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黒色よ、そばにいて

カラフルな色が好きだ。
目の覚めるようなレモンイエローや、パキッとしたグリーン、黒と合わせてもコントラストが際立つようなブルー、私をまるでヒーローのような気持ちにしてくれるレッド。
オレンジは似合わない分、ネイルやインテリアでふんだんに取り入れている。
特にブルーとオレンジのチェック柄のカーテンはお気に入りで、私の部屋の主役だ。

そんな私にも、全身黒づくめの時代があった。
中学生の頃、服が真っ黒なのは当たり前。小物も黒。下着も黒しか着けなかった。
ただ、部屋は母の趣味で、ピンクのカーテンに、ピンクの花柄の壁紙というなんともロマンチックな様相。
まだ黒いファッションに傾倒する前に、インテリアに合うようにと自分で選んだピンクのテーブルと、クッションと、ラグ、ピンクの花柄のベッドシーツが憎々しい。
だから、黒いインテリアシールでピンクのテーブルを黒にし、ラグとクッションには安く買った黒い布を手縫いで縫い付けた。
エアコンのリモコンには黒いリメイクシートを貼って、飾り棚や壁には黒い布を押しピンで貼って、さあいよいよカーテンも黒い布に…というタイミングで、母親が「もう辞めて」と泣きそうな顔で言った。
当時はパンクファッションやゴシックファッションが好きだったこともあり、私の中ではファッションをインテリアに落とし込んだだけのつもりだったのだが、母は何やら思い詰めた顔をする。
そして、「黒は拒絶の色なんやよ」と悲しい顔で言った。
好きな服を着たら良い、と肯定してくれていた母も、結局は人と違う娘が嫌なのだ!否定された!と、そう思った。

だから、それからは自分の気持ちを母に言わないように決めた。

ある日、母が「黒は護りの色でもあるんやって」となんの脈絡もなく言うので、私はあからさまに興味がないです、という風に「へえ」と相槌を打つ。

「割子はきっと何かから自分を護ってるんやね」と母が言うので、「いや、別に好きで着てるだけやけど」と、携帯画面に視線を落としたまま答えた。

母はどうやら独学で勉強して、色彩検定の資格をとったらしい。

高校生になると、本当に自然に、黒い服を着なくなった。
ピンクで統一された部屋がなんだかおしゃれなような気がして、テーブルに雑に貼り付けたインテリアシートをバリバリと剥がす。
一部の塗装は禿げてしまったが、脚が曲線を描くピンクのテーブルは、やはり部屋によく合っていた。

大人になって、モードファッションに挑戦した時、黒があまり似合わないことに気づいた。
中学生の頃はあんなに黒づくめだったのに、そんなことがあるのだろうかと、母に「黒が似合わんくなってんけどなんでかなあ」とLINEを送ると、すぐに「いろいろな色を混ぜ合わせていくと、最終的に黒色になる。黒色はこの世のすべての色が持つ力を凝縮した色やから、気合いがないと着られん色なんやよ。気合い!黒は気合いで着るの!」と返ってきた。

「黒は気合いで着るもの」。
母の言葉を頭の中で反芻しながら黒い服に袖を通すが、どうにも顔が色に負けてしまう。
結局、暫くしてモードファッションをやめ、カラフルな古着を着るようになって、今のスタイルに辿り着いた。

そして今朝、目覚めた瞬間から、なぜか「もう黒以外着たくないな」という強い気持ちが沸々と沸いていた。
とは言っても、趣味が変わって黒い服の量も一気に減らしてしまった。
ましてや今日みたいに暑い日だ。
美容室に行くために、20分ほど歩かなければならない。
太陽の熱を吸収しやすい黒色はなんとしても避けたいところだ。
クローゼットから、涼しげな白のフリルブラウスを選んで袖を通す。
まだボタンを止めないうちから「いやだ!!!」と思った。

黒いノースリーブトップスに、黒いワイドパンツを合わせてみる。

これしかない。絶対に暑いけれど、今日はこれしかあり得ない。

もちろん、靴も黒。バッグも黒だ。

汗だくになりながら美容室に着くと、見兼ねた担当のYさんが私物のハンディファンを貸してくれ、汗が引くまでドライヤーの冷風を当て続けてくれた。
眉間でも小鼻でもない、鼻の側面から汗が吹き出していて、人の汗腺の守備範囲の広さに感心する。

髪を切ってもらいながら、ぼんやりと「黒は護りの色だ」と言う母の言葉を思い出していた。

紛れもなく、私は傷付いていた。
昨晩、過呼吸になるくらい激しく泣き、数々の挫折や衝突、別れを経験してきた今もなお、こんなに新鮮な気持ちで傷付くことがあるのだなあと驚いたばかりだ。

「もう誰も信じない」と思ったし、
「もう傷付きたくない」と思った。

そして同じくらい「強くなりたい」と思った。

そういえば、中学生の時もずっと、そう願い続けていたんだった。

黒色よありがとう。
今日からまた暫く、そばにいてね。

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