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お仕置きについて夢現と共に喋る回

皆さんおはよござます。さりです。

寝起きです。目、半開きです。7時47分です。
今大して意識もないので敢えてそのままに、今回は絵文字や顔文字、太字など、一切加工無しで思った事をつらつら書いてみようと思います。
日本語も言葉遣いもあやふやです、着地点も分からないクソ真面目な記事になるかもです。

つまらなかったらすみませんですが、時間だけは返せません。

許して貰える方のみどうぞ。ふぁぁあ…。


↓↓↓


さて、私の小学生時代はまだ体罰に関する法律が細かく制定されておりませんでした。

露骨にバケツ持って廊下に立っていた生徒は見た事ありませんでしたが、正座は当然、稀にビンタ、押し入れに閉じ込める事や食事抜きは普通に脅しとしても多用、実践されてましたし、周りに聞いても、行儀や素行が悪いとお小遣い無しや外へ追い出しはされている様でした。

我が家ではそれにひと項目追加。
ご存知の通り、
下着まで下ろされてのお尻ペンペンです。

当時ももう珍しい部類だったかも知れませんでしたが、度が過ぎると母の膝にうつ伏せに乗せられてしまい、ひどい時は泣いてもお尻をお仕置きされました。

お仕置き理由はテスト関連やおねしょ関連、嘘、万引き、門限破り、約束事の忘れなど。
友達や周りの他の子で言う重度な悪さへの再犯防止策がキツめの説教とよくある罰(正座、押入れ閉じ込め、追い出し等)である中、我が家は叱られる事をした懲らしめの罰にただお尻叩きが加わってるだけの、他と何ら変わらない何処にでもある家族です。

イメージ、その敷居は割りと低いものでした。
スカートをめくられる時、パンツを下ろされる時やそれ以前からの反抗、お仕置き決定時の拒みや態度から、私が酷く嫌がっていたので、母は中度~重度の罰としてよく使っていたのでは無いかと思います。

自分の足でお仕置き部屋に行かない時は引き摺られたし、まだ軽い時は抱っこされたし、その労力を見ても母の躾に対する揺るがなさは強く、私が悪さを悪さと認識するお尻叩きの効果はかなりあったと推測されます。

一度そこへ連れてかれて膝に乗せられると私は激しく嫌がったものです。
一度や二度じゃありませんし普通に記憶として残っている年頃なので経験としてその体勢に拒絶を表します。

しかし、妹の分も含め私がされた回数以上に母も経験してるので、抑え方、叩き方、叱り方は慣れており、力量の差も相まってとてもじゃないけど逃げ切れたためしがありません。

床は畳で地に足着きますけどてんで役に立ちません。

当然の様にスカートもパンツも無くされてしまった私はヒーヒー言いながらお尻を叩かれて反省を促されます。

もちろん、叩かれ初めは痛くありません。
驚きやまだ間に合うかもって抵抗に徹していて痛そうに、バタバタと忙しそうに見られるかも知れませんが、まだ大大大。

でもそれが10回ほど続くと状況が一変します。

普通に同じ様な所何度か叩かれたら痺れてきますし、以降変わらないだろう状態、引き返せない空気、免除や終わりの意向へ変えそうも無い母の手が止まらない。

ゆえに私はちょっと衝撃に慣れてきたら一度手脚を大人しくさせて言葉で交渉をしていた様に思います。

でも、大体の交渉は決裂して続けられました。

泣くとかないけどそんなたくさんは考えられないし、それからはもう諦めて耐える方にギアを入れ替えるのですが、、、

お尻、痛いです…。

まだ母の手の方が大きかったのか、1回でも全体がじんわりさせられてそれを何回も何回も。

脚は時が来るまで畳にベッタリ着けてる様に心掛けましたが、腰から上は母に効果アリを見せつけるが如く苦しんでました。

頭を上げたり下ろしたり、手で畳を前後にずったり、グーにしたり。
叩かれた方のお尻を沈めてもう叩かないでって母との距離を取ってたかもしれません。
その為に腰をひねったり浮かせたり、忙しいですね、私。
極めつけは呻いたり痛い事を必死に訴えてましたから、もうお尻ペンペンされたくないって事は丸分かりです。

その光景を上から見ていた母はきっと、想い描いた私の猛省姿に満足すると同時に、限界が近く手でお尻を守ろうとする態度に呆れていたのでは無いでしょうか。

しかし、たとえガードが入ってもそこは母親。
苦しいからやめてあげるとか中途半端な躾で済ませるとかって考えは無さそうでした。

その段階まで来ると、もっぱら私はワーワーと泣いてしまっていたし、どんなに自分が悪くないと思っていてもごめんなさいって言ってお仕置きやめて貰う事に必死です。

脚も動いてお尻を守ろうと全身を使った逃げをしますがあまり意味無く。
いくら嫌でも家族だし親だし殴りかかる訳にはいかず、25も違う親の力で抑えられた小中学生に勝ち目はありません。

私はお尻が痛くて泣きます。
引き攣って言います、「ごめんなさい!」

まるで母の膝に接着剤を付けられたみたいな腰下を軸に、背を反らせたり曲げたり、手を伸ばす為に横に振ったり。号泣しながら。

そうやって意識なく泣き顔を見せてるのに母はやめてくれず、私のお尻に受け止められない威力を振りかざして来ます。

私、この時もう自分が自分じゃ居られません。
ここら辺の記憶が曖昧です。

自分の意思と体が分離されて、自動的に動かされているような感覚。

けれど、軽いものはさておき、度が過ぎた時はそこを経ないと終えてくれなかったのは確かです。

とにかく、必死でした。


長く戦った末に終わったお仕置き。
体はぐったり疲れていて、喉は乾いている。
首元と肩がしっとり、涙かヨダレか分からない。
感覚の鈍り的に、1発叩かれようが何発叩かれようが変わらないお尻になってます。

立つよう言われるから立ち上がるんですけど、直前までゼェハァ泣いてたから直ぐには動けず、まだ抱えられる重さの中学年頃までは脇の下に両手入れられて立たされました。

高学年になると生理や少しの発毛が有ります。
また、親であってもお尻を向ける、出す事にもちろん抵抗が増えていきます。

けれど、恥ずかしくて嫌なのはお仕置きが決まってから反抗が無駄だと思わされる初手10発ほどまで。
後はもう諦めというか、非を認める、不本意ながら謝り出すに切り替えざるを得ません。

母からしたらさっきまで猛烈に拒んでたのに急に素直になったから、きっと、腹を立てたと思います。

辛いから辞めたい、痛いからやめて欲しい、って言う手のひら返す様な事、母は大嫌いで何度か怒らせましたから多分きっとそうです。

対等な力が有れば別ですが、どうして非力な子供に抵抗もさせずお尻を丸出しに泣くまで叩く躾が有るのでしょう。未だに不思議に思います。

中学生になってお仕置きされた時も恥ずかしくてとっても嫌でした。
直にしないお尻叩きなんて無く、胸も膨らみかけていて大人の気持ちが少なからずあったので、より嫌だった。

本当に辛かった。

でも、せめて救いだったのは

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