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家族の理由4

父が死んだ。
このことを書くのに、10日以上の日が経った。

心情的に書けなかったという側面もあるが、それ以上に、物理的に書く時間を取れなかった。人が死ぬとこれほどやることがあることを、初めて知った。

前回家族が亡くなったのは20年も前のこと。
祖父が死んだとき、私はまだ女子高生だった。
当然戦力にはならず、ただぼんやりしていたように思う。
さらに言うと、実は葬儀の途中にインフルエンザを発症し、以降は寝込んでいた。

今回は葬儀のやり方から、お客様の対応、法的手続きなど、家族で分担できている。そのことがまず、良かったと思う。


3月に実家に帰ってきた時から、こうなることをある程度覚悟していた。
治る可能性ももちろんあったけれど、どうなるかわからないのががん治療だ。とにかく母を支えたい、そして自分も後悔したくない、と思っていた。

「後悔したくない」と言う気持ちが生まれたきっかけは、まさに20年前に遡る。亡くなる3年前に、祖父は我が家に引き取られた。

林野庁を定年退職した祖父はすぐに祖母をがんで亡くし、その後長く秋田で一人暮らしをしていた。元々が綺麗好き、かつきっちりした性格の人なので、一人暮らしに特に不自由はなく、家はいつでも綺麗だった。

その「綺麗な家」が段々荒れ始めたのが、祖父が70半ばに差し掛かろうか、という時だった。私と母は毎年夏と冬に二度帰っていたので、その変化にはすぐ気づいた。

そろそろ一人で暮らすのは限界なのだろう、ひとまず私たちと暮らさないか、と母は提案した。生まれ故郷を離れることを祖父は嫌がっていたが、背に腹は変えられない。こうして祖父は私たち家族と一緒に暮らすことになった。

当時の私は14歳。大好きな祖父と一緒に暮らせることは、とても嬉しかった。

先述の通り祖父は昔からきちっとして、多趣味な人だった。釣りも上手ければ絵も上手く、日曜大工もお手のものだった。子供の頃から私は人形の家を作ってもらって、毎年の帰省も楽しみにしていた。

その大好きな祖父のイメージに現実が追いつかなくなるまで、それほど時間はかからなかった。一緒に暮らすようになって目についたのは、祖父の「老い」だった。これまでならしないようなミスを繰り返す。聞き間違いも多く、話がすんなり通じないことも増えた。

段々と私はそんな祖父に、苛立ちを覚えるようになった。
一緒に暮らせるようになって嬉しかったはずなのに、私のイメージする祖父はもう目の前にいなかった。

祖父の老化はその後も否応なしに進行し、最終的にちょっとしたボヤ騒ぎを起こしたことを契機に、入院することになった。祖父の老いを目の当たりにする必要がなくなって、私は内心ほっとしていた。そしてそんな自分に、後ろめたさを感じていた。

入院した祖父を見舞うことも、段々と減っていった。
時折母から聞く様子では、痴呆も発症しており、話の辻褄が合わないことも増えていった。病院からは、ますます足が遠のいた。

そんなある朝、病院から連絡があり、容体が急変したという。
母は急いで病院に向かい、私はひとまず学校に行く準備をした。父に駅まで送ってもらっている途中で、携帯電話に連絡が入った。

「間に合わなかった。そのまま病院にきて。」
そうして私は、病院の祖父の遺体と対面した。

その後の私を襲った感情は、後悔だった。
なぜ、もっと優しくできなかったんだろう。
どうして、自分のことばかり考えていたんだろう。

秋田の家を片付ける中で出てきた祖父宛の手紙もその思いを加速させた。そこに書かれていたのは、自分の要望ばかりだった。10歳にも満たない子供の書いた手紙だから、当然なのかもしれない。そして、そんな手紙でも大事に閉まっておいた祖父の愛に今なら気づけるのだが、自分への嫌悪感でいっぱいになっていた私は、その手紙をそっと捨てることしかできなかった。

死んでからは何も伝えられないのだ。
生きているうちにちゃんと気持ちを伝えないと、結局自分が後悔する。

そう思い知った私は父の病を知った時に、二度と同じことを繰り返したくない、と反射的に思った。だから、実家に帰ることを決めた。自分のために。

今の私には後悔は全くない。


愛犬を亡くしたのは、父が亡くなる約一月前のことだった。
犬の体調の悪化も、実家に帰った理由の一つだった。

私が帰ってから手術を受けた愛犬は「奇跡の復活」を見せてくれて、一緒にお散歩に行く機会も持てた。夏頃からは再び体調が悪化して、散歩にはいけなくなったけど、最後まで「かわいい」を更新し続けた。

去り際も完璧だった。
それまでずっと鳴かなかったのに突然鳴き始めて、私たちに「そろそろだよ」と教えてくれた。呼吸が徐々に荒くなって、最後の呼吸で、「今だ」と知らせてくれた。おかげで、私たちは彼女がまさに彼女の肉体を去ろうとしているタイミングを知ることができた。

父が父の体を去ろうとしている時の呼吸は、ララの時と全く一緒だった。
それを見た瞬間、二重に泣けた。

「ララちゃんは、これを教えてくれてたんだね」私と母は言い合った。
どうやって死にゆく人とお別れするのか。そして、どうやってこの世とお別れするのか、父にも見せてくれていたんだと思う。

おかげで、父がまさにこの世を去ろうとしている時に、私たち家族は大声で伝えることができた。
「ありがとう」
「さようなら」
「また会おうね」

父が亡くなった瞬間、去来したのは不思議な感覚だった。
悲しいけれど、満ち足りた気持ち。

全ての出来事は繋がっているのだ。
昨日の後悔は明日の満足に。昨日の悲しみは明日の喜びに。
大丈夫。私たちは、きっと前に進んでいける。

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