見出し画像

幼少期から今の私になるまでのストーリー


1992年生まれ。
私は父母と3歳下の妹と4人家族の長女として育ちました。
千葉県の海のある田舎町で生まれ、とても穏やかな家庭で育ちました。
両親は居酒屋を経営しており、幼いころは妹と二人でいる時間が多かったですが、そんなことも気にならない程、私たちに沢山の愛情を注いで育ててくれました。


他人ばかりを気にしていた幼少期~小学生時代


幼少時代は、歌うこと踊ることが大好きで、お遊戯会では人一倍お尻をふりふりして踊っていた記録が残っている。(笑)そんな私ですが長女らしく幼いころからしっかり者。昔から周りに『しっかりしてるね。』という言葉をよくかけられていました。そのせいか私は昔から、お姉ちゃんだからしっかりしないと・・・私はしっかり者だからちゃんとしないと・・・そんな言葉を自分にかけながら生きてきたように思います。

小学生に入ると、他人の目を気にして、他人に合わせる行動をよくしていました。普通に仲のいい友達はいたものの、仲間外れにされたくないという想いがあったのだと思います。

・仲間はずれが嫌だから周りと同じものを欲しがる
・登校時も会話から外れ一人でいることが嫌で頑張って会話に入る
・遊びに誘われないことがあると一々落ち込む
・誰も私のことなんか気にしていないのに他人が話しているひそひそ話が自分のことかもしれないと過剰に反応する

今思うとすごく疲れますね・・・(笑)

また、負けず嫌いで目立ちたいという想いが強く、この頃から勉強も運動も一般的に言われる出来る子でした。特にスポーツ大会では、負けず嫌いが爆発。運動会やマラソン大会では上位が当たり前。学級委員長に選ばれることもあり、真面目でしっかりしている私は健在でした。


自分に厳しい中学時代


中学生になると、自分に厳しくがピークに!!

この頃、勉強も運動もできる優等生の自分が【私】だった。
優等生で真面目でしっかり者の私としていることが私】として皆に認められている気がしていた。だから特に勉強はすごく頑張ったし、真面目でしっかりしていないといけないという意識もさらに強かった。

成績はオール5。
全国模試は5教科100点で全国1位を取ったこともありました。

勉強をしていないと不安で、家族でお出かけのときも必ず教科書を持って外出(笑)両親は『こんなときぐらい休みなよ~』と言ってくれたけど、教科書がないと不安だった。

決めた時間にはやると決めたから眠い時は自分にビンタして、喝を入れる時もありました。

期待に応えたい、そして何より出来ない自分が嫌で完璧主義な私は、一番自分に厳しい中学時代だったと思います。

ちなみに両親は厳しかったわけではなく、いつも見守っていてくれる優しく心強い存在でした。だから、自分の意志でそうしていたんですよね・・(笑)


夢に出会った高校時代


そんな中学時代を経て、地域で上位の高校に成績上位者クラスへ入学。

高校時代は、真面目でしっかり者の私が自分でも嫌で、もっと高校生らしく遊んで馬鹿して笑ってふざけたこともやりたい自分を知って欲しかった。しかしここで素の自分を出せる仲間にも恵まれ、楽しい学生時代の青春を過ごすことができました。とはいえ、幼少期から中学までの私の思考癖は続いていました。

この頃もまだ学年トップクラスの成績を修めていましたが、高校1年に『これだ!』と思う明確な夢を見つけました。

それは【空港で働くグランドスタッフ】になること。

理由は、とにかくかっこいい。
海外と日本を繋ぐ空港で、綺麗な制服を着て外国人と英語を流暢に話す姿に憧れた。この夢を見つけてから、私はその夢に向かって一直線でした。

担当の先生からは有名な国立大学や私立大学に行けると勧められていましたが、夢がもうすでにあるのに、遠回りして大学に行く意味が私には分かりませんでした。その時の私は、グランドスタッフになることで頭がいっぱいでした。

また、同時期にこの頃10キロ以上(55kg→42kg)のダイエットをしました。
当時のお弁当箱はうすーく入ったご飯に少ないおかずだけ。
多分幼稚園児のお弁当の量かそれ以下(笑)

10キロ以上も変わったから周りからみられる目も変わって、好きな洋服も着られて楽しかった。その体形が戻ることが怖かったんですね。。
だからそれから暫く生理も止まって、母は心配してくれていたけど当時はそれよりも今の自分の外見の方が大事でした。

周りの目を気にして、ストイックな私が高校時代もいましたね。。


夢に向かって自分を信じやり切った専門学校時代


少し話は戻りますがそんな高校時代を経て、外国語専門学校の国際エアライン科に入学。
入学してからはグランドスタッフになる為に、燃えるようなエネルギーに溢れていました。就職活動に向けての自己分析、面接練習、語学勉強はもちろん、インターンへの参加、エアライン業界の本を熟読、身だしなみや言葉遣いを気を付けるなどとにかく今できることを精一杯やりました。

そんな当時の私の座右の銘は【人事を尽くして天命を待つ】。
後悔なく全てをやり切ることが私のモットーでした。

これまでの私は、努力すれば必ず報われるというそんな人生でした。
だから自分には絶対に出来ると信じていた。

しかし結果は・・不合格。

努力しても叶わないことがあることを知りました。
だけどこの時の私は、こういう結果が私に必要だったんだと思いました。
やり切ったから不思議と大きな後悔はなかったんです。

こうして、航空業界には就職出来ませんでしたが、新幹線パーサーとして鉄道業界への就職が決まりました。


就職したものの物足りない自分


待望の社会人生活がスタートしました!
エアライン業界ではなかったものの、【人の笑顔を創りたい】という根本にある思いは強く、ここでの人生にとてもワクワクしていました。社会人で初めての上司と部下の関係も、礼儀正しく真面目でしっかり者と言われていた私は不自由なく、上司にも好かれる関係性を築けていました。

社内環境にも恵まれこの仕事は好きでしたが、2年経った頃、英語があまり使えないことに物足りなさを感じ、転職を決めました。

転職先は銀座の某大手メーカーのショールーム。
銀座ということもあり、外国人の来店も多く英語を使える環境がありましたが、そこでも自分に物足りなさを感じ、自分のやりたいこと探し期間に入ります。

たぶん学生時代に本気で勉学に励んでいた頃のように、自分が熱意をもって取り組めることがなく、刺激が欲しかったのだと思います。

やりたいこと探しでは、興味のあること、自分にとって大切なものや生きがいとなるもの等をとにかく書き出しましたが、具体的に想像できなかったので、実際に色々な環境に触れてみることにしました。英語に興味があったので、英語cafeに参加して話しながらそこでの出会いで視野を広げようとしてみたり、身体を動かすことに興味があったので、スポーツイベントに参加したり、資格を取ってみたり。

そんな中で出会ったのがヨガインストラクターの資格でした。

元々身体を動かすことが好きだった私は、趣味で2年程ホットヨガに通っていました。当時立ち仕事をしていた私の身体の不調を和らげ、終わった後に心がリラックス出来ることにとても大きな価値を感じていました。この時は何となく心身がリラックスできるという感覚でしかなかったのですが、インストラクター養成講座受講前に先生からヨガのお話を伺い、ヨガの奥深さに直感で引き込まれる魅力を感じました。

高校時代にグランドスタッフになるという夢を決めた時と同じくらい、『これだ!』という大きな衝撃が走ったのです。
この出会いが私にとってその後の人生を豊かにしてくれることとなります。


今までの私を変えたヨガ


私が受講したスクールは、YOGOHUALIというマンツーマンヨガ講師養成スクール。1:1でのレッスンということもあり、丁寧に今の私と照らし合わせて、私のペースで授業を進めてくださいました。そんな授業だったからこそだと思うのですが、自分の心と身体にきちんと向き合うことができ、資格取得中もヨガ哲学やレッスンへの向き合い方を通して沢山の気付きがありました。資格取得までの約9か月。この時間の中で、私はこれまでの窮屈な人生が180度変わったのです。

・私は『出来る私』として生きるべきだと自分を厳しくしてきたこと
・しっかり者の私でないといけないと思っていたこと
・他人の目を気にして生きること
・過度なダイエットで自分を傷つけていること
・世間体や周りの意見を基準にして、他人軸で生きること

そうあるべきという強い思い込みや、自分軸で生きていない私の存在に気付いたのです。

それを理解するまで、そしてそれを理解した後にその思考を変えていくことはすぐには出来ませんでした。資格取得後も、まだそんな自分の存在があったと思います。

ですが、無意識に不自由な思考をしていた私に気付けたことが、私にとってはとても大きなものでした。この思考に気付いた時、自分をきつく締めていた綱のようなものが緩まり、広い空間に自由に解放されたようでした。今までの自分に申し訳ない気持ちが溢れてきたと同時に、もっと楽に生きていいんだと思えるようになったのです。

最初は自分を苦しめている自分に気付くことしか出来ませんでしたが、少しずつ少しずつヨガの学びを深め、身体を使ってポーズ(アサナ)の練習をする中で自分の肉体と心を知り、日常にヨガを実践することを継続していくうちに、いつのまにか自分を責めることや自分に厳しくすることもなくなり、他人を気にせず今の私でもいいよねって声をかけられるようになりました。


自分を知ることが自分の人生を心地よく生きることに繋がる


ヨガはもちろん健やかな身体作りを助けてくれるものでもあります。
しかし心と身体は繋がっていて、どちらかが整っていないともう一方に影響を与えます。というより、どちらかが整っているようにみえても、一方が整っていなければもう一方も乱れていると思います。

健康は心と身体が整って、保てるものなのです。

だからヨガは心も整えていきます。
先程のお話に戻りますが、心が整った状態で今の自分でもいいよねって優しく声をかけられるようになると、ちゃんと自分の心の声に向き合うことができます。周りではなく、自分に矢印を向けられると自分の本当の声をキャッチ出来るようになるのです。そうすれば、自分の心に従い、求める答えを正確に選択できるようになります。

目の前の選択だけでなく、未来につながる大きな選択も。
それが、自分の人生を作っていくのです。

今、私は『出来る私、しっかり者の私』から解放された自分の存在がとても心地よい。

だから私は、私のような窮屈な生き方をしている人にこのヨガをお伝えしたい。

一人でも多くの人が自分に優しく、自分の人生を生きることの心地よさに気付き、ありのままの笑顔で過ごせたら、私はとても嬉しい。


そして、学生時代に掲げた座右の銘【人事を尽くして天命を待つ】
まさにこれはヨガの教えにもあります。

ヨガでは結果ではなく、今この瞬間という過程を大事にしています。自分の出来る限りのことを尽くしたら、あとはそれ相応の結果が返ってくるから、結果に執着せずに身を委ねるということです。

私は私に与えられた人生に後悔したくない。
だから今もこの座右の銘は変わりません。

今私はこうして信じるヨガの素晴らしさを伝えることに全うしていると同時に、私もヨガの練習生として、私自身もまだ知らない自分の本質を見つける為にヨガの実践を継続しています。

これから、ヨガも、ヨガ以外のことも知らない世界が沢山待っていると思います。
だけど、ヨガの学びから得た自分の哲学に従って真っすぐに生きていきたいと思うし、そのヨガの学びや自分の経験を共有することで、目の前にいる一人一人に与えられた人生がその人らしく豊かなものになったら、最高に嬉しい。

だから私はこれからも、こうして鍛錬しながら、沢山の笑顔のためにこの素晴らしいヨガを心を込めてお伝えてしていきたいと思っています。


これまでの人生があったから、今ヨガを伝えている私がいること。
この想いが、私のように苦しんでいる誰かに届いていたら幸いです。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
今後ともAkaneを、SaRaHyogaを宜しくお願いいたします。

Akane




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?