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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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#愛

「何にも期待しない」は絶望ではなかった

誰かにイラっとしたり怒りを感じたりするのは二次的な感情で、 私が勝手に相手に期待をして、それがかなわなかったからわいてくるものだと気付いてから、 いかに誰にも、何にも、期待しないようにしようかというのが、 どこか「目標」「理想」のようになっていた気がする。 「悲しい」は私てきには一次感情だなと思うけど、 誰かに「分かってもらえなかった」「察してもらえなかった」「受け止めてもらえなかった」とかが理由の悲しみは 自分勝手な期待を減らし、自分の言葉で相手に伝える心づもりがないのな

「自分を大事にする」の本当の意味

「自分を大事にする」っていう言葉は、どんな文脈で語られるやつだろう? ちょう個人的印象だと、すごくおせっかい要素の強い言葉に感じてきました。 「もっと自分を大事にしなさい」 「自分を大事にしないとこうなるから」 みたいな。 特に反発を覚えていたわけでもないけど(どちらかというと「優等生」だったから上から言われたことなかった) でも「みんな自分のことは大切じゃん?むしろ自分を甘やかしていいことなんかないし!」くらいには思ってきたと思うのです。 ずっと、何かと闘ってきました。

「素の私」というトリック

「この人となら素の自分でいられる」「素の私を認めてほしい」 みたいな言葉を、現実でも小説でもドラマでも100万回くらい聞いてきた気がするけど 最近の私は、これがめちゃくちゃ気になってる。 素の私って、ナニ? 何年も前に 「私とは何か―『個人』から『分人』へ」(講談社現代新書) を読んだのをふと思い出した。 調べてみたら「マチネの終わりに」や「ある男」の平野啓一郎さん!(読んでます!すきです!)すいません、今気づきました。 この本に書かれている「分人」主義、当時はぜんっぜ

自由に憧れる、ワガママを許さない私へ

美人になれなかった私、ピンクが着れない私に引き続いて 自由になりたかった私の話がしたいなと、思うのです。 最近あーそうだったのか!ってわかったのは、 私の生きづらさや思考の引っかかりは全部 この「自由になりたかった」に繋がっていそうだなってこと。 それに気付いた時、 「私、自由になりたかったんだ」ってことを自分で認められた時、 ボロボロと涙がこぼれてきました。 昔だったら「涙なんか流してなんだよ。そんなに自分が可愛いのかよばーか」って、自分を否定しただろうなと思うけど

話したいのです。あなたと。

この間、私たちはいつだって自由だって話を書いたんだけど 直後、その自由を他でもない私が全然行使してなかったことに気付いてしまったのです(照 ここ3ヶ月くらい、自分の中でもやっとしていることがあって もやっとがやってくるたび、お友達とメッセンジャーで少しずつ、もやっとを探り出すためのやり取りをしてきたのね。 ちょっと前に、そのもやっと案件が、自分の中で 「なんかもうダメだほんと無理これーー!!たすけて!」ってなってきて、 またその話をお友達に投げて、問われ、投げて、問われ、