見出し画像

すべて忘れるのがいいか、辛くても覚えている方がいいか、父と義母を見ていて思うこと

父は認知症です。ここでも何回か触れていますが、現在、認知症を専門とする病院へ入院中。

思い返せば、昨年の春分の日は、高山市の古い町並みを一緒に観光していました。昼食に入ったお蕎麦屋さんでつゆを一気飲みして、「ちょ、ちょ、ちょっと~」。これはもう母との二人暮らしも時間の問題だな、と思っていた3ヵ月後に骨折、入院、転院、もう一つ転院。
 
で、現在に至るわけですが、入院してからの認知症の進み具合は、かなりのスピードです。リハビリを兼ねての転院時には、まだ私を娘だと分かるときもありましたが、その後はコロナで面会もままならない期間が長引き、ようやくガラス越しで顔を見たときには、ポカンとしたまま。ただ、元気は元気です。「たくさん食べられてますよ」と担当の先生から報告を受けています。
 
そして、もう一人。脳梗塞で入院、転院、もう一つ転院しているのが義母です。こちらは体が思うように動かないものの、頭はしっかり。その分、本人の悲しみも倍増で、リハビリ病院への転院時に本人の強い希望でスマホを渡したところ(初スマホの大変さは、「85歳と83歳に初めてスマホを持たせたはいいけれど・・・」をご参照ください)、義父や友人のところへ電話の嵐。「どうしてこんなことになっちゃったの」「私はもうダメ・・・」のようなことを繰り返し泣きながらかけてくるので(毎日)、義父がしょんぼりしていきました。義父も高齢ですから、今度はこちらが倒れられると大変です。
 
リハビリ病院を退院するときは、「家へ帰る!」の一点張り。リハビリをしてきたとはいえ、半身がほぼ動かない状態、しかも老老介護になるので、帰宅は不可能。老健への転院を伝えたときは、「食べずに死ぬ!」と食事をボイコット(翌日には空腹に勝てず完食)。
 
老健ではスマホの持ち込みが禁止になっていましたので、ひとまず義父はホッとして、どこか開放された感じになりましたが、先日、必要なものを届けた際に手紙を託され・・・。
 
近親者の顔すら分からなくなった父と、体が不自由でも頭はしっかりしている義母。二人を見ていると(不謹慎ながら)忘れちゃった方が幸せかも、と思います。楽しかった記憶を取り出しては現状と比べ、嘆いてばかりいる義母よりも、その瞬間を生きている父。一人暮らしをしながら、父のことを気にかける母は、「忘れたもん勝ちだわ」なんて言います。つれあいのことも忘れてるのに、こっちはどうしてるのか心配ばかり、と。
 
私だってゆくゆくは、忘れるか、動けなくなるときが来るかもしない(高い確率で)。そう思うと、元気な「今」を無駄にしてはいけないな、とあらためて。前回、次の扉が開くといいな、と書きましたが、開けられるように(少しだけですが)動いてもみています。50代の目の前にあるドアは、自動で開きませんから~。
 
あたりの桜は満開。二人とも少し外出できたら良かったのに・・・と思います。コロナが5類になったら外出許可出るかな?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?