憧れと正装
私のファッションの目覚めは、ゴシック・パンクファッションに出会った小学4年生の頃。
山奥の田舎に住んでいた私にとって、その華美で過剰で異端なファッションは、自分が生きている同じ世界に存在しているとは到底思えないくらい衝撃的なものだった。
当時のゴシック・パンクファッション愛好家の人たちはドール作りだったり洋裁だったり音楽だったり、創作活動をライフワークにしていることが多く、「『何者か』になりたい」と願ってやまなかった小学生の私の憧れになった。
しまむらで合皮の編み上げブーツと赤いタータンチェックのスカート、所々破れた黒いパーカーを買ってもらい、詩を書き始めた小学5年生。
「ファッション」と「言葉」という私の人生の2本柱が確立し、『何者か』になるための人生がスタートした。
中学生になると、当時いわゆる「裏原系」と呼ばれた人たちのバイブル的雑誌『KERA』に夢中になった。
ブランドアイテム紹介以外にもストリートスナップ特集が充実していて、都会には自由にファッションを楽しんでいる人がこんなにたくさんいるんだと感動した。
中学3年生の修学旅行の行き先は東京。
2日目は自由行動で、私は友人と2人で竹下通りを散策することにした。
竹下通りといえばKERAっ子(KERA愛読者の名称)の聖地だが、友人はゴシック・パンクファッションに一才興味がなかったこともあり、そんなことは忘れてクレープを食べたりプリクラを撮ったりと観光を楽しんでいた。
ところが、周辺にゴシック・パンク系のお店が並んでいることに気づいたのか、「そういうお店に行ってみたい!」と友人が言う。
修学旅行でもないと来られなかっただろう東京。
憧れのお店に行きたくないと言えば嘘になる。
雑居ビルの地下に降りたところにずっと憧れていたゴシックブランドのお店があって、そこに行くことにした。
ビルの地下は暗くて、ショーウィンドウからの光だけが廊下を照らす。
カッティングの美しいお洋服を着たトルソーが何体も並んでいた。
雑誌で見た、憧れの光景。
友人も興奮しているようで大はしゃぎだったのだが、その世界観に圧倒されて中に入るのは抵抗があるようだった。
私はというと、ショーウィンドウに映る自分を見て、言葉を失っていた。
全く自分らしくない制服に、自分らしくないリボン、自分らしくない白ソックス。
今思えば制服なんてそんなものだし、店員さんはきっとそんなことは気にしないでいてくれただろうと思う。
それでも、こんな格好で憧れのお店に足を踏み入れることはできないと思った。
たとえそれが安物だろうがなんだろうが、自分らしい服を着て、もっとワクワクした気持ちで特別な瞬間を迎えたかった。
憧れの場所だから、特別な場所だから、「正装」で挑みたかった。
ただの拗らせ中学生の戯言かもしれないが、本当に苦しくて、お店の目の前で「入りたいけど…入れない…こんなに入りたいのに…入れない…」と大号泣。
友人は優しく「確かに緊張するよね、またいつか来たらいいよ!」と言ってくれたが、内心はドン引きしていたことだろう。
32歳になった私は、もう制服を着ることはない。
もしも憧れの場所に行けるとなった時、胸を張って一歩踏み出せるように。
「正装」で日々を生きていくのだ。
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