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言葉は、私の体の一部

「物語のある天然石のお守りアクセサリー」をお届けしております、作家のsarariです。

noteさんから、2021年の記録をいただきました。

今年書いた記事は、ぜんぶで467本。

全体で42万回、読んでいただくことができました。

数字が大きすぎてピンと来ていないのですが…、素直に、たくさんの方に読んでいただけて嬉しいです。

ありがとうございます。


「こんな人も居るんだよ」

似顔絵イラスト

私は今年も、「こんな人も居るんだよ」という気持ちで記事を書き、ラジオを録り、発信してきました。

私が「こういう人も居る」と発信することが、誰かにとって、ひとつの選択肢になるかもしれない、と思って。

うつやパニック発作を抱えながらハンドメイド作家をしていること、家族との関係がちょっと複雑なこと、発達障害のグレーゾーンであること…。

包み隠さず、色々なテーマに触れ、記事を書きました。


私の手元に残っている、一番古い日記

天然石ボールペン

私は、言葉を紡ぐことが好きです。

それはnoteでも、作品の主な販売場所であるネットショップ「Creema」でも同じ。

毎日飽きもせずに、誰のためでもない、私のために言葉を紡いできました。

思い返してみると、私と「言葉」との関係は、小学3年生のころからはじまったように感じます。

私の手元に残っている、一番古い日記が、そのころのものだから。

「毎日日記を書いている」
そんな女の子って素敵だな。

それが、私と言葉の関係のはじまりでした。

自転車で行ける範囲の文房具屋さんで買ってきたかわいいメモ帳が、はじめての日記帳。

今日は誰と遊んだとか、今、誰を好きだと思っているとか。(ちなみに、その日記帳に書いていある「好きな人」が、今の夫です。)

そういうことが大きな文字で、一行、二行、書き留めてあります。

書けない日もあったし、書くことに飽きてしまった期間もあるけれど、中学になってからも日記を書き、高校になってからはブログを書き、社会人からは手帳とブログ、ふたつの場所に、自分の心から溢れてくる言葉を書きとめるようになりました。


私が唯一、素直に感情を表現できる場所

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私は、親と気楽に話すことができないまま、大人になりました。

悩みを相談しても一緒に考えてくれる関係性ではなかったこともあって、自然と、日記に「言葉」「文字」と言う形で、自分の想いを綴るようになった。

言葉は、とてもやさしい。

私のどんな感情も、受け止めてくれる。

静かにそこにあって、待っていてくれる。

それに、どれだけ救われたことか。

私が唯一、素直に感情を表現できる場所。

それが日記であり、「言葉」「文字」と言う手段でした。


「人」が何人もいる空間に居続けることが、どうしても、辛かった

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「人と話すことが辛い」

今も、昔も、それが私のコンプレックスであり、最も苦手なこと。

中学生くらいの時、それを大人に相談したけれど「そういうものだよ」なんて受け流され、「そういうものなのか」と受け止めてしまった。

「大人になれば、解消されるようなものなんだろうな」と。

でも高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても、辛いことは、辛いことのままでした。

学校に居ることが、バイト先に居ることが、会社に居ることが、家に居ることが、辛かった。

「人」が何人もいる空間に居続けることが、どうしても、辛かったのです。


人目を気にせず、私らしい私で

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そんな行き場のない感情を受け止めてくれたのが、日記であり、「言葉」「文字」でした。

自分の部屋に入り浸って、小説を書いてみたり、日記を書いたり、時に漫画を描いたり。

言葉を紡いでいると、すごく、楽しかった。ラクになれた。

嫌なことを全部忘れられたし、人目を気にせず、私らしい私で居られました。

当時紡いだ言葉を、誰かに見せたことはありません。

自分だけが読むために物語を書き、日記を書いていた。

それが私の「当たり前」だったし、大人になってからも、自分が紡ぐ言葉について、価値を感じたことはありませんでした。


当たり前の「言葉」が、「新しい価値」のあるものに変わった

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そんな私の「言葉」が、私にとって「新しい価値」のあるものに変わったのは、ハンドメイド作家をはじめてからのことです。

作品をつくり、それを販売する時、「作品の紹介文」が必要になります。

どんな思いを込めているのか、どんなテーマがあるのか、どんな人に使ってほしいのか…。

ハンドメイドのノウハウ本やノウハウ記事を読んで、そういったことを紹介文に書く必要があると知りました。

正直、最初はそれを書くことが苦痛だった。

自分が書きたいことだけを書ける日記を書くことは好きだったけれど、読書感想文など、「書く内容が決まっている文章」を書くことは大の苦手だったのです。(小学生の頃の読書感想文は本当にひどいもので、先生に注意されたほどでした。)

でも今は、楽しめている。

理由は「自分が書きたいように、書きたいことを書こう」と、覚悟を決めたからです。

私の書く言葉が好きじゃない人も居る。
でも、「好き」と言ってくれる人も、必ずどこかに居るはず。

「絶対にこういう風に書かなくてはいけない」という思い込みを外して、「書きたいように書こう」と考え方を変えた。

だから、今は作品の紹介文を書くことが、今こうしてnoteを書いているように楽しいのです。


私の中だけで、この話が終わるように、書いています

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今までは「自分だけのため」に紡いでいた言葉を、ブログやCreemaを介して、色々な人が読んでくださるようになりました。

相変わらずペルソナ(読んでほしい人)を想定して書くことが苦手なので、「私が書きたいと思ったことを書く」というスタイルを貫いています。

人と関わることが苦手なため、「誰かのために」と考えることもまた苦手で。

なのでnoteや作品紹介文を書く時はなるべく

「読む人を巻き込まないように記事を書く」
「自分の中で完結させる」

ということを意識しながら書いています。

私の中だけで、この話が終わるように、書いています。


言葉は、私の体の一部

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今年も毎日、記事を書きました。

今年も毎日、言葉と一緒に生きてきました。

言葉は、私の体の一部。

人生の、一部。

そんな言葉を今年もたくさん紡ぐことができて楽しかったし、幸せでした。

これからも、言葉の前では、自分に素直でありたい。

言葉と共に、生きていきたい。

静かにそこにあって、いつでも、私を受け止めてくれる言葉。

今年も一年、ありがとう。

来年も、よろしくね。


*私の言葉の居場所*


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