつ。

中華屋で清又と別れ、住む町を剔抉したると決めた私は踏切まで歩き、弓手に南下すれば帰り道最短ルートなので、ここは西に続く爪先上がりの道を直進しようと思ったわけであるが。



未踏の坂道を眼前に見据えて何らの興趣も湧かない。煙草のヤニが染み付いたみたいな外壁の古ビル、なんとでも形容できそうなアパート。もしここが長崎であれば、同じ景色としても、海の気配と山々の呼吸に挟まれて、ゲハハハハ!ええ感じにワクワクするはずなのだがここは長崎ではなく吹田である。無念。

とまれ進んでゆくと前方、坂を越えてこちら側に死んだ蛸みたいな色の軽自動車がしょうもない感じのスピードで通過していき、すれ違いざま、全開の車窓からはボブマーリーの歌が漏れ聞こえた。

道路の両側に甍を並べるアパートや一軒家は、どれもウザい立体感で、まるで建築屋が悪ノリで建てたかのような具合に突っ立ている。新しくもなく、また趣があるほど古びてもおらず、家々は中途半端に汚れ、劣化していた。いやぁ剔抉のやり甲斐がある、見事に欠点だらけだよネン。なんて思って。しかしこの坂道の頂上を越えたらどんな風景なのだろう、見晴らしはいいのだろうか。そこだけが気になる。

進みながらさらに観察すると、ベランダの干し竿に懸吊せられたハンガーがだらしなく揺れていたり、玄関先には色褪せた小さな三輪車が違法駐輪してあったり、プランターの青い花があまり元気そうでなかったり、電柱の根元になぜか軍手の片方が落ちていたり。それらの愚鈍で野暮なひとつひとつが一帯を形成し、なんというか、人間の生活の証拠だけが静かに満ち満ちていた。

またぞろ進んで頂上付近に差し掛かった頃、向かって右側、私はそこで何か新たに建設がなされているのに気がついた。といって建設機材の稼働する音が聞こえるでもなく静かなのだが、現場のぐるりは簡易な白い外壁で継ぎ接ぎに覆われており、外壁の途切れた所の両側にはカラーコーン。その二つのあいだには、糾える縄の如く黄色と黒色で交互に色付けされた棒が掛けてある。まぁ確実に工事現場或いは建設現場であろう。

ほほぉ、工事かぁ。と白の外壁を眺め、こういうのは建設から完成までにどのくらいの月日がかかるのだろうかと私は考える。三ヶ月とか半年とかかな。当然短くはないだろう。設計図を考え、材質を決定、資材を調達、人員の確保、建設開始、進捗の管理、などなど途方もない。

私は以前、やけに奮い立って肉体改造、もとい筋トレっちゅうのをやったろ、と意気込んだことがある。ファイトクラブという洋画でブラピが筋肉ムキムキで格好良かったから。で、トレーニングメニューを考案、食事と生活リズムを改めることを決意し、剰えプロテインという効験あらたかな妙薬を購入して「やんぞオラァ!」とヤンキー漫画のキャラみたいな科白をまくし立てながら腕立て伏せ等の鍛錬を重ねた。

が、10日ほどで頓挫した。毎日腕立て伏せし、己が身体を鏡で丹念に確認してもちっともムキムキになっておらず、とりあえず「ええっ!?」と言ってみたもののやはりムキムキではないし、その兆しもみえない。だから翌日にはコーラをガブ飲みしてハンバーガーを食べ食べ。今度は岡潔という有名な数学者を題材にしたドラマを観て、「頭がええのは格好ええのんなぁ」と鼻水を垂らしながらニヤニヤして数学の問題集、もとい黄色チャートを中古で購入し、計画立てて勉学に励むなどした。が、これも失敗した。

はっきりいって一両日中に結果の出ない物事は嫌いである。ホンマにこのままつづけてええのん?と不安になるし、というか一週間もすると興味が薄れる。何かに、誰かに憧れを抱くものの、本気でなろうとは思っていない。というか、本気でなれると思っていない。憧れて実行するもののそれは演技に過ぎず、私は、あらかじめ諦めているのだろう。

そんなことを思いつつ、ちょっくら建設の中でも覗いてやろうか、と思って近付くと、背後から気配なく「もしもし、君」と声をかける者がいた。

特段まずいことなどしていないが、誰何され咎められるのはあまり気分の良いものじゃない。私は苦笑いで振り向きつつ、

「ああ、すんません。ちょっと中がどんなんか気になって」と言って機先を制したが、相手がなんだか奇妙な男だったので本気の苦笑いになってしまった。

歳は恐らく還暦過ぎだろうか。中肉で背はちょっと高め、縁なし眼鏡に七三分けのおっさん。と、ここまでは尋常だが、冬の日本海みたいな色のジーパンに真っ白のランニングシャツの裾をたくし込んだ、つまりはフレディマーキュリーのような格好で、自転車、もといママチャリに跨っている。そして自転車の前カゴにはなぜだろう、木でできた大きな地蔵菩薩の置物が入れてある。

「この中?それは覗いてもかまへんやろうけどもね。それより君、ひとつお尋ねしてよろしいか」
「なんですか」
「最近の若い方はパンチャタントラとか読んだりせえへんのか」
「読みません」
「そうかぁ」

それだけ言うと、おっさんは前カゴに御ます地蔵菩薩の頭部を撫でて「ほなさいなら」と自転車で坂を下っていった。

なんだったのだ。パンチャタントラってなんだ。とりあえず読んでないと言ったが、そもそも聞き間違いだったかもしれない。という具合に私は頭の中で先程の出来事について煩悶としていたが、次第にそれは怒りへと変貌していき、多分いま私の顔は赤い。

やはりこの町はだめだ。なるたる奇妙なおっさんか。不届き千万。あんな珍妙で下劣かつ不気味なおっさんに遭遇するなど卦体が悪い。



時間が経つにつれて怒りは落ち着いたが、坂の頂上に到達し、下り坂になっても結局風景は変わらず平凡であった。見晴らしもよくない。私は疲労と倦怠とが無駄に溜まった身体を動かしつつ爪先下がりの道を行き、せめて晩飯は美味いものでも食おうと思った。


坂の上なので、見上げずとも目線をずらせば空がある。棚引く雲は既に随分と黄色とか橙色に染まっていた。もう昼間のような暑さはない。東から西へカラスが数羽、空の低いところを羽ばたいていた。


つづく