見出し画像

モノ言うコドモ。

食わず嫌いというコトがあるのだけど、私はそれがちっとも無くて、「食って、ダメ。」というのが、良くも悪くもちっさい時からの習慣であった。

今でこそ嫌いなるモノも無いが、思えば、ホワイトアスパラがキライな5歳児で、皆が「にんじんは、ちょっとぉ。」「あ~、うち、ピーマンはお断りしているんですよねー」なんて時に、「断固ホワイトアスパラ反対」と、嫌な感じにひねていた。

生意気盛りは、私だけでなく、十何年も前の父もまた同様に生意気盛りというわけで、ワインにホワイトアスパラなどを、ばっちりキメていたに違いない。

父がやっているのを、「何だこの白いの」と、ニュルンとしたホワイトアスパラを食って、「いや本当に、なんだこれ。」と、キライになったわけである。その辺は、5歳児らしくて大変かわいい。

コドモがピーマンを嫌うのは、やはりあの苦味であろうな。

酸味と甘みが好きな子供は、大体皆、「ヨーグルト大好き」を経るわけで、オトナの苦味など、大人世界の苦味なんて知りたくも無くて、出来ることならずっと、この保育園にいたいやい、というのが保育園児心というもんだろう。

酸味があって、甘みもある、そんなファーストキスのような、保育園児。

そんな頃から、オトナになるということを、私は、直感的にずーっとやり続けてきたのかもしれない。21年では、まだ「オトナ」を見出せてはいない。

けれども、選択肢を増やし、なんでも手にとって、体験の中から、「本当に必要」なモノコトだけ選び取って、美味い美味いとやるのが良いんだろうな。

やれホワイトアスパラだ、なんだピーマンだとワーワーやるより、そうかそうか、こういうモノもあるのか、と共生する感性が、良いのだろう。

コドモな私にも、オトナの一面はちっとくらいあって、オトナの中にだって、コドモの名残があるべきで、そういう、彩が、日々の食卓、生活、創作を艶やかにするのだ。

私なんかは、もう、保育園を卒業するより先に、ざるそば学園ピーマンの天ぷら学部に入学していたし、大葉の天ぷらが副専攻だったなぁ。なんて。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?