劣等感を刺激する相手とは距離を置く 〜ハッピー愚痴からは遠慮無く逃げて良い〜(844字)
◯◯◯さんが悩み事を話した時、“私はそんなこと無いよ”と反論するような話法を癖とする方が周りに居ませんか。親子問題を話せば、“うちの親はね”と我が親を絶賛してしまう人。御家族やお子さん、お孫さんなどが居ないことを寂しく感じている、と分かっている相手に“居たら居たで大変!!”とわざわざ話題に出す人。“お金が無い”と言っている端からいかにも贅沢と思える話題をしたり、出世が難航している人相手に“自分は評価されている”と話してみたり。会話をしているように見せ掛けてそれらは単なる自慢、もしくは“ハッピー愚痴”です。
“親は親、自分とは別”、“自分の人生に◯◯は必要無い”と確固たる考えを持ち割り切れている人は一切動じないでしょう。しかし、そう簡単に本能的欲求に繋がるものを完全に割り切れているものでも無いと思います。
多くの人が自分の来し方に少しの後悔を、行く末にほのかな希望を、口には出さずとも抱かれてはおられませんでしょうか。努力で何とかなるものならば誰でも何とかしたでしょうし、当然これからもすると思います。しかしながらタイミングを逃すと二度と手に入らないもの、人生には戻ってやり直せないものもありますよね。
取り分け、どのような親の元に生まれ来るかは選べず、成長過程で愛情を受け取れなかった記憶は天地がひっくり返っても塗り替えられぬ、代替の利かないものです。
幼き日の御自身を責めたり、過去の御自分の選択をどうか悔やまないで欲しいです。十分精一杯生きて来られたのでは無いでしょうか。無意識に、無遠慮に劣等感を刺激するような方が居らっしゃるならば、遠慮無く距離を置いて構わないと思います。
かく言う私も聞き役に回ることが多く、良き対処法を確立している訳ではありません。配慮ある会話が出来ない人であれ、良い面が沢山あったりもしますので。ただ相手の口は塞げないので、“底に潜む劣等感が元で自慢、と捉えてしまう自分の気持ちの起因”を知ることは可能、と考え自分自身と深く向き合うことから挑戦しております。
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