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metamorphosis

その文章を初めて目にしたのは中学生のとき。

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

「平家物語」

頭をがーんと殴られたような衝撃があった。
美しいリズム。一気に情景が浮かぶ描写。
そして何より、そのメッセージ性にすっかり私は心を持っていかれた。

この四行は声に出すと本当に気持ちが良くて、山に登っていて苦しくなると、よくこれをぶつぶつ唱えながら登っている。

「諸行無常」ーこの世に変わらないものは一つもない。万物は流転する。
このことは、「禍福は糾える縄の如し」とならんで、私の座右の銘となっている。


3ヶ月ほど前に引っ越しをした。
前の街には10年近く住んでいた。途中、前回の彼と一緒に暮らしていた期間もあり、街との関係性はますます濃くなった。

商店街を歩けば顔馴染みのお魚屋さん、お肉屋さん、お豆腐屋さん、酒屋さんに会う。行きつけのお寿司屋さんもお花屋さんもみんな知り合いで、私の家がどこにあるかも大体知られていた。

いつしか、駅に着いただけでほっとできて、「帰ってきた」と感じられる街になっていた。だからこそ、彼と別れた後には気まずいことも多かった。食事の消費量も可処分所得も減ったので、今までと同じような買い物の仕方はしなくなった。それをどこまで説明するのか、説明しないといけないのか、考えるのすら億劫だった。唯一、行きつけのお寿司屋さんにだけは事情を話して、一人で通うようになった。

彼と別れた後も、私はすぐには引っ越しをしなかった。
明らかに分不相応な大きな部屋で、一人で暮らし始めた。今考えると、すぐに引越しをするのがいちばん「賢い」選択だったのだけど、当時の私にはそんなエネルギーは残っていなかった。

彼の荷物を全部運び出して、随分と広くなった部屋で、この先どうしようと考えた結果、私はこれまでできなかった趣味に手を出し始めた。まずはクラシックコンサートに一人で通い始めた。夜に一人で出歩くなんて、初めての経験だった。

次に電子ピアノを買ってピアノの練習を再開した。15歳以来引いていなかったから、実に20年ぶりのピアノだった。楽譜は全然読めなくなっていたが、徐々に思い出した。

その次は登山。登山サークルに入って、毎週末のように山登りを始めた。コロナ禍ですっかり運動不足になっていた体は、最初は筋肉痛で悲鳴をあげた。新しい山友達ができた。

そして最後に石の魅力にハマり始めた。石とはつまり、宝石のことである。ミネラルショーに行ってルースと呼ばれる裸のままの宝石を購入し、それを工房に持ち込んで自分で好きなデザインのジュエリーを作る。石というのは、この世に一点しかない、自然界の奇跡だ。時には、インクルージョンと呼ばれる内包物が価値を生み出すことがあったり、蛍光する石があったり、唯一無二の魅力が尽きない。

興味の赴くままにあれもこれもと手を出していったら、いつの間にか私はすっかり元気になっていた。と同時に、経済的には大きな部屋に住んでいることが負担にもなっていた。特に石活(宝石好きは石を買うことをこう呼ぶ)はお金がかかる。少しサイズダウンするか、田舎に拠点を移そう。そしてこの思い出だらけの街から出ていこうと決めたのは年明けだった。(他にも様々なことが重なったのだが、それは次回書こうと思う。)

3月頭に引越しを無事終えた。
そしてつい先日、久しぶりに行きつけのお寿司屋さんを訪れた。引越し前日の「最後の晩餐」もそのお寿司屋さんで過ごしたので、2ヶ月ぶりの来訪だった。

たった2ヶ月。
けれども、駅を降りた瞬間に感じた感情は、2ヶ月前とは全く違った。
「帰ってきた」とは、もう感じない。確実にこの街は自分にとって「過去」になっていた。もちろん嫌いになったわけではない。でも、少なくとも今の私に必要なのはこの街ではないことがはっきりわかった。

自分でも不思議な感覚だった。大好きな街だったから離れがたくて住み続けていたし、ご縁があれば人生のうちでまたいつか住むことがあるかもしれない、とも思っていた。だけど、たった2ヶ月で、もうあの街は私にとって「過去」になってしまった。もう一度あそこに住むことがあるのか、もはや自分ではわからない。やはり、諸行無常なのだ。私も、街も、全ては変わっていく。たった2ヶ月でさえ、その流れを止めることは誰にもできない。

どんなに決意を持って何かを決めても、その決意は「今のもの」に過ぎない。それを変えたくなる未来の私が現れるのかもしれない。それもまた、当然のことなのだ。その時々の私にとっての「今」が最も大事だ。そうして私は、前に進んでいく。


平家物語の冒頭文は、中学生の私に強烈な印象を残した。
「沙羅双樹の花の色」とは一体どんな色なのか、どんな花なのか、不思議に思った私はインターネットで調べた。白い可憐な花だった。夢見る中学生は、いつか娘が生まれたらこの名前をつけたいな、と思った。

時は流れ、2008年春。
ドイツに留学していた私はUEFA欧州選手権に釘付けだった。ドイツで見るサッカーの国際試合は想像以上の盛り上がりで、連日楽しく試合を観戦していた。友人と一緒に観戦する中で、実は最も盛り上がったのは当時代表チームの花形プレーヤーだったシュヴァインシュタイガーの彼女がテレビに映った瞬間だった。

Sarah Brandner(2008年当時)

彼女の名前はSarah Brandner。当時の彼女の美しさは、ちょっと尋常でないレベルだった。代表チームの妻や彼女はドイツメディアでもよく話題に上るが、2008年のメディアはSarah一色だった。

そしてこの時私は、「沙羅はドイツでも使える名前なのか、ますますいいな!」と思ったのだった。Sと母音がくっつくと「ザジズゼゾ」の音になるドイツ語だとサラではなくザラと呼ばれることにはなるが。

月日は流れ、残念ながらシュヴァインシュタイガーとザラはその後別れてしまった。そして私はまだ「娘」にご縁がない。ならば自分につけてしまえ、と思ったのがこのアカウント名の誕生由来である。変わるものもあれば、変わらないものもある。例えば私の少女趣味とか、女性の好みとか。

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