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剔抉遊山 1

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長崎へ遊山に行きたいと思った。

なぜ行きたいと思ったのかというと「ええ感じや」と思ったからで、なぜ他の都市ではなく長崎なのかというと、それも他の都市より長崎を「ええ感じや」と思ったからである。なんなら長崎に住みたい。何の説明にもなっておらず申し訳ない。

今月朔日、私はパーソナルコンピューターにてグーグルマップなるテクニカルなブラウジングを駆使し、眼前のモニターに日本各地の指定した地域、風景を現前させ、剰えその景色の中を思うまま前後左右に漫歩するというスキルを会得。とんでもない遊びを覚えちまったなぁと我と我が頭脳を自讚した。

これなら旅行に行かずして、何処へでも旅行ができるやんけ。

この妙理に気づいた私は覚醒、外斜視になりつつ多事多端な日々の生産性を爆上げ(主に睡眠時間を11時間から7時間に削減)することでなんとか暇を割き、日本全国の趣あるええ感じの都市へ「旅行」した。札幌、帯広、弘前、仙台、新潟、金沢、松本、宇都宮、鎌倉、静岡、浜松、名古屋、京都、神戸、高松、松山、岡山、倉敷、広島、下関、北九州、博多、熊本、鹿児島、長崎、那覇。元来より私は日本各地の都市の風景写真を見て「もしここに住んでいたらどんな生活をしていただろうか」という妄想に愉悦を感じ、涎と鼻水を垂れ流してニヤニヤしながら寝るなどしていた。だから、全国津々浦々の自在なる回遊に日々が彩られて我、ずぶずぶのトランス状態。快便。熟睡。放屁。忘我などなど、めちゃくちゃええ感じで「ハッピーすぎるっ」と枕に顔を押し付けて足をバタバタさせて幸せだった。

といってしかし「ああ満足だっちゃ」とはならなかった。

一週間後にはむしろ「もうこれだけじゃ満足できないよぉ」と意馬心猿。もっと刺激が欲しい、うち、もっとトランスしたいねん、まだ見ぬリアルのええ具合な路地裏で白目剥いて花札を撒き散らしながらサルサ踊りたいねん。と叫んで全身が痙攣しつつ汗が噴き出し、上目遣いで往来を彷徨しながら下腹部を触ると膀胱が破裂寸前であることに気付いて泣く、みたいな状況に陥ってしまった。

なぜ我はかくも貪婪なのか。それはやはり人間には夥しい歳月をかけて変異・研磨せられた生存本能があって、つまり「欲望をひとつ満たせば更なる欲求が生まれる」という足るを知らぬ性質が現在遍く存在する人間には共通して備わってしまっているのであり、私は人間であり、おぎゃん。めちゃくちゃ強欲だら。

ベランダに出て暮れなずむ夕景を仰ぎ見つつ煙草を吸っていた私は、わざわざ三段論法風のフォーマットで件の不満足、己の強欲を考察していたが「それって結局のところ普通に旅行をせなあかんってことじゃん」と気付き業腹のまま部屋に戻りカップラーメンをやけ食いした。3分間が待てなかったので麺は硬かった。

なんということだろう。テクニカルなブラウジングスキルを会得したことにより「旅行に行かずして旅行をする」という未来永劫続く享楽を獲得したと思ったのに、一瞬で我は「やっぱり旅行に行く」という次なる欲求に支配されてしまった。これは業苦か?

まぁ次なる欲求というかシンプルに原点回帰だな。とカップラーメンを食って落ち着いた私は布団に横になってまだ考える。

そもそもグーグルマップ旅行は旅行ではなくてブラウジングである。一次元下の欲求を満たすところから始めてスタンダードな欲求に戻ったといえる。ていうか全く別の欲求を満たしただけだったともいえる。であればやはり本然の旅行をせねばなるまい。で、旅行をするならば何処がいいかというと我は長崎に行きたい。一番ええ感じだった。

すわ、長崎に行きましょうべれ。飛行機乗るごんす。やるしかない。


次の日、昼過ぎに起床した私は某の銀行カードを掴んで最寄りのATMに直行。「おおおおお」訝しむ民草の目など御構い無しに叫びつつ、両腕を頭の上でクネクネと振り回しながら疾走するとすぐに銀行に到着したのでそのまま凸。

ATMはすぐ発見できたので、丁度欧米人がFuck Youとやる時みたく握り拳から突き出した中指でタッチパネルを操作。銀行カードを挿入口に注入、ピポピポして引き出し金額入力画面に到達したので素早く15万円と指定。すでに脳内ではどんなホテルに泊まろうか、いや旅館か、長崎といえば夜景だからなぁ湾を一望できる場所を根城にしたろうか、などプランニングしていたその時。どうしたことか、

預金残高が不足しています。

などと戯言をのたまってきやがった。「ぽぇぇ?」とりあえず可愛い感じで呟いておいて、「そんなはずはない」再びATMを玩弄し預金残高照会とやらをしてみることにした。が、業腹です。何故わざわざこんな、もう一度カードを挿入口に注入するところから手間暇をかけなければならぬのか。なにがテクノロジーだ、めちゃくちゃ愚鈍ではないか。

悪態をつきつつ、まぁ仕方がない。ピポピポすると、パッと画面が切り替わってやけに簡素な一行が表示された。

残高 12,092円

「全然あかんやん」

私の独り言はふらふらと空気中を漂ったが、すぐに虚しく溶けて消えた。

空の晴れかたはいい按配で、陽の下のつまらん往来は静かな平日であった。





つづく。