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あの日、小林くんと天ぷら。

まだまだ暑い日が続きますね、、
暑い…けど…家族に元気のでる美味しいものをこしらえるぞ!と
仕事前の涼しい時間を狙い、今日は天ぷらを揚げました。

揚げてるうちお腹が減ってきて、まだ朝の9時ですが、、
一人そうめんと共にお昼ご飯。
フリー&リモートは仕事の合間に家仕事も充実するのがいいところ。

畑でたくさん採れる青じそ&ナスの天ぷら

☾ ☽

天ぷらを揚げるといつも思い出すのは、数十年前の子ども時代、
近所のアパートに住んでいた『小林くん』のこと。

昭和の終わり頃、近所にはまだ、
風呂なし・トイレ共用のアパートや長屋が多くありました。
うちの目と鼻の先にも「△△荘」という、大きな木造の共同住宅があり、
そこに小学5年生くらいの男の子『小林くん』は住んでいました。

このアパートには身寄りのない高齢者、夜のお仕事をする女性、わけありな人、いろんな方が住んでいて、夕暮れ時に外で遊んでいると、銭湯へ向かう風呂桶を抱えた大人たちが行き交い、異世界の日常を持つ、気さくな人たちとの交流には、ずいぶんと想像するものがありました。

小林くんは、いわゆる不良少年です。
お母さんは多分いなく、お父さんは反社的な方だったと思います。
シュッとしたイケメンで、不良具合は学校でも有名、これまた強そうな子分をいつも一人引き連れ、目も合わせられないような存在感をひときわ放っていた人でした。

ある日のこと、うちの母親は5人家族用にたくさんの天ぷらを作っていました。
夕飯までまだ間があるので、家の裏の広場で母にバトミントンで遊んでもらっていると、そこへ小林くん&子分が通りかかりました。
通り過ぎるのか、、と眺めていると、彼らは広場の隅で、袋にたくさん詰めこまれたお菓子を広げ食べ始めました。

母は小林くんを知っているが・面識はないと思われ、
邪魔になるバトミントンを打ち切るか、と思いきや否、、、
いきなり小林くんに話しかけたのです(…!)。

「あんた、こんなお菓子ばっか食べとるの?
 おなか空くでしょう、ちょっと待っとってよ!」

そう言ったかと思うと家に入り、
揚げたばかりの天ぷらを山盛りにした容れ物を手に戻ってきました。
小林くんは強面で喜怒哀楽のない感じの人です…
こういう対応に対し、よくあるドラマみたく手で振り払ったりしたら…
なんて案じていた私ですが…

知らないおばちゃんに唐突に話しかけられ、、
山盛りの天ぷらをおもむろに渡された小林くん・・・の顔は急変・・・
意外や意外…マタタビを施された猫のようにグニャリと柔和…
紅顔の少年がそこには立っていました。。

母は続けざま、
「妹もいるんでしょ、こんな時間にお菓子をごはん代わりにしてはダメ!
親さんも忙しいんだし、ソレ買うお金があるんなら、あんたがしっかり作って食べさせないと!」
と放ったのです。。(凍りつく私…)

おばちゃんの個人的価値観で、一方的に私生活を指摘される状況であるというのに…なぜかもう小林くんは女神でも見るような眼差しになっています。。
このとき私は、人に嫌なことを言われているのに、なぜ嬉しそうにしている人がいるのか理解できませんでしたが、このことがもたらす影響を、のちに知ることになります。。。

☾ ☽

数日後、学校の昼休みに校庭で遊んでいると、
高学年の別棟から、なぜか「私の名」を大きく叫ぶ声が聞こえます。
ゾクゾクっとして…声の先に視線をやると…
あの不良少年小林くんが私を捉え、周りなど全く気にせず
「らしくない」満面の笑みで大きく手を振っているではありませんか。。
校庭にいた子どもらがシーンとなって注目します。。
恐怖にも近い…恥ずかしさで、、校舎へとすっ飛んだのを覚えています。。

小林くんはたぶん、手作りの天ぷらなど、食べたことも・作ってもらったこともなく、ただただ純粋に嬉しかったのでしょう。
普通の平和な家庭を過ごす人間では知ることのない、食事や食べ物にまつわるモノゴトが、どれだけ人のチカラになり、愛情を伝え・感じる手段であるかが、わかる出来事でした。

秋の運動会では、小林くんの家族は不在のようでしたが、各競技の間じゅう、彼はうちの母を見つけては満面の笑みで大腕を振るので、母も父も祖父母までも(笑)まるで家族のように全力でそれを応援していました。
母だけでなく、この時代は血の繋がりがなくとも、他人との境界が今よりも少しだけ曖昧で、見護る、叱る、応援する、育てる、そういう社会や環境が泥臭くも豊かな時代だった気がして、懐かしく・温かく思い出します。

それからしばらくて、小林くんの住むアパートは
2階のおばあさんが出した調理中の出火により全焼しました。
昼間だったので死者は出なかったものの、小林くんのその後を知ることはありませんでした、転校したのだろうと思います。

☾ ☽

母があの日、小林くんに話しかけたことは、
自身も似たような境遇を持つからかもしれません。
母の実家は養蚕農家。母の父親は婿入りでしたが、働かずギャンブルばかり…ときどき蒸発、男手不在の農業で妻子や家計を苦しめ、最終的には自死を選んだ人でした。
母もほぼ片親の状況で苦労をしたようですが、祖父母から大切にされた事を糧に、苦しい時は山へ入り、炭焼き小屋の大人に話を聞いてもらったり、大きな木にしがみついたり自然に慰められ健全を保ったそう。

私が大人になって母からポツリポツリ聞いたのは、
「父親の放蕩は、自身でも頭ではわかっているし家族への後ろめたさは凄かったと思う。でも運命ってずうっと前から決まってて、悪いと思うことを改めようとしても、何度でも引きずり込まれるように魔がさし、どうやってもそこへ収束しようとする。ギャンブルなんて本当はしたくないのに、やめたいのに止められない悪循環、本人も寂しくて苦しかったはず。そういうことってあるんだよ」という母の理解。
「私も寂しかったけど、じいちゃんばあちゃんが大切にしてくれている事にハタと気がついて、愛情が無いんじゃない、ちゃんと私にもあった。父親のせいにせず自分の人生を生きようと思った」と話します。
片親だったことを卑屈にせず人生を歩んでくれたおかげで、私も平和な家庭を経験をさせて貰えたこと、負の連鎖を断ち切った母には感謝しています。

小林くんは生い立ちの境遇から荒んでいましたが、
たまたまうちの母が「他人だけど自分という人間を捉えてくれている、見た目や生い立ちで判断せず関わってくれる」人となり、それをきっかけに少しでも寂しさから這い出ることができたとしたら、環境やそこにいる他人は、偶然そこにいるわけではなく、何かしらの巡り合わせが、そうさせているのかもしれない、今ではそんな風に想ったりします。

運命の輪の中で出逢う人々、事象、それらに目を凝らし・感じとり、
自然のゆりかごの中、偶然のようで偶然でなく、まるで不思議なこの世界で、切なく愛しい記憶が織り込まれ、進む時の渦。

もうすぐにやってくるであろう多難の時代…
その先の運命で待つ縁ある人たちと、少しでも人間らしく分かち合い、支え合えるよう、生活の知恵、本当に知るべき学びを、自分の中に蓄えたい。

懐かしい人の面影を浮かべ、そんなことを想う
八月のお台所。

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