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恋の仕方

先日誕生日を迎え、晴れて37歳となった。
あまりに「大人」な年齢で我ながらびっくりする。
あと3年で40と言われても全くピンとこない。
一方で、この1年の密度はあまりに濃すぎて、36歳を迎えた日のことは遥か遠くのことに感じる。

一年前、私は微かな絶望と少しばかりの希望を抱いていた。
人生こんなもんだろうか、という思いに苛まれると同時に、「これは特別なんじゃないか」と感じられる出会いがあって、これから自分の人生がどうなるのか全くわからなかった。

ほんのり甘い12月を過ごし、年が明けて、手痛い失恋をした。

その後、実家に引っ越しをし、犬と父の介護をし、犬を見送り、父を見送った。

改めて、遠くまで来たなぁと思う。
一年前に期待していた未来とは全く違う。
けれど、その時その時で精一杯やっていたのではないかと思う。


失恋をした彼はその後期間限定で「同僚」となった。
そしてこれが、思った以上に大変だった。

そもそも私は、職場に「友人」を持ったことがない。
この場合の「友人」とは、休みの日に約束して会う相手を指すとしよう。
職場で楽しく会話はするけれど、それを休みの日にまで持ち込みたいかと言われると、全くもってお断り、というのが私の感覚である。こんな感覚の持ち主なので、日系企業は就職活動の時点でかなり無理があった。

今回、図らずも初めて「職場に友人がいる」状態を経験したことになる。そしてそれは、あまり心地よい経験にはならなかった。

第一に感じたのは「線引きの難しさ」。
友人だからこそ、率直な意見が言える。ただの同僚であれば言わなかったであろう意見もでる。そしてこれが、私からすると「不必要な一言」であると感じることが多かった。

ボスでもない人間にそんなことを言われる筋合いがある?ということを言われて、私は何度か彼に怒った。

一方で、私が「良かれと思って」彼にした親切は「余計なお世話」となり、彼が私に怒ることもあった。

互いに、本来の同僚であればされるべき線引きを超えてコミュニュケーションをとるから、余計な感情の摩擦を生む。普段職場では感情的にならない私が本気で喧嘩をしているのを見て、後輩には目を白黒された。(同時に何故か面白がられたが。)

行き違いは、結局全て「期待」から生まれる。
「これだけしたんだから、これくらいは返してくれるだろう」「彼ならこう言ってくれるだろう」

期待通りにならないことで互いに喧嘩をするくらいなら、期待しなければいい。
論理的に考えればその通りでしかなく、そして、彼以外の人とでは簡単なことなのに、彼とだと何故かできない。


これまでの私の恋愛は、「頭」で始まることが多かった。
一緒にいるうちに、考え方や嗜好が似ていることがわかり、食事に行く。互いに合うだろうな、ということがわかってから、感情がついてくる。

いわゆる一目惚れをしたことがなく、自分と相手の相性、そして相手の自分への思いを考慮に入れながらゆっくり始まるのが常だった。必然的に、関係は長期化しやすい。若い頃から、短くとも1年は続く恋愛しかしたことがない。逆にいうと、1年くらいは経たないと本当の意味で「合わない」のがわからないので、自分は鈍いなぁと思っていた。

今回の恋愛は、始まりから全て違った。
頭で考えてという感じではなく、話してすぐに「いいな」と「感じた」。その決定打が何なのかもわからない。ただとにかく、一緒にいて落ち着く。かなり早い段階で相手に「触れたい」と感じていることに気づいて、我ながら驚いた。

結局何度かデートした上で、付き合わない選択をしたのだが、その後も私の「感情」は変わらなかった。一緒にいれば落ち着くし、触れたいと思う。彼の方もまた、似たような感覚を抱いていたように思う。でも互いに「そうならない」ことを選んだので、一緒にいると変な空気が流れることも多かった。

一体これは何なのか。
恋というものの持つ「幻想」なのか、相手のことをよく知れば消えるのか。そもそもなぜ彼なのか?という問いに、全く論理的に答えられない。ただ、「感じる」から、としか言いようがない。経験がない感情に私は戸惑っていた。


父が亡くなって、戸惑いは更に増した。
一緒にいると、頼りたくなってしまう。特定の声かけを期待してしまう。それがないと傷つく。顔を見ると泣きたくなる。感情を揺らしたくないので、そばにいて欲しくないとさえ感じることも増えた。

何なのだ、これは。
ずっと自分の感情の整理がつかず、戸惑っている。書けば整理できるかと思ったが、書いてもやはりわからない。

ただ一つ、わかったことがある。
今回の恋があまりに特殊すぎて、自分がティーンエイジャーに戻ったのではないかと情けなさがあった。相手との相性を理解せずに恋するなんて、なんと幼いのかと。

でもきっとそう思う必要もないのだ。
いろんな種類の恋があり、正解も不正解もない。
相手との相性を理解した上でゆっくり進む恋も、衝動的に落ちる恋も、そのどれも立派な「恋」なのだ。

干支を3周してようやく新しい恋の仕方を発見することもあるのだから、きっとこの先も私はまた変化していくのだろう。そのことが、今は私を慰める。

誕生日おめでとう、私。

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