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何が普通か。

ここ最近何があったのか。
簡単に言えば祖母の認知症とせん妄が酷くなり、
ある朝「どろぼー」と何度も大声で騒ぎ暴れ、
警察を呼び、
今は病院で保護入院をしている。
去年からせん妄というものがあるとは知らず、祖母の物が盗まれたやら死にたいやらが日々酷くなり、それを認知症の症状だと思い昼夜問わず聞き続けてきた私たち家族。
介護認定やらケアマネやら訪問診療などを入れ、ようやくこれがせん妄だと分かった頃には私たちではどうにも出来ないところまできていた。
毎日、毎日。
物音や、祖母に呼ばれる声、財布が無くなった、盗まれた。あんたたちが上手いことやってるんだ。狡賢いから。
死にたい。殺してくれ。
事件でも起こそうか。
池に飛び込む、階段から落ちる、薬を大量に飲む。
そんな脅しを聞きながら過ごしていた。
夜は妹がいつも側で寝ていたが、ハサミや包丁を持ち出したりしていたので、いつ何時せん妄状態のパニックを起こして最悪刺されたらと思うと怖くて家族で交代で寝るようになった。
勿論寝られるわけもない。
祖母の身の回りからはさみを無くしたはずが次々と出てくるはさみの数にもぞっとしたし、包丁は全て隠して夜ご飯の時だけ使いまた直ぐ隠す。
そんな日々を過ごしていた。
よくよく考えればその状態は普通ではなかったのかもしれない。
家族皆んなが怯えていた。
それはどう考えても普通ではなかったのだろう。
ただ昔から介護していた私、そして今年から本格的に介護に参加してくれた母や見守り手を貸してくれていた家族にはその普通ではないことが分からなかった。
酷くなっていく祖母にとうとう親戚の手を借りたり、色々な人に相談しまくり、最後には警察沙汰になって祖母が入院した時。
私ははじめて今までの状態がおかしかったのかもしれないと思った。
ただ家族の形として普通というのも、もう分からない。
だから祖母の一件があった後、色々な人が私に言った。
言い方悪いかもしれないけれど、
〇〇は昔から伯父さんもおばあさんも介護してきて、
本当は一番動けるはずの20代を全て無駄にしたんだよ、と。
あぁ、そういう考え方もあるのかと思った。
介護をするのは家の家族構成上私の役目だとずっと思って、違和感なくそれを受け入れてきた。
私にとってはそれが普通だったのだ。
もしかしたら、祖母のせん妄が酷くならなければ認知症と上手く付き合ってそれが普通であると思い続けていたに違いない。
正直今も普通が分からないからそう思っていたりもする。
ただ、祖母が病院にいる間申し訳ないほどに安心してしまう自分もいた。
ただ「どろぼー」と何度も叫ぶ祖母の声はいつでも耳元でリフレインし続け、家では物音にびくつく日々は未だに変わらない。
何が普通なのか、もう分からないのだ。

ただひとつ言えることは、
認知症や特にせん妄は甘く見てはいけない。
人の手が借りられるのならば何でも借りる。
誰の手でも借りる。
そうでなければ、きっと私たち家族は潰れていた。
よく老老介護の事件や、若者が年寄りを殺してしまった事件などを目にするが他人事では無いと思ったし、
この件に関しては事件が起こって当然だとすら思った。
それだけ過酷なのだ。
こうして思い出しながら簡単に書いているだけでも手が震えてくる。
でもそれは仕方ないことだと思い認めるしかない。

ただ、祖母のお金や今までの人生経験を聞くとその恐怖が認知症からせん妄を引き起こしているような気がする。
そう思うと、全部忘れてしまえ。
私たち家族のことも忘れていい。
過去のことは何もかも忘れていいから、祖母の心が安らぐことを願いたい。
ただ祖母がそれを望んでいるのかどうかが分からないからこれもまた難しい。
忘却に安らぎがあるのなら、それも一つの道なのかもしれない。本人が望むのなら。
ただ忘れていくことに祖母が恐怖していることも知っているから、何とも言えない。

本当に、何が正しいのか。普通なのか。
今の私には分からない。
そしてきっとこの先も。
私には私の尺度で物事をはかるしか道がない。
だからこそ、普通を決めるのも私の尺度でしかない。
何が普通なのか。
今の私にはまだよく分からないのだ。
それだけしか言葉が浮かばないのだ。


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