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更地の妊婦、見参。

子どもがほしい、というひとの気が知れないと思っていた。

そんなことを思うのは、よっぽど愉しい家庭で生まれ育った幸せなひとか、よっぽどやることのない可哀想なひとにちがいない、と。

「できちゃった」ならわかる。いや、むしろ一番自然。「できちゃった」んだもん。仕方ないよね。
あと、やんごとなき血筋のため、絶対跡取りが必要です、とか。それも、わかる。よくわからんけど、わかる。そういうことも、あるのでしょうな、というレベルで。

でも、子どもが「ほしい」ってなに? 子どもを「作ろう」ってなに?

わたしはずっと、わからなかった。「子どもがほしい」という気持ちが。
「作ろう」ってのも、なんか不自然な気がしてた。もう、読んで字の通りですわ、不・自然。命って、作ろうと思って作るものなん?

それが、そんなわたしが、突然思ってしまった。
「子どもがほしい」と思ってしまった。
そうなったら、止まらなかった。
作る!作るで〜!なんとしても!
そして、できてしまった。40にして。高齢妊婦が、誕生してしまった。

いま6週目ぐらい。来週は心拍が確認できるかもというところで、ドキドキしながら待っているところ。

年齢も年齢だけに、もう二度とないかもしれない稀有な体験を記録しておきたくて、noteを始めることにしました。それに、自分の不安も愚痴も、こうして書き留めることで、ああ、こんなことを思うのは自分だけじゃないんだって、知らない誰かの役に立つかもしれないし、そうなるといいなって。

ただ、その逆もあると思う。例えば長く不妊治療されてる方や、お子さんを亡くされた方からすれば、妊娠中の愚痴なんて、自慢話にしか聞こえないかもしれない。もし、わたしの文章で嫌な思いが少しでもしたら、速やかに回れ右してください。お願いします。

というわけで、心の準備も体の準備も曖昧なまま、まったくの更地に、妊婦参上。もし気が向いたら、お付き合いください。






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