諦めても試合は終わってくれないから


「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というのは有名な漫画の台詞だけど、実際諦めた時点で、もう勝敗は決まったようなもので、試合は終わったも同然ということになる。
でも、どうしたって時間終了のその時まで試合は続いてしまう。たとえ諦めても試合はすぐには終わってくれないんだ。

諦めても終わってくれない時間を過ごすことは、多分生きていて一番しんどいんじゃないかな、と思う。だから、こんな時間早く終わってほしいと願うのは、とても自然なこと。

自分の中の大切なものをちょっとずつ諦めていくことでしか生きてこられなかった人たちが、こんな時間早く終わってほしい、死にたいって思うのは、至って自然なことなんだろうと思う。死にたいは自然。

でも、私はやりたいことを先延ばしにするのが得意だ。
そんなの得意でも良いことなんてないけど、死にたいを先延ばしにしてここまで来たら、良いことがちょこちょこあった。
もちろん悪いこともちょこちょこあったし、生きててよかったなんて言葉は、一生使うつもりはない。
生きてれば良いことあるよ、なんて言葉も一生誰にも言えない。

自分の生をまるごと肯定するなんて私にはできない。

でも、それでも生きてこられたのは、たとえ自分の生をまるごと肯定はできなくても、その中に光っている一粒一粒は本当にきれいだと思えているから。
きれいだなって思える心だけ殺さないように生きる。
食べ物食べておいしいって思ったり、星を見つけて嬉しくなったり、お布団の温かさを感じながら眠る。そういうのを素敵だなって思える自分の心だけ殺さないようにできていたら、生きていけると思うんだ。
きれいじゃない一生の中に目を凝らして、これはきれいだって思える一粒一粒を見つける。そんな宝探しに時間を使っていつの間にか死んでしまえるといいなと思う。
ひとつひとつをこぼさずにかき集めて大切にする。私はそういうことが多分ちょっぴり得意なんだ。

諦めても、諦めても、全然終わってくれない人生を送る人たちと手を繋いでいたい。だって、一人寂しいから。もし他にも寂しい人がいるなら、私と手を繋いでてくれないかなってずっと思っている。

どんなに諦めても全然人生は終わってくれないから、いつか絶対に来る終了時刻まで時間をつぶして生きている。
その間に見つけた大切な一粒一粒をきれいでしょって見せながら暮らしていくから、たまにでいいから誰か覗き見していてね。


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