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体育だけは成立させないと死ぬ

私の不得意科目は体育。よりにもよって体育だった。

ずっと思っていたことがある。不得意で人に迷惑をかけてり、激しく自己肯定感を下げられる科目って、体育がダントツじゃないだろうか。

なぜなら体育は、
出来ないと成立しない。

歌が下手な人はいる。でもなかなか人前でソロ歌唱を求められることはない。最悪合唱の時は裏声で小さく歌えば目立たない。

絵もそうだ。絵が下手でも飾り付けられてああこの人は絵が下手なんだなあと言われるだけ。笑われることは辛いかもしれないけれど、人に白い目を向けられることはない。

でも体育、あー体育。君だけはだめだ。サーブが入らないとバレーが始まらない。ボールが打てないと野球にならない。ドリブルできないとバスケにならない。その初めの一歩ができないと「体育を楽しみたい」みんなの足を著しく引っ張る。

体育こそ本当は、補修授業がいる。運動神経が悪くても、ゲームが成立するレベルに教えられるコーチがいればなんとかなる。ただ、運動神経の悪い人には救済処置が設けられていない。これは由々しき問題だと思う。

ゲームを楽しむのは、基礎ができている子でいい。基礎を楽しめるくらいの別枠指導があっていいと思う。

あー体育はトラウマだ。某番組の運動神経悪い芸人なんて、あるあるだらけで懐かしい気持ちしかない。あれを「ありえない」と笑う層がほとんどであることを知って、驚いた。そんなにみんな、当たり前にドリブルできて、顔に当たらずにフライボールをキャッチしていたのかと。

見てるんだもん顔に当たるに決まってるじゃんね。

運動の楽しさは、運動神経が悪いと知ることが難しい。もったいない。みんなのように動けたら、そりゃ楽しいでしょう。

マラソンはビリで、もはや授業中に完走できれば万々歳。タラタラおしゃべりしながら走ってる子より遅くて、でもこっちは死に物狂いで苦しかったことを思い出す。遅いから楽なんて、わたしにはなかった。

あー体育、好きになりたかったな。

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