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「『善性』を信じるメンタル」日記|小野寺


 自分が一番輝いていた頃の思い出話ばかりする人は、少なくない。「あの頃が一番楽しかった」とはっきり口にはしなくとも「この人はこの時の自分が一番好きだったんだろうな」と思える言動を、よく目にする。
私はというと、ありがたいことに周囲に救われ身体もピンシャン動くので、いつかの時期を一番楽しかった、と思ったことがない。学生時代に長い失恋をしたときは「あの日に戻りたい」と毎日思っていた気もするが、それは若者の戯言、ノーカンでいいだろう。「情報の深さ」=豊かさといったん定義している性格なのもあって、どんなに怠惰な1日を過ごしたとしても昨日の私よりも今日の方がたくさんの情報を持っているので、私はいつも昨日より今日の私が好ましい、と本気で思っている。長い目で見ても、去年の方がイケてたなんて絶対に思いたくないし、思わないように動いている(威勢の良いことを書いたけれど、動けているのは周囲のおかげと単なる幸運です)。

 内館牧子先生の「今度生まれたら」を読みながら、介護職に就く母がたびたび「利用者さんは昔の話を何度もする」と言っていたのを思い出した。私も歳を重ねたら、そうなるのだろう。社会に、誰かに、求められる自分だった頃の話をするんだろう。と思いつつも、求められる自分でなくなる未来の想像がつかない。それは傲慢な物言いにしか聞こえないだろうし実際ある程度傲慢なのだが、なぜかというと、利用者が存在している限り母が母がいられているからだ。前期高齢者の生きがいを作っているからだ。

 悔恨と無力感に飲み込まれた時、人は無力だ。心持ちだけではどうにもならないこともある。それでも、世界の「善性」を信じたいと思ってしまう。私が70歳になる2065年にもし生きているならば、介護ロボに雑な配膳をされながら天井を見ているかもしれないけれど、それだって介護ロボを発明して巨万の富を成した家系の人間は私に感謝しているだろう。ロボの管理課の人間がボーナスを貰えているのは、私が生きているからだ。そんなことを、本当に身体が衰えた時に大真面目に口にできるように。体が動くうちから、魂を強くする投資期間として、過ごしていきたい。そうして、自分が劣化したように思う時間を、できる限り最小限に抑えて人生を終えたい。

 leccaというレゲエ歌手がいる。2009年発売の上地雄輔のアルバムに収録されていたデュエット曲「Never Ever」。Cメロの甘い歌声、「忘れたいんじゃない 、ってもしかして戻れる?って 馬鹿みたいに今もまだ捨て切れないの」……。前述の失恋を引きずりに引きずって高校三年間擦り切れるほど聴いた曲である。うーん、こういう思い出があると、やっぱり全然、今の自分が一番いい。

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