あけましておめでとうございます。
2017年もあっという間に終わり、2018年が始まりましたね。
新年あけましておめでとうございます。そして、いつも漫画を読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
今まで淡々と漫画をあげていた私ですが、新年のご挨拶と合わせて少しお話をさせていただきたいと思います。
私が投稿している漫画は、実は卒業制作の一環として制作しているものです。正直言うと、お見舞いに行く口実としてこの漫画を卒業制作にした、という感じでしょうか。この漫画をwebで公開してどんな反応を得られるか、人にどういう影響を与えられるのかを調査するために、noteに投稿を始めました。
なので、もし漫画を見てくださっている方、似た経験がある方がいらっしゃいましたらどんどん感想を聞かせていただきたいです。
よろしくお願いします。
そんなことはどうでもよくて、
漫画を読んでくださっている方はご存知かと思いますが、昨年2017年の4月に脳幹出血で父が倒れました。
今まで積み上げてきた何もかもが変わって、正直生きてきた中で一番辛く苦しい一年であったような気がします。
お見舞いに行くと変わり果てた姿にいつも涙をこらえるのに必死で、何度も元気に復活する父の夢を見て喜んでは、目が覚めて夢であることに気づきまた泣いて。
食べるのが大好きで、太いくせにテニスがめちゃくちゃうまくて、校長先生として小学校で働いていた父。
中学生の頃は夏休みに毎日、私たち兄弟3人と父とで朝からテニスをしに行って汗だくになって家に帰る。母は昼ご飯を作って待っていて、私たちはシャワーの取り合いをして喧嘩する。セミがうるさく鳴いている中、夢中でご飯を食べて少し昼寝をしてからまたテニスの練習に出かける。夢中になってボールを追いかけた後、夕暮れの田舎の細道を軽トラの荷台に乗って風を感じながら家に帰る。
今の姿からは想像もできない、そんなごくごく普通の日常がありました。
父が発症してから約8か月。
奇跡の復活だの、驚異の回復だのドラマで見るような展開をどこか期待している自分がいました。もしかしたら明日には何か食べられるようになるかもしれないし、麻痺した手足も思い出したように動かせるようになるかもしれない。しかしそんなことが起きるわけもなく日は刻々と過ぎて、現状としては少し右手を大きく動かせるようになったくらいでしょうか。
少し声は出せても喋ることは不可能、筆談の字もぐちゃぐちゃで、表情もあまり変えられない。常に口が開いていて、乾燥で唇は切れて血が出ている。おまけに片目が閉じにくく、視界は何重かに重なって見える。
尿は常に管から排出され、オムツに便をする。一滴の水も一粒の米も飲み込むことができなくなって、栄養は胃に直接流し込まれる。毎日喉に溜まるタンを、むせながら何度もチューブで吸い取ってもらう。しっかりとした意識の中、一日中天井を見つめ、病室の外の人間と同じ24時間を過ごす。
倒れた当初は、とにかく意識だけでも戻ってきてほしい、寝たきりでもいいもう一度私たちのことを認識してほしいと願っていました。
しかし、今となってはどうなのでしょうか。残酷な現実を、鮮明な意識の中生きなければならないことが願っていた形なのでしょうか。
今でも考え始めるとよく分からなくなることがあります。
それでも、『脳幹出血』という脳出血の中で最も重症で生存率の低い病気を乗り越え今も生きていることが本当に奇跡のように思います。
新年を迎え、父は引き続きリハビリに励み、私たちも全力で支えていくしかありません。まだまだ回復の可能性はありますしね。
当初よりは慣れたこともあって、ようやく父とも今まで通りの関係に戻れたような気がします。
父は私たちにとって患者ではなく、病気をして体が動かなくなってもやっぱり父でしかありません。
普通にムカつくこともあるし、でも普通に好きやし、
そんな感じです。
ダラダラと話してしまいましたが、これからも漫画は投稿し続けます。
2018年も引き続き、宜しくお願い致します。
では、ここまで読んでくださってありがとうございました、
良い一年を。
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