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「25年後の「さようなら」」

※「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のネタバレを含みます。
考察とまではいきませんが、独自解釈だらけです。単に「25年間、共に生きてきた存在がいなくなった人」の話。


25年前、正確には26年前だけど、水曜日の夕方18時半に「新世紀エヴァンゲリオン」は始まった。
4歳の私はフラッシュカットのOPに惹かれ、ガンダムとは違う初号機のフォルムとカラーリングに一目惚れした。
それからことある事に、エヴァンゲリオンという作品は私の胸を掻きむしる。
人類補完計画ってなんだ。
エヴァってなんだ。
旧劇場版はあれでよかったのか。
新劇場版:破とQの14年間の空白はどうしてくれるのか。
その執着にも近い全てが、終わる日がやって来た。

2021年3月9日、延びに延びた公開日が突然決まり、初日は逃したけど2日目の初回に滑り込んだ。
2時間35分に詰め込まれた膨大な情報量は、1回では理解し難い。
それでも、エンドロール後の「終劇」を見て、劇場内の明かりが着いた時、ただただ、
「終わった……」
と感じた。
大きく、長いため息が出て、そのため息は周りも同じで、皆が万感の思いを抱いていたことが分かった。そのため息には、それぞれの25年分の想いが詰まっていたのだろう。
「すげえもん見たな」「終わったな」とぼんやり考えつつ、今ある現実が本当にそうなのか、なんだかあやしい気持ちになりながら映画館を出た。

25年という歳月は、4歳の子供が自分の車に乗って映画館に行って帰って来れるようになるぐらい、長いものだ。
たった40分少々の帰路が、私にはとてつもなく長く感じられて、何年も家に帰っていなかったかのような錯覚に陥った。

家に帰って、妹に、
「満足した?」
と聞かれた。
満足?
分からなかった。これは決定的に満足とは違う。しかし不満でもない。不満なんてとんでもない、大団円でとても嬉しく思ったのだ。なのになんだろう、この喪失感は……。

一晩たって考えた。

初号機のエントリープラグに取り残された綾波レイのように、私たちは「エヴァンゲリオン」という繭の中に、ずっと居たのだ、きっと。
分からないことは沢山あるけど、全てを始めた「初号」のシンジが、全てのエヴァンゲリオンを消し去り、「エヴァの呪縛」から放たれた子供たちは成長して、大人になった。その彼らが現実の世界に飛び出していく。
この映画が終われば、私たちは「エヴァンゲリオン」の世界から現実世界へ旅立つ。
私たちは、シンジに、庵野秀明という人に、その門出を見送ってもらったのだ。
だから、寂しいけど、嬉しくもある。
そんな気がした。

自分が始めたことにケリを付けたんですね、アンノさん。
全てのキャストさん、スタッフさん、長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。

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