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イラクの非日常な日常(前編:Green Zone編)

サルタック「ゆるふわ日記」の更新を毎週楽しみにして頂いている皆さま、こんにちは。
副代表の川崎です。今回で5回目の日記となります。

毎度何を書こうか考えるために、この一ヶ月半を読み返すのですが、自分もリモートワークが当たり前になってきた中で、あおてつのご指摘は何か忘れていたものを思い出させてくれました。確かに1対1の会話ってとても減ったなと。以前ならランチに行ったり、客先に行くときに電車で話したり、腰を落ち着けてサシ飲みしたりがありましたが、そういうのって全くと言っていいほどなくなったなぁと。
真衣の香港の学校の話は、自分も香港の日本人学校にいたので、情景がイメージ出来てなんだか懐かしくなりました。そういや小学校は半袖半ズボンだったし、スクールバスを先生が見送ってくれていたなぁ。
代表の荒木の記事は、「さすが我らが代表!」というものでしたが、噂の論文を開いてAbstractを読み始めたところで、そっとページを閉じたのはここだけの秘密です(英語が頭に入ってこない、、、)。でも、教育は人々をHappyにするの?って聞かれたら、私は「当たり前でしょ」と答えられるようになりたいなと思いました。
で、次はどんなArtを見せてくれるのかと期待して畠山の日記を見たら、タイトルは何ともな感じですが、とても考えさせられるお話しでした。実は将来畠山大臣の秘書ポジションを密かに狙っていたので、ちょっと残念でした。
そして、今をときめくオオタニサンを生で見に行ってきたという山田と畠山にはうらやましい限り。プロ野球は何度か見に行きましたが、メジャーはさすがメジャーですね。
最後に、イトウネシアのYouTube紹介。YouTubeは音楽を流し聞くくらいで全く見るということをしないので、こんな感じなんだと新たな発見でした。


さて、今回の私の日記ですが、この記事を書こうと思ったのは、アフタガニスタン情勢に衝撃を受けたのがきっかけです。
それ自体にどうこう言う立場も権限も能力もないので、何かそこに言いたいわけではありません。アフガンに行ったこともないので縁もゆかりもあるわけではありません。
ただ、仕事の関係で2年間イラクに駐在していたもので、報道の写真などから、なんとなくそこの空気とか町の様子とか状況が具体的にイメージできてしまい、たぶん、人より身近に、実感を持ってとらえられるからなんだろうなと思ったのです。

だからということではないのですが、きっと多くの人が経験したことのないイラクにおける外国人の生活というのを少しご紹介してみようかなと思いました。


なお、先に言い訳をしておきたいのが、ここに書くことって、「イラクの日常生活」では全くないのですよね。あくまで、イラクにおける、日本人が金をかけて実現する「イラクの非日常な日常」。イラクに住む人々は、日常的に仕事したり、家族と団らんしたり、お買い物したり、でも、そこに日本では考えられない制限や危険があるということ。アフガンも、きっとそう。
本当はそういう生活を日常としてお伝えするべきなのでしょうが、そういう話ではありません。
それと、約10年前の話で(だからもう時効で、ある程度具体的に書いてもいいかなというのがあるのですが)、今は全く違っているかもしれませんので、まぁ、あくまで読み物として「へーっ」と思っていただければ幸いです。

今回は前編、「Green Zone編」です。

1.いきなりですが、Green Zoneって?

バグダッドの市内にGreen Zoneと呼ばれるエリアがあり、全体が数メートのコンクリートの壁(いわゆるT-Wall)に囲われた「外国人用安全地帯」のようなものです。各国大使館も含め、外国人はその中にステイするのが一般的で、当時は確か米軍か、米軍にやとわれた民間警護会社が、数か所ある検問所(チェックポイント)を管理していたと思います。

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(T-Wallと呼ばれるコンクリの壁。Tの字を逆さにして、自立できるようにしたコンクリの塊を並べたもの。自動車爆弾に耐えられるらしい。。。)

まずイラクの一般市民は中に入ることができず、特別な許可や中で仕事をしている人しか入れないようになっていて、私の勤める会社のローカルスタッフも、入れなかったと記憶しています。
それでも中を自由に歩くなどは全く許されず、歩いている人は見たことないなぁ、という記憶です。

最初の1年くらいは、そのGreen Zoneの中に住んでいました。

2.Green Zoneの衣食住

服については日本から持っていくか、後ほど話すヨルダンへの一時出国の際に買っていましたが、とにかく夏場は熱いので、Tシャツ、ポロシャツがいいところ。客先に出向くときは一応スーツにワイシャツだったのですが、問題は、クリーニングなんてものはないこと。洗濯は一応ランドリーサービスがついていたのですが、白いワイシャツを出したら茶色くなるか縮んで返ってきたという状況なので、クリーニングは一時出国の時に出すしかできませんでした。
なぜ茶色くなるかというと、水が悪いからということで、途上国あるあるですが、水道水は絶対に飲めるクオリティではないし、無味無臭透明でもない。毎日薄茶色の水のシャワーを浴びていましたが、水が出るだけありがたい。また、砂嵐が日常だったので、もちろん外に干すなんてできず、そうすると洗濯したらそのまま乾燥機にぶち込まれるので、服は当たり前に縮むというわけです。

食は、住んでいたキャンプ(ん?キャンプ?)が、アメリカ系の警護会社の施設だったので、毎日アメリカンな料理ばかりを食べていました。うまいんだけど、さすがに毎日同じなので飽きます。楽しみだったのは、週に何日かあるBBQ。働いているシェフたちは、出稼ぎのバングラデシュのお兄ちゃんたちでしたが、結構気さくで愛想よく話ができました。
食の良かった点は、ソフトドリンクとアイスが食べ飲み放題なところ。いったいどうやって材料や食料をこんなバグダッドに持ち込んでいるのか不思議でなりませんでしたが、軍系列の物資補給力は一般人の想像が及ばないということだと実感しました。

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(お気に入りのBBQ。ハンバーガーうまかったなぁ)

で、住ですが、そう、キャンプなんです。
元々米軍が駐留していた軍のキャンプを、民間警護会社が借り受けたか何かしたところに、民間人の私たちがその警護会社と契約して間借りしているという感じだったので、部屋や設備はまさに軍隊のキャンプなんですね。って言っても軍隊のキャンプを見たことある人もそうはいないはず。
お金を払って間借りしている我々は一応VIP扱いだったもので、軍の将校たちが利用していたというシャワートイレ付きの一戸建ての部屋をあてがってもらっていましたが、特徴的なのは、天井が分厚いこと。なんでもロケット弾が落ちてきても大丈夫な仕様だそうです。

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(分厚い天井が安心!)

また、軍のキャンプなので、敷地内にシューティングレンジがあるんですよね。ということで、毎朝銃の訓練をする音で目覚めるという生活。途中から気にもならなくなりました。
住で面白かった(?)のは、外が熱すぎて、シャワーを浴びているときにお湯をひねっても水をひねっても熱湯が出ること。
バグダッド滞在中、最高気温51度を体験しました。

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(世界で一番暑いところ)

3.Green Zoneの日常

仕事の話は置いておいて、ずっと住んでいたわけなので夜とか土日(現地は金土休みでしたが)をどう過ごすかは大問題です。だって、敷地の外に勝手に出られないわけですから。
何とか自由時間を有意義に過ごそうとするために、まずはお酒。ただ、これが結構難儀で、バグダッドで唯一酒が買えるLiquor Shopと呼んでいたお店がGreen Zone内にあるのですが、ここに自由に行けない。仕事で外出した帰りに寄り道してもらったり、警護会社の人に頼んで買ってきてもらったりしてましたが、大変貴重でした。なぜ貴重かは、後ほど。ただ、結構いいウイスキーが売っていて、上司の奢りで高級ウイスキーを(何本も)開けていたので、私がウイスキー好きになったのはバグダッドのおかげでした。

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(日本で自腹ではまず買わないウイスキー。これを1番で2本とか、、、)


次に、これも上司のおかげで日本からWiiを持ち込んで、ゲームができたのが結構楽しかったです。Wii Sportsとかぷよぷよとか桃鉄徹夜とか、人生で一番ゲームを楽しんだ2年だったかもしれません。シューティングゲーム(007 Golden Eye)があったのですが、警護会社にいた元特殊部隊というアメリカ人のお兄さんとやったら、上手過ぎて衝撃でした。

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(日本からボードゲームなんかも持ち込みました。たぶんバグダッドで初めてジェンガを遊んだのは私たちです)

そして、なんといっても麻雀。これも人生でこんなに麻雀をやることは2度とないだろうというくらいに明け暮れた2年でした。麻雀は、ベテランの方々ともできたので、仕事のメンバーとの交流に非常に役立ってくれたと思っています。3回くらい役満出しましたかね。

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(バグダッドで運を使い果たすとマジでやばい)

あとは、涼しくなったら敷地内をランニングしたりしていましたが、熱すぎるか、埃っぽ過ぎるか、寒すぎるか(冬は逆に乾燥していて超寒い)であまり続きませんでした。キャンプにジムもあったのですが、軍隊上がりの屈強な兄ちゃん姉ちゃんが、常人ではありえない重さのダンベルやバーベルをひょいひょい使っている中で、ひょろひょろの日本人がトレーニングなどできるわけなく、部屋で自重トレーニングが精一杯でしたね、、、

4.バグダッドの移動

バグダッド市内の移動は、上述の通り一歩も外を歩けない中なので、キャンプの敷地から出る際はもちろん車両での移動になります。
この車両ですが、コンボイと呼んでいて、自分が乗っている車両の前後を2台の車で挟んで最低3台で走ります。車両は、アメ車のごっついのやランクルの防爆仕様。横で爆弾が爆発しても、ひっくり返りはするが、中はつぶれないといわれましたが、経験したわけではないので能力のほどはわかりません。ただ、ドアや天井、床下に数cmの鉄板が挟んであり、窓ガラスは防弾仕様で厚さが3cmくらいあって鉄の硬さ。ドアは重たすぎて、私の力では開けられませんでした。

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(防爆仕様車を軽々のりこなすお兄ちゃんたち)

それをひょいと開ける屈強なお兄ちゃんたちが、マシンガンと拳銃をもって、コンボイに乗り込んでくれます。私たち3,4人が移動するのに、前後の車両合わせて最低6人の武装警備がついて移動するということです。
さらに、私たちは車の中にいながら重さ10㎏くらいの防爆(注:防弾より上)チョッキをきて車に揺られるわけですが、そりゃ腰も痛くなりますわ。
そんなわけで、一回の移動にかかるお金は相当のもの。世界一高いタクシーの一つかと思います。なので、Liquor Shopにお酒を買い出しにちょっとそこまで、なんてのもできるわけがないのです。

5.一時出国、帰国

そんなバグダッド生活の一番の楽しみは、2か月に一度を目安にしていた一時出国。当時は国際線もほとんど飛んでいなかったので、お隣ヨルダンのアンマンを拠点にして、1週間ほどリフレッシュ休暇を頂いていました。
アンマンに出ると、自分の足で自由に歩ける、タクシーは安い、好きなものを食べられる、スーパーに買い物に行ける、そんなことがとてもうれしかったです。

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(アンマンでは寿司だって、日本酒だってある!)

ヨルダンは、世界遺産にもなる観光名所もたくさんあり、しかも当時は観光地としても未開発というか全然混んでいなかったので、じっくり堪能できました。また、食事もおいしく、寿司屋なんかもあり、お酒を飲めるレストランもあって(ラマダン中は無理でしたが)、この世の天国かと思っていました。ヨルダンからイラクに戻るときは、トランクの半分以上にお菓子とか酒とかインスタントラーメンとかを詰め込んで持ち帰りました。
さらに半年に一度日本に一時帰国していましたが、日本に帰ってくると、同じ地球上とは思えませんでしたね。改めて日本の魅力を全身で感じることができ、そのありがたさが身に染みたのも、貴重なことであったのかもしれません。

以上、前編Green Zone編でした。さて、次回は中編コンテナハウスとイラクの街並み編の予定です。

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