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50代に「また」の機会はないと思え!

同世代の死別は、やっぱり堪えます。

親戚のおじちゃん、おばちゃん、小さい頃から顔を合わせていた近所の人。しばらくご無沙汰していると「◯◯さんが亡くなったよ」という連絡が。みんな80歳をゆうに超えて、残念だけど仕方ないね、という会話を今年も何度かしました。

そんな中、20代から一緒に仕事をしていた人の訃報。年齢は一つ上。携わっていた案件を終えて、それこそしばらくご無沙汰でした。最後に会ったのが3年前くらいかな。
「元気?」「うん、元気だよ」なんて、立ち話で近況を報告し合って「じゃ、また」と。
連絡をくれた共通の知人によれば、病気を患い入院・手術。最後はコロナの院内感染が死期を早めてしまったようです。

訪れることがなかった「また」の機会を思いながら、そのうちとか、いつかとか、どこかでとか、そんなに手軽な偶然はやってこないよな、と改めて。
前回、1年はあっという間だと書きましたが、1年どころか、まだそれほど経っていないと思っていた人たちに最後に会ったのがマスクを付け始める前だったり。軽く3年は経ってます。

そして、「◯◯さんのお父さんのお葬式」「◯◯さんのお母さんのお葬式」というセレモニーでしか会っていないと気づくパターンがなんと多いことか。突然の訃報に慌てて駆け付け、顔を合わせて「またね」と挨拶して帰ってくる。それから何年かしてまた別のお葬式で顔を合わせ・・・。一時期でもわりと濃い付き合いをしていた知人どうし、こういうときの連絡網だけは生きています。

何年ご無沙汰していても、会えばそのあいだの時間がなかったかのように話すことができる。それが成立する関係をきちんと築くことができていたのだと、久しぶりに会ってみて実感します。新しい友だちづくりに頭を悩ませることもありますが(「知人なの?友人なの?大人の線引きってフクザツ」をご参照ください)、これまでの人間関係がどれも成功・・・とまではいかなくても、まぁいいんじゃないという自己採点。50代まで来たから、ようやくそう思えるのかも。

ただ、今はこれまでのように「また」の機会を受け身で待っていては訪れないな、と感じています。会ってみたい人には、会えるうちに会っておく。もうそんな年齢なんですよね(まだちょっと早い?)。
突然連絡したら、何かの販売か勧誘じゃないかと疑われそう・・・なんて弱気な私もいますが、そこは過去の関わりを信じて。

私たちに「また」はない。というか「また」の機会はかなり少ない・・・はず。


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