見出し画像

「港町で死際を考えていた」日記|小野寺

現在仕事で滞在している北九州市・門司港。ここでは皆優しく、温かく、横浜からいきなりやって来た私を久しぶりに会った親戚みたいに歓迎してくれる。
副業をやっていた時代にちょこっと加入していたオンラインサロンで培われた「人を紹介してきたり、話しかけてくる人は基本的には勧誘」の価値観はやはり異常で、「胸糞悪いがそれが現実」と思っていた私は頭を気持ちよく叩かれた心地である。人間って、優しいんだなあ。

滞在しているゲストハウスPORTOをはじめ、スナックや居酒屋の方はもちろん、エリアに住む同世代の方も皆優しく「一度会ったら友達っしょ」のマインドで笑ってくださる。

門司港のゲストハウスPORTOの食事会にて。
お誕生日の近いひかりさんと一緒にお祝いしていただいた

なんの因果か、門司港ではしばしば横浜生まれの方と出会う。私も横浜生まれ、神戸に暮らしたこともあるので、驚く。知らず知らずのうちに港町を求める性質があるのかもしれない。もっとスピリチュアルに言えば、導かれているのかもしれない。港町には港町の、渡来を受け入れる文化、そのために汗をかく労働者、労働者のための食事がある。雰囲気や暖かみは少し違くても、同じルーツ。文化が育つ背景にはいつでも、色濃い生活の理由があって面白い。

私の死際はどんなものだろう。一人でもいいから、友達に存在を覚えてもらえているうちに死にたい。し、今は全く願望がないものの、家族に看取られて死ぬのかも。
関東の端っこのアパートのワンルームで生活保護を受けながら孤独死…のイメージが漠然といつも脳内にあったのだけれど。身体が動くうちに色々な繋がりを持って、留まる場所をきちんと定め、人を大切にしていればそんなこともないのだろうなと思った。

門司港でその考えに至って、良かった。人生のあらゆることが「分からないけれどなんか大丈夫そう」と思えたら勝ちだ。この後の人生は死際の答え合わせをするまで、今日の生き方の話をしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?