妊婦健診で助かった話。
少し前に、妊婦健診に行かない有名人の話題を見かけました。「予定日や性別はわからないまま産んで、見て確かめたい」という理由です。性別や子の姿は、生まれてからの楽しみに取っておく、というのは悪い考えではないかもしれません。
しかし妊婦健診で用いるエコー(超音波)検査は、親が胎児の様子や成長を見て楽しむだけのものではありません。というよりも、エコーで顔を見たり性別を確認したりするのはサービス、オマケのようなもので、本来の目的は、母体と胎児に異常がないか、このまま安心して産める状態なのか、そうでないならばどういう準備が必要なのかを確認して、母子の命を守るためのものです。
去年生まれた我が子も、妊婦健診に命を助けられた子の一人でした。「まさかうちの子が」の「まさか」って本当にあるんだなぁと思った経験を、参考までに書いてみようと思います。
それはちょうど約1年前、少し蒸し暑くなってきた頃でした。日本でもコロナの流行が本格化し、店は閉まり、街に人は少なく、当時妊娠中期だった私は、せっかく出かけるのにどこにも寄り道できないなんて面白くないなと思いながら、少し重くなった身体を抱えて妊婦健診に通っていました。
体重も血圧も血糖値も問題なし。超音波検査では週を追うごとに人間らしい形に変化していく様子が面白く、顔に手がかかって4Dエコーで顔の様子がうまく見えない日はちょっと残念だなぁなんて思ったりもして、コロナという未知の感染症への不安はありつつも、そこそこ呑気な妊婦生活を送っていました。
経産婦の方はご存知だと思いますが、妊婦健診の超音波検査では、胎児の頭囲や胴体の大きさ、大腿骨の長さなどを測定し、胎児の体重を推定します。胎児成長曲線に照らし合わせて赤ちゃんが正常に発育しているかを確認するためです。
妊娠25週頃までは正常値の下限よりちょっと上くらいのところを推移しながら緩やかに増加し、特に腹囲がほっそりしていたので、実家の母に電話しながら「私に似て背が低いかもしれないね」「パパもママも痩せ型だものね」などと話していました。
妊娠29週頃の健診では、これまでずっと逆子で「このままだと帝王切開…!」と焦っていたのが、いつの間にやらぐるりと回って頭が下になり「あぁよかった」と胸を撫でおろしました。この日の超音波検査では、赤ちゃんの体重の伸びが悪く「まぁ推定だから誤差もあるし、あまり気にしないで」とも言われました。一方、私自身は体重増加のペースがやや早く「食べ過ぎに注意してね」と釘を刺されたりもしました。
その1週間後にはスクリーニング検査といって、体のサイズの他に、心臓がきれいに4つの部屋に分かれているか、肝臓などの臓器や太い血管は正常に作られているかなどを超音波検査で見てもらいました。そのときにもやはり「身体が少し小さいね」と言われました。頭の大きさは正常でしたが、胴が細く、推定体重が小さいので、念のため内臓や血管をより時間をかけてじっくりと確認してもらいましたが特に異常なし。「小柄な子なのかもしれないし、誤差かもしれないし、とりあえず様子を見ましょう」と言われました。帰宅して夫に伝えると少し心配そうで、私も「まぁ個性の範囲かもしれないしね」と言いつつ、一抹の不安を抱えて翌週の健診を待ちました。
妊娠31週の妊婦健診、この日、ついに成長曲線の正常範囲を下回る数値が出ました。先生は私に「今日の午後は空いていますか?」と確認したあと、受話器を取って「至急診てもらいたいのですが」と電話をかけ、「午後イチの予約を取ったので、この病院に行って詳しく見てもらってください」と紹介状を出してくれました。
午後の予約までに腹ごしらえをしておかなければと、クリニックの近くに店を探してとぼとぼ歩きながら「もしかしてお腹の子に異常があるのではないか」「この子は無事に生まれてくるのかしら」という不安と、「でもスクリーニングではどこにも異常がなかったし、ちょっと小さいだけだから…」と不安を打ち消そうとする考えとが頭の中をぐるぐると回っていました。4Dエコーでは鼻や唇もはっきりと見えるようになり、胎動も日々感じられ、買ったばかりの肌着を水通ししながら「赤ちゃんってこんなに小さいのか」と感心したりして、お腹の子への愛着が一層湧いてきた時期でもあったので、何かあったらどうしようという恐ろしさをジリジリと感じ始めていました。その日の昼食は、不安な気持ちを誤魔化すように、少し奮発してお高めの和食膳を食べたのを覚えています。
その日の午後、別のクリニックでじっくりと、診察台の上で寝落ちするくらいたっぷり時間をかけてエコーを診てもらいました。出た結論は「血流異常による胎児発育不全(FGR)」。何らかの理由により胎盤から胎児に行くはずの血流に異常があり、必要な量の血液が胎児に行っておらず、発育に支障が出ているのだそう。
血流量が不足していること以外に異常はないので、内臓も器官も正常に形成されていますし、生き物の身体というのはうまくできているもので血流量が足りない場合には頭に優先的に送られるようになっているので、頭部、すなわち脳の発達には問題ないそう。しかし、これ以上成長すると、この血流量では生命を維持するのが困難になり、お腹の中で死んでしまう可能性が高いとのことでした。
長くお腹に留め置けば、血流不足で死んでしまうかもしれない。しかし早く出したら出したで、妊娠後期に発達する目の血管や肺などが未発達のままの早産になる。お腹の子の余力を見ながらなるべく長く胎内に置き、しかし手遅れになる前に取り出すため、MFICU(母体胎児集中治療室)とNICU(新生児集中治療室)のある病院に転院するようにと言われました。
そのときの私の気持ちはというと、それほど悲観的でもなく、むしろ少しホッとしていました。まず、胎児自身に異常はないということ、そして日本の周産期医療であれば少なくとも32週、できれば34週までたどり着けば、予後もよいと説明を受けたので「あぁ、手遅れになる前に、子がお腹の中で力尽きてしまう前に、気づくことができてよかった」と思えたからです。あと1〜3週間、お腹の子が頑張ることができれば、しばらく NICUに入院することにはなるだろうけど、きっと無事に成長してくれるだろうという希望が持てました。
通っていたクリニックは、無痛分娩ができるという条件で探したところで、完全個室。レストランのシェフが作る料理とパティスリーのおやつを楽しみにしていたので、転院はとても残念でしたが、背に腹は変えられません。
転院後は、週に2〜3回通院してNSTという装置やエコー検査で胎児の様子を確認し、2週間ほど経ったところで毎日確認できるようにと管理入院になりました。通院のない日は、胎動でしか子の生死を確認できず「なるべくいつも胎動は気にしていてくださいね。胎動が少なくなったりなくなったりしたらすぐに連絡してくださいね」と言われて気が気ではなかったので、入院が決まって少しホッとしました。
入院期間がどれくらいになるかわからなかったので、仕事に使う書類やノートパソコン、それから読書用の本を何冊もカバンに詰めて入院しました。が、翌日の朝、血流量が低下し、赤ちゃんの余力もなさそうだということがわかり、緊急帝王切開に。大量の本はスーツケースのおもりになっただけで、退院の日まで一度も取り出されることはありませんでした。
妊娠33週、体重1200gちょっと。2リットルペットボトルよりも軽い身体で生まれた娘は1ヶ月半ほどNICU、GCUに入院していましたが、その後は特に後遺症などもなく、今は元気に保育園に通っています(そして保育園の洗礼を受けて親は少しへばっています…)。
現代日本ほど医療の発達していない土地や時代であれば、もしくは妊婦健診を受けていなければ、あまりお腹が大きくならないなと思っているうちにひっそりと死産になっていたことでしょう。ドラマや漫画ではたいてい、お腹の子が失われるようなときには、ウッとお腹を押さえるような痛みがあったり、出血が見られたり、もしくは飲酒喫煙薬物など妊婦の行動に問題があったり、といったわかりやすい予兆があるものです。しかし、実際には何も言わずに静かに弱り、消えそうになる命もあるのです。
妊婦健診は自治体が発行するチケットが使用できるものの、病院によっては追加でお金がかかったりもしますし、時期によって1〜4週間に1度通院する必要があるので、仕事をしながら通うのは面倒なことでもあります。つわりやお腹の重みでしんどそうにしながら、混雑した電車に乗っている妊婦を見て「こんなときに無理に外出しなくても」と思う人もいるかもしれません。それでも妊婦健診は、妊婦と胎児の命を守るために必要なことであるということを、妊婦本人はもちろんですが、家族や職場の方々など、妊婦を取り巻くすべての人たちに知っておいていただきたいなと思います。
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