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「違いは違いであって間違いではない」は、違うって話

別居136日

先日、夫から渡された離婚届には、しっかりと彼だけでなく、ご丁寧に証人の欄にまで夫の友人の直筆サインが記されていた。

今回は、その、サインしやがった、もとい、サインした友人から発展した考察記事になります。(少々、言葉が荒れそうな予感であります)

夫の親友?悪友?たちと、鍵をかけない我が家

証人の欄に署名捺印したのは夫の小学校時代からの同級生のNくん。

Nくんはバツ1。再婚し、現在は2回目の結婚生活を送っている。

夫は、Nくんの1回目の結婚式も、2回目の結婚式も、友人代表の挨拶をしている。

2回目の結婚式の挨拶の冒頭では「1回目に引き続きまして、2回目も私が挨拶をさせていただきます」という一言を添え、会場は苦笑い。(ウケていたのは夫と新郎のNくんだけ)

突然だけど、私が嫁いで暮しているこの田舎町は、家に鍵をかけないことが珍しくない。(私の認識、嫁ぎ先の常識)

現に我が家も、夫が暮していた時は、常に家の鍵は開いていた。玄関も、勝手口も。なんなら、窓だって開いていたし、夫は家の鍵を持ち歩かない人だった。

この鍵をかけない文化を「地域性」だとひとくくりにして同僚などに話をすると「そんなことはないよ、あいごちゃん家だけだよ」って驚かれたりしたこともあったが、夫の実家もずっと鍵をかけない家だったので、ここに嫁いで以降、この地域の防犯モラルはそういうもんだと思っていた。

一度、結婚したての頃、当たり前のように鍵をかけて出かけたら
「閉め出された、家に入れない」って電話で怒られた

そんなわけで、いつでもオープンだった我が家。(オープンの意味が違う)

そんな我が家には実によく、たくさんの人が来ていた。特に、先に出てきたNくんと他数名、めちゃくちゃ夫と仲良しの同級生たち(男性2名)は入り浸る事もしばしば。

鍵が開いているもんだから、奴らは勝手に家に入る。家のピンポンなんて鳴らしたことはほぼない。

誰も居ない時にも上がりこんで、ダイニングの椅子に座り、そこから見える室内の景色をスマホで写真に撮って「まだ帰ってこないの?」なんてグループLINEで連絡が来たこともあるほど。

夫の在宅・不在、お構いないしに奴らはやってきていた。

そして、お腹が空いていれば「なんかないの?」と言い色々食べていくし、冷蔵庫を勝手に開けて飲んでいくし、お風呂にも入るし、眠くなったら寝るし、朝まで起きない時もあるし、そんな時はそっとタオルケットをかけてあげて私も寝室で休むと、いつの間にか翌朝には居なくなっている。そんなこともザラだった。

(これってさ、今、文字に書いてみてびっくりするんだけど、普通じゃないよね?異常だよね?)

今、別居を経て、距離を置いたことで、ニュートラルな思考に立ち返って考えてみると、奴らはとても非常識だったのではないかと考えさせられる。

でも、渦中にいた時ってわからなかったのよね。奴らをもてなすことが当たり前だったし、奴らに良くしてあげると夫の機嫌も良かったから。

奴らが来れば家の中も賑やかになって、娘も小さいうちは遊んでもらってたりしてたから、まぁいっかって迷惑や非常識のセンサーが麻痺していたんだと思う。

一度、私の両親(県外在住)が我が家に数日間滞在していた時に、奴らが日中に訪ねてきたことがあった。

もちろん昼間なので私は仕事で留守。家には、私の両親だけ。

そんな中にも奴らはやってきて、母が作る昼食をちゃっかり食べ「ごちそうさま」と写真が送られてきたことがあった。

帰宅した私に「あんたも大変ね」って母は呆れていた。

そりゃそうだ。怒ったりはできないよね、すでにこの家の住人である夫や私が、奴らが上がりこむことを容認していたんだもの。

(ちなみに奴らの職業は会社経営者、大手企業の管理職など、仕事的にはちゃんとしてる)

車ですれ違う時の奴らのビフォーアフター

こんなに図々しい奴らであるから、家の外でも絡み方が半端なかった。

車ですれ違おうものなら、もぉ恥ずかしいレベルで手を振ってきたり、クラクションをプップ鳴らしたり、すぐに電話してきたり。

ほんとにアラフォーのおっさんたちなの?ってくらいガキなノリ。

そんな奴らの態度が一変した。

奴らは、さすがに別居した後は訪ねてくることはなかった。

我が家も鍵をかける文明を取り戻したし。(威張って言うことではない)

ただ、通勤時などにクルマで奴らと出くわす頻度は以前と変わらない。

変わったのは奴らの態度。

気持ち悪いほどの無視。完全スルー。目も合わせない。

やっぱさすがにそうなるよねと思ってはいたけど、先日、離婚届を受け取ってからはなんか妙に納得。Nくん。署名捺印しているんだもの。

離婚に応じない私を悪妻認定しているんだろう。夫にとっても奴らにとっても憎らしい存在になったんだろう。

奴らのウザさを十分に知っている娘に

「Nくんたち、すれ違った時とか、完全に無視なんだよ。すごくない?」

と、報告。そしたら

「もうね、そういう人たちだよ。そういう人たちだったってことだよ」

はぁー、またしても娘を大人に感じた瞬間だった。

まとめ

離れてみるとわかることってある。

私はずっと、違いは違いであって間違いではないと思って、夫にも奴らにも接してきた。

でも、そうじゃない。

「違いは違いであって間違いではない」は「違う!」ってこともあるんだ

常識とか非常識は、当然、それぞれの価値観で、それぞれの物差しで計って良いわけだけど、それを許容する範囲を見誤ってはいけない。

受け入れられる「違い」と、受け入れてはいけない「間違い」の線引き。

モラハラ自己中夫の独断別居によって、私は奴らの異文化に飲み込まれることなく(飲み込まれつつあったけど)離脱できた。

客観視することは大切だけど、ちゃんと客観視出来ているのかどうかは怪しいもんだ(文字にして振り返ると反省&後悔)。とりあえず離れたこと、今は安堵したいと思う。

余談:娘の部屋にだけ彼女の希望で鍵がかかる仕様。娘はいつだって冷静かつ常識人。






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