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ミドルエイジクライシス?

noteを見ていると、自分と同じように30半ばになって海外移住や留学を考えている人にたくさん遭遇する。同じような境遇に共感したり、勇気をもらったりしつつ、驚くことも多い。

・・・これってミドルエイジクライシスだったの?
というか、私って「中年」だったの??

というのが、初めの感想だった。(ちなみに内容はとても示唆に富んでいて、やはりもう一回院に行くのはしんどいなぁとこれを読んで思った。)

研究職なんていう、就職の遅い職種を選んだので、自己認識はいまだに「ペーペー」もいいところである。民間研究助成は35までが「若手」とされることが多く、科研費(科学研究費助成:文科省による研究助成)に至っては39歳まで「若手」とされるこの世界で、私はいまだに立派な(?)「若手」である。

そのおかげで得をすることもあるし、損をすることもある。
若手枠で助成に通ることも多いし、大きなプロジェクトに入れてもらえることもある。一方で、当然若手なので、「皿洗い」的な仕事をやらされることも多い。先日までも、偉い先生方に頭を下げて原稿集めに奔走していたところである。(二度とやりたくない。)

やはり世間とは感覚が違う、と思わされることは他にもある。
noteを見ていて初めて知った単語に「クォーターライフクライシス」なる言葉がある。その名の通り25前後で感じるものらしいのだが(結婚やキャリアに悩むらしい?)、25なんて私が博士課程に入った年齢である。自分の将来のことなんてなーんにも考えてなかったし、夢と希望しかなかった。25で悩むって何事・・・?というのが率直な感想である。それだけ「普通の世界」の人々は計画的なのだろう。つくづく自分が無計画だな、とは思う。


実はこのところ、西洋占星術にハマっている。
・・・というと、研究者のくせに?と思われそうだが、正確にいうと「西洋占星術を信じている」わけではない。そうではなく、その成り立ちと考え方を知るのが単純に面白いのだ。

西洋占星術というと、多くの人々は「今日の1位は双子座のあなた!」的なそれを想像すると思うが、実はそんなに単純ではない。いわゆる「○○座」と呼ばれるものは太陽星座と呼ばれ、その人が生まれた時に太陽が何座の位置にあったかで判断する。しかし、実は西洋占星術ではそれ以外にも数多くの天体を見て、それぞれの天体がどこに位置するのかを全て総合して考える。

当然、天体には「足が速い」ものもあれば「ゆっくり周回する」ものもあるので、太陽星座が同じでも生まれた日が違うとその他の天体の位置は変わる。もっと言えば、どこで・何時何分に生まれたかで天体の位置は全て違うので、ホロスコープは「オーダーメイド」と言われる。

私が惹かれたのは、例えば星座が一回りで人の一生に例えられる部分である。始まりは牡羊座、そこからおうし座、双子座・・・と進んでいくわけだが、そこから獅子座までが「個の確立」を表象すると考えられている。その後他者との関係性が課題になり蠍座がそのピーク、射手座からは「社会との対話」に課題がうつり、最終形態が魚座、ということになる。(個人的には魚座の世界観はエヴァンゲリオンの人類補完計画に近いと思っている。)

いずれにせよ、そこで語られる物語は文学作品に近く、もっと言えば古代〜中世の人々の「哲学感」に近い。それを知るのが単純に面白く、あれこれ調べている。(ちなみにヨーロッパ人も占星術好きな人は結構多く、話の種にもなる。)

同じように、各天体もそれぞれ意味を持たされている。例えば太陽であれば「その人らしさ」を表し、月は「感情や女性性」、土星は「試練・継続」のように。その天体の意味と、各天体がどこにあるかで(もっと言えば生まれた時のその人が持っている各天体の位置と、現在の各天体の位置や角度からもさまざまな解釈が生まれる)総合的に判断するのが西洋占星術、なのである。天体の解釈は、30半ば以上のセーラームーン世代にはするりと馴染むところもあるだろう。

とにかくあらゆることに色んな解釈があるので(所詮は占いなので、大体の定義はあっても細かい解釈は人によって違うことも多い)、知識を得ていくという意味では飽きることがない。もっぱら最近の息抜きになっているのだが、そこで一際納得のいく考え方に出会った。それが「年齢域」というものだ。

年齢域では人間の一生の特定の時期を、特定の天体に準えて語る。
例えば、7歳までは「感情」を司る「月」期なので、とにかく感情的に豊かな日々を過ごすことが大事。
8歳から15歳は「知性」を司る「水星」期なので知性を獲得することが最優先。
16歳から25歳は「愛と美」の「金星」期。恋愛やファッションに興味が向くころ。
26歳から35歳は「太陽」期で自身の確立を達成すべき時で、人生の目標が定まる。
そして36歳から45歳は「火星」期。火星は「達成やモチベーション」を意味するので、太陽期で発見した目標をかなえるために動くとき、とされている。

私はドンピシャで「火星期」に入ったばかり。まさに、自分の「やりたいこと」をどう形にするかで悩んでいるところである。体感的にも、25で飛び込んだ研究の世界で10年やってきて、「自分のやれること」と「無理そうなこと」がなんとなくわかる程度にはなってきた。残念ながら、私は業界の世界トップに立てるような器ではない。(笑っちゃうが、25の時にはそれすらできるんじゃないかというような勢いを持っていた。)

だからと言って、別に自分を卑下しているわけでもない。自分が何をできるのかもある程度わかってきた。そしてその「できること」を使って、自分なりの社会還元をしていきたいと思うようにもなっている。これまた25歳〜30過ぎの自分を思い返してみると、自分のことしか見えていなかったなぁと思うのだが、おそらくそれで良いのだと思う。

というわけで、少なくとも私のノロノロした歩みには、クォーターライフクライシスもミドルエイジクライシスも全くピンとこないが、太陽期が終わって火星期が始まりましたよ、そろそろ外を向きましょうね、という感覚は納得のいくものであった。


年齢域はその後46歳から55歳まで「木星」期、56歳から70歳で「土星」期、71歳から85歳で「天王星」、86歳から死ぬまでが「海王星」、死後が「冥王星」と続く。

木星は「拡大や発展」の星と言われているので、「木星期はご褒美」と表現されることも多い。そう言われると、今後進む先も楽しそうで嬉しい。(その後再び試練の「土星」期が来るのがまた示唆に富んでいるが。)

お気づきの方もいるかもしれないが、この惑星の順番は月と太陽(と地球)を例外として、太陽から近い順に並んでいる。(水金地火木土天海冥、というあれである。どうして月や太陽と地球が例外かというと、西洋占星術はいまだに「天動説」の世界だからである。)

西洋占星術では、天体は地球から離れれば離れるほど、個人的な意味合いから社会的意味合いを持つようになる。このため、人生後半に進めば進むほど、社会的な役割を果たすことが重視される。その始まりが「火星期」であり、その果実を受け取るのが「木星期」である。その意味では、自己の確立を終え、ようやく外の世界を向き始めた火星期の私はやはりまだまだペーペーだ。「もう」36歳ではなく、「まだ」36歳、の心持ちで進んでいきたい。

余談ながら、西洋占星術ではそれぞれの年齢域での課題を果たさないと、後々「ツケが回ってくる」というようなことも、よく言われる。今、私は自分の火星を燃やせているか?声を大にして、Ja!と言える自分でいたい。

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